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ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界 (4) 台湾から見るウクライナ戦争の教訓 東京外国語大学 教授 小笠原 欣幸【2022/5/30】

ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界

(4) 台湾から見るウクライナ戦争の教訓

掲載日:2022年5月30日

東京外国語大学 教授
小笠原 欣幸

 中国の台湾への軍事的威嚇が強まる中、台湾有事に対する日米の警戒感が高まっている。中国共産党は台湾統一を「歴史的任務」と位置づけ準備を進めている。それはロシアのウクライナ侵攻によって左右されるものではない。しかし、中国、台湾ともにウクライナ戦争を研究し教訓を引き出すことは間違いない。戦争が始まって3か月という限定付きであるが、台湾から見てロシアのウクライナ侵攻の教訓は何なのかを、軍事、情報、経済、政治外交の4つの分野で検討したい (※1)


ウクライナと台湾の類似性と相違性

 最初に戦略的観点からウクライナと台湾の類似性を指摘しておきたい。ウクライナも台湾も隣の軍事大国ににらまれて、国際政治の動向で一方的にレッドラインを科されているという点で類似性がある。

 ロシアのウクライナに対する主張と、中国の台湾に対する主張には強い類似性がある。プーチン大統領は、「ロシアとウクライナは兄弟、ウクライナは歴史的にロシアの一部」と主張する。習近平主席は、「中国大陸と台湾は兄弟、台湾は中国の一部」と主張している。そして、ロシアは「ウクライナのNATO加盟はロシアへの脅威であり、絶対許さない」と述べ、中国は「台湾独立は絶対許さない、台湾と日米との外交関係樹立や台湾の国際組織加盟は絶対許さない」と述べている。

 他方、ウクライナと台湾では、アメリカの戦略的位置づけが大きく異なっている。過去50年間アメリカ政府が中国関与政策を続け中国に配慮していた長い期間においてさえ、台湾問題は米中関係の焦点であり続けたことからわかるように、アメリカにとっての台湾の重要性は非常に大きい。アメリカは「台湾関係法」により台湾の安全に関与している。米ウクライナ間にはそのような関係はない。ポンペオ前米国務長官は、2022年3月4日台湾を訪問し、「日本-韓国-フィリピン-南シナ海と続く防衛ラインで台湾を失うことはアメリカの国益を直接的な危険にさらす」と述べた (※2)


軍事

 ロシアの武力侵攻は台湾にとっても大きな衝撃であった。しかし、ウクライナの必死の抵抗により、圧倒的に優勢と思われたロシア軍の苦戦が伝わるにつれ見え方は変化してきた。ロシアの短期決戦の目論見は頓挫し、軍事的に弱いウクライナの非対称戦の有効性が示された。ミサイル攻撃と空爆を受けても、言われているように敵方が一方的に制空権を確保できるとは限らない。歩兵・民兵が携行する対戦車ミサイル(ジャベリン)、対空ミサイル(スティンガー)はかなりの効果があることが確認された。いずれの武器も台湾は保有している。また、台湾は、ロシアの巡洋艦を沈めたウクライナの対艦ミサイルに相当する自主開発ミサイル「雄風Ⅲ」を保持している (※3)

 これらは、ロシアと同様に短期決戦での台湾制圧を目指している中国にとっては、侵攻の判断を慎重にせざるを得ない教訓である。台湾はアメリカからF16戦闘機66機、M1A2戦車100両などの大型装備の導入を進める一方、移動発射式を含む多系統の対空ミサイル、対艦ミサイルの配備を進め、敵の大軍に効果的に打撃を与える防衛戦略を強化してきた。
 台湾にとっては、これまでの防衛戦略が一定程度肯定されたことになり、さらに強化するために活用できる教訓である。しかし、中国も教訓を得て攻撃戦略を練り直すであろう。台湾としては、非対称防衛戦略を強化し、中国側に侵攻作戦で甚大な損害が発生すると予測させる防衛体制・装備を整えていく必要がある。

