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ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界 (1) 2度のウクライナ危機におけるEUとNATOの要因 一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 所長 服部 倫卓【2022/4/08】

ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界

(1) 2度のウクライナ危機におけるEUとNATOの要因

掲載日:2022年4月8日

一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 所長
服部 倫卓

はじめに

 ウクライナで、前回大きな危機が起きたのは、2013年から2014年にかけてだった。当時のV.ヤヌコーヴィチ大統領がロシアの圧力に屈して欧州連合(EU)との連合協定締結を棚上げし、それに反発した市民・野党が2014年2月にヤヌコーヴィチ体制を打倒。しかし、ロシアがその機に乗じてクリミアを併合する(国際的な承認は得られていない)とともに、東ウクライナ・ドンバス地方に介入して分離派による「ドネツク人民共和国(DNR)」および「ルガンスク人民共和国(LNR)」の樹立をお膳立てした。ここではこの一連の過程を第1次ウクライナ危機と呼ぶことにする。

 そして今般、第2次ウクライナ危機と呼ぶべき事態となった。ロシアのプーチン大統領は2021年から、対ウクライナ国境に軍を集結させ、その圧力を背景に、北大西洋条約機構(NATO)のさらなる東方拡大、ウクライナのNATO加盟を阻止する構えを見せた。2022年に入り2月21日、かねてからテコ入れしてきたDNRおよびLNRを国家承認する決定を強行。そして、プーチン政権は2月24日、「特別軍事作戦」と称してウクライナへの軍事侵攻を開始した。

 この小論では、第1次、第2次のウクライナ危機において、EUおよびNATOという要因がどのような意味を持っていたのかを、考察することにする。


第1次ウクライナ危機

 2013年から2014年にかけての第1次ウクライナ危機で前面に出たのは、NATOではなくEUであった。EUは、旧ソ連の近隣諸国を対象に、「東方パートナーシップ」という新たな関係枠組みを2009年に打ち出し、同諸国と連合協定の締結を推進しようとした。

 それに対し、ロシアは2010年に発足したベラルーシ・カザフスタンとの関税同盟に手応えを感じていた。2012年にロシア大統領に返り咲くことになるプーチンは、関税同盟を基盤に「ユーラシア経済連合」を結成し、将来的にはそれを「ユーラシア連合」に発展させていく構想をぶち上げた。そして、歴史的・文化的にロシアに近い上に、人口が多く経済的なポテンシャルも大きいウクライナを巻き込むことを、プロジェクトの成否を握るものと捉え、働きかけを強めていった。

 ウクライナでは、2010年2月にV.ヤヌコーヴィチ政権が誕生する。ヤヌコーヴィチは「親ロシア派」とのレッテルを貼られがちだが、同政権にしても、どこまで真摯であったかは別として、基本的に欧州統合路線を志向していた。ロシアが執拗に求めたユーラシア統合については、オブザーバー参加以上のコミットには難色を示した。

 2013年11月28~29日にEUの東方パートナーシップ・サミットが開催されることになり、EU・ウクライナの連合協定の行方が注目された。しかし、2013年に入るとロシアが巻き返しを強め、ウクライナを経済的に圧迫、それに耐え兼ねたヤヌコーヴィチ政権は2013年11月21日、EUとの連合協定締結を当面棚上げすることを表明した。

 協定棚上げに端を発したウクライナの反政府デモ、治安維持部隊とデモ隊の衝突は、2014年2月22日のヤヌコーヴィチ政権の崩壊にまで発展する。結局、EUは3月21日にウクライナの暫定政権と政治条項に限定した形で連合協定に調印し、その後6月27日には正式に発足したP.ポロシェンコ政権と連合協定(残されていた経済条項)への最終的な調印が行われた。

 実はデモ隊を突き動かしていた最大の要因は、EU統合への希求というよりは、腐敗したヤヌコーヴィチ体制に対する怒りだった。それでも、デモの発端となったのはEUとの協定棚上げだったし、群衆はマイダン(デモの主たる舞台となったキーウ(キエフ)中央部広場)で当初からウクライナ国旗とともにEU旗も掲げていたわけで、政変の成就は自動的に欧州統合路線の選択を意味した。この政変が「ユーロマイダン革命」と称される所以であろう。決してNATOが焦点となる「ユーロアトランティックマイダン革命」ではなかったのである (i)


裏争点だったNATO

 このように、第1次ウクライナ危機では、EUとの提携か、ロシア主導のユーラシア統合への参加かが争点となった。その際に、EUの連合協定も、ユーラシア統合も、軍事・安全保障ではなく、一義的には経済のプロジェクトのはずである。

 しかし、第1次危機の時点ですでに、反目は軍事・安全保障分野に波及する様相を見せ、次第にそれが深まっていった。そもそも、2014年2~3月にロシアがクリミア併合を急いだのは、政変後のウクライナがEUだけでなくNATOにも接近し、ロシアの黒海艦隊がクリミアのセヴァストーポリ基地を失うことを恐れたからというのが大きかったと考えられる。ロシア海軍の栄光の地であるセヴァストーポリに、NATO旗が翻るようなことがあれば、ロシアにとっては最大級の悪夢である。

