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ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界 (12) ウクライナ戦争をめぐる国際政治の文脈 京都大学大学院 教授 中西 寛 【2022/8/26】

ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界

(12) ウクライナ戦争をめぐる国際政治の文脈

掲載日:2022年8月26日

京都大学大学院 教授
中西 寛

 2月24日、ロシアのプーチン大統領が「特別軍事作戦」と称するウクライナへの軍事侵攻を開始したことで世界が変わった、という認識が一般的である。たしかに日本を含めた西側諸国では、この事態をきっかけに対外政策は大きく転換し、対ロシア政策が大きな比重を占めるようになった。政治においては人びとの認識はそれ自体が政治的現実の一部である。その意味では「2月24日の前と後では世界が変わった」という認識が多くの人びとによって共有されていれば、それは現在の政治的現実の一部をなしている。

 とはいえ、人びとの認識するところ、意識界の世界が政治の全てではないのもまた事実である。政治は人びとの意識の奥底にある無意識や、個々の人間の意志を離れた要素が作用し、規定する側面がある。そのような要素を総体として基底的構造と呼ぶとすると、基底的構造と人間意識のずれを含めた全体が政治を形作ることになる。

 このような点を明確にしておくことは、現在のように不確実性が高い状況下で未来に向けた可能性を理解する上ではとりわけ重要なことである。戦争に関しては日々情報がもたらされ、我々の意識はそれによって左右される。しかし同時に戦争には、人びとの意識を離れた基底的構造の動きがあり、それが戦争の結果とその後を左右する面ももちろんあるのである。

 そのような基底的構造について振り返ると、2020年初から始まった新型コロナによる世界的影響について改めて考えざるを得ない。この21世紀最初の本格的なパンデミック(2022年8月中旬の段階で世界で約650万人の命を奪ったとされるが、もちろん正確な数字は分からない)によって世界中で社会経済活動が大きく制限され、人流、物流は突如、予想外の規模で停止し分断されることになった。

 このコロナ・パンデミックの影響は一般的に「加速」であったと言われる。つまりコロナ禍以前にすでに存在していた変化、趨勢を急激に推し進めたということである。そのような加速の結果、国際政治に大きな影響を及ぼす事になった事象を3つ取り上げることができる。

 第一は、2020年6月に北京の全国人民代表者会議(全人代)常任委員会で決定された香港国家安全維持法である。当時、徹底したゼロ・コロナ政策で中国国内でのコロナ流行押さえ込みに自信を深めていた習近平政権は、香港における治安強化を香港の意思表明抜きに実行したのである。前年2019年には香港当局が提案した容疑者引き渡し条例案に対して香港の民主活動家が激しい抗議を繰り広げ、条例案は撤回された。しかしコロナ禍の中で感染対策を理由に集会などを取り締まる名目が立つことになり、中国は香港の治安機能を北京政府の統制下に置く変更を一方的かつ短期間に実現したのである。この後、香港当局は民主化勢力の徹底した抑圧に成功した。曲がりなりにも旧宗主国イギリスとの間で了解されていた香港返還後50年間の「一国二制度」は形骸化され、有名無実と化した。

 この状況が最も影響したのが、中国・台湾のいわゆる両岸関係であった。そもそも「一国二制度」は台湾に向けての提案として表明されたものであり、香港での一国二制度のあり方は両岸関係の試金石としての意味を持っていた。しかし香港でこの制度が一方的に変更された事態は台湾世論の対中感情を大きく悪化させ、中国との政治的統合は台湾政治において現実性を失ってしまった。これは、両岸関係の安定と平和的な統一にコミットしてきたアメリカにとっても直接関わる事態であった。すでに中国を最大の脅威と見なし始めていたアメリカは、従来以上に踏み込んで台湾との関係強化を図るようになった。台湾の地位をめぐる曖昧さという米中の間にあったバファー・ゾーンは大きく削られ、米中は直接対決に大きく踏み出したのである。

 第二の影響は、アメリカ政治の分断の深刻化である。もちろんこの状況もコロナ禍の前に十分に深刻化していた。しかしコロナ禍の中で行われた2020年大統領選挙は変則的なものとなり、その結果をめぐってアメリカは南北戦争以来の政治的分断に陥ることになった。

 実際、大統領選挙の結果はバイデン氏が8100万票あまり、トランプ氏が7400万票あまりでいずれも史上第1,2位の得票数を獲得した。その背景にはコロナ禍によって通常の投票が行えず、郵便投票を含む期日前投票制度が大幅に拡充され、結果的に史上最高の投票率となった。この大統領選挙の結果について、バイデン氏側に有利な選挙不正があったというのは根拠のない陰謀論に過ぎない。しかしコロナ対策で批判を浴び、さらに民主党に有利と言われる不在者投票が大幅に増えた中でもトランプ氏が史上第二位の得票数を獲得したことの意義は小さくない。コロナ禍がなければトランプ氏が再選されていた可能性はかなり高く、その意味でトランプ氏はコロナによって再選を奪われたという見方はありうる。