 そして、ウクライナの抵抗で、予備役体制と市民の国防意識の重要性が改めて示された。中国にとって、台湾本島に中国軍が上陸したとしても台湾側の大量の予備役が戦線に投入され激しい抵抗が続く事態というのは望ましいことではない。抵抗する強い意志は、中国のコストの計算に入ってくる。蔡政権はウクライナ戦争の前から予備役の訓練の強化を打ち出していた (※4)。方向はよいが課題も大きい。市民の国防意識を高めていけるかどうかは台湾にとって大きな分かれ目になるだろう。


情報

 軍事的に弱いウクライナがSNSを効果的に使い情報戦で有利になっている。国際世論を味方につけることの重要性が示された。戦争の悲惨な現実を伝える映像・画像が現地のジャーナリストや市民のスマホから直接発信され、「侵攻の意図はない、民間施設は攻撃していない、病院には誰もいない」などといったロシアの嘘・プロパガンダを世界の人々が見抜くことができるようになった。これについて、中国の学者は、「ウクライナがFacebook、Twitter、Googleなどのネット大企業に圧力をかけ対ロシア制裁に参加させたことでウクライナが圧倒的に優勢になり、ロシアは『社会的死亡』を宣告されたも同然だ」と分析している (※5)

 中国の国家・党の情報発信力は、台湾と比較して圧倒的に強い。中国は長期的なイメージ形成・プロパガンダに長けている。また、一帯一路を通じて多くの国を引きつけている。しかし、人権、ウイグル、香港、コロナウイルスなどの問題で習近平体制の方針への疑問が広がり、風向きが変わった。日米豪欧の世論においては、普遍的価値を発信する台湾に追い風が吹き、中国には逆風になっている。

 ウクライナへの支援という点で、とりわけ発信力の大きなヨーロッパ世論の重要性が示された。台湾有事の場合、ヨーロッパ世論がどう展開するかは未知数である。近年、リトアニア、チェコが台湾のサポートに動いているし、イギリスが中国に厳しい目を向けている。台湾としてはフランス、ドイツなどにも支持を広げたいところだ。当然中国もヨーロッパ世論の重要性を知っているので切り崩しに動いているし、対中関係を重視してきた国も少なくない。しかし、ウクライナ戦争開始後もロシアとの友好関係を維持する中国に対する警戒感・反感はやはり高まっている。台湾としては、ヨーロッパ世論をめぐる中国との競争でどれくらい浸透できるかが注目点である。

 ロシアは、プロパガンダ・フェイクニュースを多用し国内の統制を図っている。中国はロシア以上に国内の情報統制を行なっている。中国国内のSNS発信は活発だが、中国国民が国際世論に直接訴える構造にはない。台湾はおそらくウクライナ以上に効果的にSNSを使い国際情報戦をリードできるであろう。いずれにしても、市民を殺傷し市民生活を破壊する行為に国際世論の支持を得ることはできない。

 開戦当初、ロシア側はウクライナの政府サイトなどにサイバー攻撃を仕掛けたと見られるが、その後、電力・通信・交通などを全面的に麻痺させるには至っていない。他方、ウクライナ側も政府系サイバー軍団が活躍しているようだ。また、スペースX社がウクライナに提供した衛星ネットサービス「スターリンク」が活用されている (※6)。これは中国の学者も注目し、「スターリンクが、ロシアがやろうとしたウクライナのネット封鎖をたやすく瓦解させた」と指摘している (※7)。ウクライナにおけるサイバー戦の攻防については中台双方とも大きな関心をもっているが、現時点では情報は少ない。


経済

 対ロシア経済制裁は、西側民主主義諸国の政府だけでなく民間企業も加わり予想以上に広範囲で強力なものになった。これは、欧米を拠点とするグローバル企業が、消費者・投資家の反発を恐れ経営判断したことが大きい。制裁はこの先も続きロシア経済に深刻な打撃を与えることになるであろう。