 2014年2月下旬、ロシアがクリミアの併合に向けた工作に乗り出すと、ウクライナ政界の大物Yu.ティモシェンコは3月2日、もしもウクライナが以前からNATOに加盟していたら、ロシアのこのような侵略を許すことはなかっただろうと発言した。このあたりが、NATO問題が表面化する嚆矢であったと記憶する。

 実は、ウクライナではヤヌコーヴィチ時代の2010年に、ロシアに配慮して、ウクライナが軍事ブロックには属さない旨の法律が制定されていた。その法律は2014年12月に廃止され、ポロシェンコ大統領はNATO加盟を目指す方針を明確にした。

 一方ロシアは、EU・ウクライナの連合協定に伴い両者間の自由貿易圏(FTA)が成立すれば、安価で競争力の強いEU産品がウクライナに溢れ、それがウクライナ産品と偽装されCIS自由貿易条約の枠組みにより無税でロシアに流入し深刻な被害が発生する恐れがあると主張した。そして、連合協定発効のあかつきには、ロシアはCIS自由貿易条約の例外措置としてウクライナ産品に関税を導入すると警告した。実際、EU・ウクライナのFTAが全面発効する2016年1月1日をもって、ロシアはウクライナからの輸入に関税を導入している。

 EU産品がウクライナ経由でロシア市場に流入するという脅威が実際にあるのかという点に関しては、ロシアの経済学者からも懐疑的な見解が示された。たとえば、ロシア科学アカデミー・ヨーロッパ研究所のA.バジャンは直截に、ロシアはEU産品の流入を本気で恐れているのではなく、ウクライナとEUの関係構築がNATOとの関係拡大にまで発展することこそが核心的な懸念なのだと喝破している (ii)

 その後、ロシアは一連の品目をウクライナから輸入すること自体を禁止し、ウクライナもそれに応戦したため、両国の通商関係は全面的な貿易戦争の様相を呈するようになる (iii) 。もしもロシアがウクライナをユーラシア統合に招いた動機が、純粋に経済的なものであったら、ウクライナがEUとの提携を選択したとしても、ロシアは別の形でウクライナとの経済協力を継続したはずである。それが、ウクライナがEUを選択したとたんに、ロシアにとって経済はウクライナを痛めつけるための手段と化したわけだ。これでは、ロシアの真の目的はウクライナを自国の勢力圏に繋ぎ止めることにあり、経済はそのためのアメまたはムチに過ぎないとの誹りを免れまい。


憲法にEU・NATO路線を明記

 ところで、第2次ウクライナ危機に至るまでに、重要な伏線があったことは見逃せない。
 ウクライナでは2019年1月に、当時のポロシェンコ大統領が再選出馬を正式に表明した。その際の演説でポロシェンコは、ウクライナは2024年にEUへの加盟申請を提出し、またNATOの「加盟のための行動計画」を受け取って履行し始めると宣言した。

 そして、同年2月7日、ウクライナの議会に当たる最高会議は、EUおよびNATO加盟路線を憲法に明記する大統領提出の憲法改正法案を可決した。なお、ウクライナ憲法は総議員数(450)の3分の2となる300以上の賛成で改正できる軟性憲法であり、この時は賛成334で可決された。

 この結果、憲法序文には、ウクライナ民族の欧州アイデンティティと、EU・NATO加盟路線の不可逆性に関する文言が加筆された。また、第102条には、「ウクライナ大統領は、ウクライナのEUとNATOへの完全な加盟に向けた国家の戦略的方針の実現を保証する者である」との文言が追加された。

 こうした進展はあったものの、生活の改善を願う国民の声に寄り添うことなく、親欧米・反ロシア的レトリックを弄するばかりのポロシェンコからは、民心が離れていった。2019年3、4月に実施された大統領選では、政治経験のないゼレンスキーがポロシェンコに対し地滑り的勝利を収め、同年5月20日に第6代ウクライナ大統領に就任した。なお、EU・NATO加盟路線が憲法に明記された状態は、ポロシェンコからゼレンスキーに政権交代しても、変わることはなかった (iv)

 ウクライナがEU加盟を目指すことは、順当な方向性である。また、ロシアにクリミアを奪われ、ドンバス地方への介入を受けてきただけに、NATOに加盟して自国の安全を守りたいという願いも自然なものである。しかし、2019年の時点では、EUにもNATOにもウクライナを加盟国として迎え入れる意向はなく、仮に実現するにしても遠い将来になるはずであった。そのような不確かな状況下で、EU・NATO加盟路線を憲法に明記することが得策だったのかは、考えてみるべき問題である。憲法に明記したところで加盟が進展するわけではなく、ウクライナに非があるわけではないにせよ、プーチン・ロシアを苛立たせるだけになりかねないからである。


第2次危機ではNATOが前面に

 ロシアは2021年終盤にロシア軍を大々的に対ウクライナ国境に集結させ、米紙『ワシントン・ポスト』は12月3日、米情報機関がまとめた報告として、ロシア軍が新年早々にもウクライナに侵攻する準備をしていると報じた。