 もちろん21年1月6日に議会議事堂で起きた集団暴徒乱入事件と、それを後押ししたかに見えるトランプ氏の行動はアメリカ史に汚点として残るものであった。にもかかわらず、共和党支持者の多数派は2020年選挙の結果を正当なものと見ておらず、トランプ氏は共和党においては強い影響力を維持している。もはやアメリカの政治的分断は修復不可能な段階に達しつつある。

 バイデン政権が民主主義対権威主義といった図式に固執し、トランプ政権下で弱体化した西側同盟網の再強化を打ち出した背景には、こうした国内分断の影響を見てとれる。バイデン政権としては自らの支持層を固めるためにトランプ支持層を孤立化させることが必要であり、トランプ氏の権威主義的体質を民主主義への脅威と位置づけることが重視されている。その一方で「中間層のための外交」を打ち出し、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)には背を向けたままである。もはや「強いアメリカ」や「世界の警察官」としてのアメリカは内政面でマイナスになっており、自ずと対外政策にも制約要因として働く。

 こうしたバイデン政権のジレンマが表れたのが、昨年8月のアフガニスタン撤退であろう。アメリカ世論は米軍撤退を歓迎しており、バイデンとしてはその実現を急いだ。しかしアメリカの姿勢は予想以上の急速なアフガニスタン政権の瓦解とタリバン勢力の侵攻をもたらし、同盟国とも調整不足に陥った。結果的にアフガニスタンからの撤退は混乱し、西側に協力してきた多数のアフガニスタン人をタリバン支配下に残すことになった。

 コロナ禍がもたらした第三の事態がロシアのウクライナへの侵攻である。この侵攻がプーチン大統領の決定の産物であることに間違いは無いが、その決定過程の詳細は明らかになっていない。しかし直接ないし間接的な形でコロナ禍が今回の開戦決定に影響した可能性は十分あるだろう。一部では、プーチン大統領自身が感染対策を理由に人との面会を制限し、結果として偏った情報に基づいて戦争を始めたという見方がある。また、コロナ禍でヒト、モノの流通が停止する中でエネルギーや食料が比較的豊富なロシアの力を過信したのかも知れない。

 それ以上に、これまで述べてきた米中双方の変化はロシアの意思決定にも影響したであろう。香港での事態は中国と西側の関係を悪化させ、22年2月の北京オリンピックに対してアメリカはじめ複数の国が「外交的ボイコット」を仕掛けた。三期目を狙う重要な党大会の年に国際的孤立は習近平国家主席の維新の揺らぎにつながりかねず、北京五輪開会式への出席を決めたプーチン氏はことのほか厚遇された。対してアメリカはアフガニスタン撤退の状況を見ても国内が混乱しており、また中国を「唯一の戦略的競争相手」と位置づけて対中牽制政策を優先させるかのように思われた。

 こうした文脈の中でプーチンはウクライナと西側を切り離そうとして大規模な軍事演習で威圧し、NATOへのウクライナ加入否定や東欧での駐留撤退など西側に譲歩を迫ったが欧米はこれに応じなかった。どの段階でプーチンがウクライナ侵攻を決断したかは分からないが、開戦の決定が北京五輪閉幕直後に行われたことには中国に対する配慮が窺える。ウクライナの政権打倒を目指して首都キーウに対して大規模攻勢をかけたのは西側の反発の強さとウクライナのゼレンスキー政権の抵抗力の強さを見誤った誤算に基づく決定だったことはまず間違いないだろうが、その背景に3月4日の北京パラリンピック開始前に軍事作戦を終えてしまいたいという強い希望があった可能性もある。ベラルーシのルカシェンコ大統領が後に戦争がこれほど長期化することを予想していなかったと発言したのも、ロシアが短期戦を前提に意思決定したことを推測させる。

 しかし西側も戦争の長期化でジレンマに陥った。ウクライナでロシアと直接軍事的に対決する意思はなかったがウクライナの抵抗が想定以上に強く、ロシアの攻勢が稚拙だったために西側はウクライナへの軍事支援と同時にロシアへの大規模な経済制裁に乗り出すことになった。特に3月下旬、ロシアがウクライナ北部から撤退して東部戦線に転戦する過程でロシアの非人道的残虐行為が明らかになり、西側としては停戦仲介はできず、対ロシアへの完全勝利を目指すウクライナを支援することとなった。