 ただし、それがそのまま中国にあてはまるわけではない。対中経済制裁は足並みが乱れる可能性がある。中国は経済規模が巨大で、各国との貿易・投資の額も大きく、外資企業にとって簡単に中国ビジネスの停止・撤退ができない事情がある。制裁する側の日米欧も負担と悪影響がかなり大きくなる。

 他方、中国は資源輸出型のロシアと異なり、製造業の輸出が成長を支えている。中国製品輸入ボイコット、対中投資見送り、中国での営業の停止が2、3割でも発生すれば、中国の経済成長率の低下、中国国内の雇用情勢の悪化という形で影響がでるだろう。西側諸国の消費者の行動によっては、中長期的に中国経済に打撃が及ぶ可能性は十分ある。

 中国の学者は、制裁によりロシアがマルチの枠組みで孤立化させられ圧迫されていることを詳細に分析するレポートを刊行している (※8)。中国は、将来対中経済制裁が発動された場合の影響も詳しく研究するであろう。対ロシア制裁の効果が大きくなればなるほど、中国にとって台湾侵攻のコストが大きくなることを意味する。

 台湾への侵攻が行なわれるとすれば、中国政府はナショナリズムによる国威発揚を煽り、中国国民も短期的には異常な高揚状態になるであろう。しかし、中長期的には、中国の経済社会の安定に悪影響が現れる可能性がある。共産党体制の安定を重視する習近平指導部としてはそのコストを軽視できないであろう。


政治外交

 今回のウクライナ戦争の大きな教訓は、権威主義国家の指導者がいったん開戦を決意すると止めることは非常に難しいということだ。侵攻までのプロセスからは、合理的選択論だけで判断するのは危険だということが明らかになった。台湾海峡においてその教訓は「軍事侵攻はない」と決めてかかってはならないということである。

 ロシアの場合、アメリカが軍事介入しないことがわかって侵攻してきた。中国に対して誤ったメッセージは決して送ってはならないというのが教訓となる。権威主義国家が理解する言葉はリアリズムであり、「リアリズムなき外交努力・対話は無力」であることが知らされた。日本など台湾に関与する民主主義諸国は、軍事的備えを固めたうえで外交努力も続けていくという流れになるであろう。台湾有事を抑止する議論と準備が進むことは台湾にとってプラスである。

 加えて、政治的統合・安定性も重要な教訓である。ウクライナの場合、地域によっては親ロ派の勢力が大きく、武装勢力が国土の一部を支配する状況がありロシアにつけこまれる要因となった。台湾には中華民国国軍以外に武装勢力は存在しない。台湾においては、民主化後しばらくの期間、アイデンティティの揺らぎが続いていたが、いまでは「台湾アイデンティティ」が広く定着している。中国は様々な台湾浸透工作を行なってきて、一定の影響を及ぼしているが、統一支持派を増やすことはできないでいる。

 相手に武力行使の口実を与えないことも重要である。中国は「民進党政権は独立を画策している」と非難しているが、蔡英文総統は繰り返し「現状維持」を表明し、実際に新憲法制定や独立宣言の動きをしていない。国際世論を見ても日米それぞれの国内世論を見ても、現状を力で変更しようとする勢力への対抗は支持を得られやすい。逆に、台湾の側で現状変更に動けばその構図は一気に変わってしまう。蔡英文政権はそこを十分理解しているし、台湾政治は「現状維持」が主流となり安定している。


台湾有事リスクは変わっていない

 ウクライナ戦争が始まる前の中台関係を整理しておきたい。台湾の民意は「統一に反対」ということはどの世論調査を見ても明らかであるし、2020年総統選挙で「統一拒否」を公約に掲げた蔡英文総統が圧倒的な票を得て再選されたことがその証明になる (※9)。中国から見て「平和的統一」が実現する可能性は小さくなった。そこで、習近平の統一戦略は軍事的威嚇を強化する「強制的平和統一」にシフトしていると見ることができる。その内容は、台湾侵攻は可能と思わせるだけの軍備拡大を行ない、日米の腰を引かせ、台湾人のあきらめを引き出し、脅迫し屈服させ勝つことである。