 結果として起きたのはロシア経済を世界経済から切り離す分断であった。これはコロナ禍前からトランプ政権のアメリカ第一主義外交やイギリスのEU離脱で進行していた世界経済の分裂傾向を結果として加速したことになる。ロシアのエネルギーや食料・肥料などの一次産品を西側経済から切り離しただけでなく、有事には西側が経済関係を武器に使うことを世界に示す結果になった。このことは中国をはじめ世界各国が感じており、グローバリゼーションを促してきた西側が提供する公共財の信頼性は長期的に低下することになった。

 要するに今回のウクライナ戦争はプーチン大統領の開戦の決断をきっかけとして各国の、また人びとの世界認識を大きく変えたにせよ、それらの意識の底流には個々の人間の支配を超えた構造が作用していたと捉えることができる。後者の面では、コロナ禍が加速した国際秩序の分断、対立傾向が中国、アメリカなどにも作用しており、その集合的意思決定がウクライナ戦争にも影響したことが推定できる。

 こうした捉え方は今後の世界を展望する上でも有用だろう。戦争は直接的には当事者の意識的行為である以上、その結果を予測することには限界がある。この戦争が現状のウクライナ国内でのロシア・ウクライナ両軍の闘争を続けながらある段階で停戦を迎えるのか、それとも他国まで拡大し、最終的には世界規模の戦争へと到達するのか、それとも大きな政治変動、とりわけプーチン大統領の権力喪失のような結果に帰結するのかは分からない。

 にもかかわらず、以下の点は歴史の流れから言えるだろう。
 第一は、今回の戦争は、すでに浮上していた地球規模の国際政治の重心移動、すなわちインド太平洋地域の中心化に拍車をかける可能性が高いということである。戦争前にロシアは中国、次いでインドとの関係を従来以上に重視する方向を打ち出していたが、今回の戦争でその傾向はさらに強まるであろう。日本をはじめとするアジア太平洋諸国とNATO加盟国との連携も強まっており、これもインド太平洋への注目を高める効果を持っている。その意味で米中関係を軸としたインド太平洋地域の情勢が今後の世界情勢を左右する傾向はますます強まるだろう。

 第二は、ヒト・モノ・カネの国境なき移動性を追求したグローバリゼーションの時代は終わりを迎え、政治と経済の相関関係がより重視される傾向である。そこには多様な政治的要請が含まれうる。一つには、日本で経済安全保障という概念が改めて注目を集めていることが示すように、国家安全保障の観点からテクノロジーの制御管理を重視する傾向である。こうした傾向はバイデン政権が最近打ち出したインド太平洋経済枠組み(IPEF)のような形での協力を含みつつ、世界経済のブロック化、陣営化の要素となる。

 その一方で、コロナ禍が人類に及ぼした影響や、気候変動が人類に及ぼしつつある影響は有事にあっても消え去ることはない。自然と人類のあり方について適切な関係を取り結ぶ解決策を、技術革新を含めて見いださなければならないという意味でのグローバリゼーションの必要性は続き、ますます強まるであろう。今回の戦争で顕在化したエネルギー問題にしても、当面は資源確保の要請が前面に出るにしても将来の温暖化制御を念頭においた対応を考えざるを得ない。そしてエネルギーと温暖化対策で終わりではなく、生物多様性の変化など様々な課題に対しては人類共通課題として対応する他ない。

 今回の戦争がどのような帰趨を辿ろうとも、人類文明が壊滅的な打撃を受けない限り、上記のような課題に答える世界秩序を構築することが国際社会の課題となるだろう。


執筆者プロフィール
中西 寛(なかにし ひろし)
京都大学大学院 法学研究科 教授
1962年大阪府生。京都大学法学部卒、京都大学大学院法学研究科、シカゴ大学歴史学部大学院を経て1991年京都大学法学部助教授、2002年から京都大学大学院法学研究科教授。2016-18年京都大学公共政策大学院長。法学修士。専門は国際政治学、特に20世紀国際政治史、安全保障論、日本外交論を中心に研究。ロンドン大学政治経済稿(LSE)、オーストラリア国立大学にて研究員。主な学外委員として、「安全保障の法的基盤に関する懇談会」委員(2006-07年、2013-14年)、日本国際政治学会理事長(2014-16年)など。主要著作『国際政治とは何か-地球社会における人間と秩序』(中公新書・第4回読売吉野作造賞受賞)、共編著『歴史の桎梏を越えて-20世紀日中関係への新視点』(千倉書房、第27回大平正芳記念賞特別賞受賞)、(共著)『国際政治学』(有斐閣)、(共編著)『高坂正堯と戦後日本』(中央公論新社)など。




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