 この台湾有事リスクの基本構造はウクライナ戦争発生後も変わっていない。変わったのは、中国にとって軍事侵攻のコストが非常に大きいことが示されたことである。台湾の情報機関のトップである陳明通国家安全局長は「ロシアのウクライナ侵攻で中国は対台湾戦争の発動には慎重になるであろう」と述べている (※10)

 一方、中国もロシアの失敗から学んでくることは間違いない。確かに現時点で台湾侵攻のコストは大きすぎるが、それが小さくなれば中国はその隙をついてくると考えておかなければならない。多くの専門家がロシアの侵攻はないと予測していたことで、各国の世論もロシアの侵攻はないと考え、それがロシアから見て「隙」になったのではないか。台湾有事抑止のためには、中国に「やれる」と思わせない備えが以前にも増して重要である。その失敗を繰り返してはならない。

 ウクライナで多くの命が失われ何百万人もの人々が居場所を失うという悲劇が起こってしまった。これを東アジアで起こさせてはならないという国際世論の形成は、台湾だけでなく、そして台湾以上に日米が取り組まなければならない課題である。中国の台湾侵攻を喜ぶ国など1つもない。「台湾海峡の平和と安定」を旗印とする有志国のゆるやかな連携を日米が中心となって広げていく必要がある。


執筆者プロフィール
小笠原 欣幸(おがさわら・よしゆき)
東京外国語大学大学院 総合国際学研究院 教授
一橋大学社会学部卒業、一橋大学社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。
主な著作に『台湾総統選挙』(晃洋書房、2019年)。
[小笠原HP](http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ogasawara/)で台湾政治・中台関係の分析を多数発表


※1 本稿は2022年3月26日に行なわれた小笠原講演「台湾有事と日台関係―ウクライナ侵攻から見るリスク評価と日本の役割」をベースとしている。詳しい議論は講演録画(https://youtu.be/Pk4pUK3y_rg)をご視聴ください。
※2 2022年3月4日,台北市内での演説(https://youtu.be/q4V9iQS1UYg)。
※3 台湾の防衛戦略と装備については,尾形誠「近代化を進める解放軍と台湾軍の対応」『東亜』651号(2021年9月)を参照。
※4 「台湾 予備役の戦力強化へ “ウクライナ軍を参考に”」[NHK NEWS WEB]2022年3月5日(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220305/k10013516001000.html)。
※5 鲁传颖「俄乌冲突对全球网络安全形势的影响」『国际经济评论』2022年4月29日(https://kns.cnki.net/kcms/detail/11.3799.f.20220428.1537.002.html)。
※6 「衛星ネットサービス「スターリンク」露軍に対抗、実戦投入」『毎日新聞』2022年5月20日(https://mainichi.jp/articles/20220520/ddm/008/030/042000c)。
※7 鲁传颖,前掲論文。
※8 易小准,李晓,盛斌,杨宏伟,曹宝明,徐坡岭「俄乌冲突对国际经贸格局的影响」『国际经济评论』2022年4月26日(https://kns.cnki.net/kcms/detail/11.3799.f.20220414.1121.002.html)。
※9 2020年台湾総統選挙の分析については,佐藤幸人,小笠原欣幸,松田康博,川上桃子『蔡英文再選―2020年台湾総統選挙と第2期蔡政権の課題』IDE-JETROアジア経済研究所,2020 年(https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Reports/Kidou/2020_taiwan.html)を参照。
※10 「陳明通:美有台灣關係法 俄烏戰爭給中共警訊」『中央社』2022年3月28日(https://www.cna.com.tw/news/aipl/202203280121.aspx)。



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