 そして、プーチン政権はこうした軍事的圧力を背景に、ウクライナがNATOに加盟することと、NATOの兵器システムがこれ以上ロシアの国境に近づくことは、ロシアが許容できない「レッドライン」だと主張。プーチン大統領は12月7日のバイデン米大統領とのオンライン首脳会談で、NATOはウクライナの加盟を認めないとの「法的に明文化された保証」をロシアに与えるべきだとも主張した。

 NATO側がこの要求を飲めるはずもなく、ロシアは2022年2月24日にウクライナへの軍事侵攻を開始する。かくして、第2次ウクライナ危機ではEUではなくNATOの要因が前面に出ることとなった。

 なお、最近一部の論者が、ロシアは実際にはNATOではなく、ウクライナの民主主義と、同国経由でロシアに民主主義が流入することを恐れているのだという論陣を張っている (v) 。しかし、個人的には、ロシアの政治評論家A.マカルキン氏による「ロシアの指導部が、ハリコフの近辺にNATOのミサイルが配備されることを憂慮していると述べる時、たとえそれが将来的なことであっても、彼らは本気でそう思っており、PRではないのだ」 (vi) という解説の方に、説得力を感じる。そして、単にNATOがロシア領に迫るだけでなく、自分たちが本来の領分と見なすウクライナに触手を伸ばすことに、異常なまでの拒絶反応を示しているのだと理解している。

 さて、侵攻開始後、ロシアとウクライナによる和平交渉も断続的に試みられており、一時期は進展が伝えられた。そして、和平で中心的な項目になると考えられているのが、ウクライナの「中立化」である。しかし、上述のような憲法のありようからして、ウクライナの中立化という取り決めは簡単ではない。

 確かに、ゼレンスキー大統領もすでに、周辺諸国が安全の保障を確約することを条件に、NATO加盟を断念することもありうるとの考えを表明している。ところが、ウクライナの現行憲法には、大統領はNATO加盟の実現を保証する者であると明記されてしまっている。ゼレンスキー大統領が中立やNATO非加盟に関し他国と交渉することは、厳密に言えば憲法違反なのである。

 和平交渉において、ロシアはウクライナが憲法からNATO加盟路線を削除することを要求するだろう。しかし、それだけではウクライナが中立を守る担保にはならない。そこで、ロシアとしては、ウクライナが永世中立を守り軍事同盟には加わらないことに関する規定を、いわば永久条項のような形で憲法に盛り込むことを主張するのではないか。憲法のそのような根本的な変更を、大統領の一存で決められるとは思えず、国民投票が必要となろう。


EU加盟問題もくすぶる

 ところで、ロシアのペスコフ大統領報道官は3月16日、ウクライナとの停戦協議で、スウェーデンやオーストリアをモデルにウクライナを「中立化」する案が議論されていることを明らかにした。もし本当にウクライナがスウェーデンやオーストリアのようになれるのであれば、朗報だろう。両国とも、軍事ブロックであるNATOには属していないものの、EUには加盟し、ロシアによる支配の圏外に置かれているからだ。

 EUは連合協定を通じてウクライナと連携しているものの、これまでは同国を加盟候補国として扱ってこなかった。ところが、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、フォンデアライエン欧州委員会委員長は2月27日、ウクライナについて「我々の仲間であり、EUに加盟してほしい」と発言した。ゼレンスキー大統領は翌28日、EU加盟申請書に署名しブリュッセルに送付している。

 それでは、くだんのペスコフ発言は、ロシアがウクライナのEU加盟を容認することを意味するだろうか。ウクライナが、スウェーデンやオーストリアのように、EU加盟・NATO非加盟の国になることを、ロシアは認めるのだろうか。確かに、対ウクライナ交渉に臨んだロシア代表団のV.メジンスキー大統領補佐官が3月29日に、ロシアはウクライナのEU加盟に反対しない旨述べたことは注目に値する。

 しかし、結局のところプーチン大統領の行動は、きわめてプリミティブな縄張り意識に根差している。今般の軍事侵攻は、少なくとも当初は、ウクライナに傀儡政権を樹立することを目的としていたと考えられるわけで、ウクライナのEU加盟はその戦略とまったく整合しない。よしんばウクライナのNATO非加盟の問題がクリアされたとしても、ウクライナのEU加盟の是非をめぐりなお曲折が予想される。

 以上見てきたように、第1次ウクライナ危機においては、主たる争点はEUであったものの、当初からNATOの要因も孕んでいた。第2次ウクライナ危機においては、NATOの問題が前面に出る一方、その過程で将来的なウクライナのEU加盟がにわかに現実味を帯びることとなった。ロシアはEUとNATOをセットで見る傾向が強く、果たしてウクライナのEU加盟・NATO非加盟というシナリオが実現するかどうか、事態はなおきわめて混沌としている。

(i) 以上、第1次ウクライナ危機に関し詳しくは、服部倫卓「ウクライナのユーロマイダン革命」『ロシアNIS調査月報』(2014年4月号);同「ウクライナ大統領選とポロシェンコ」『ロシアNIS調査月報』(2014年7月号);同「ウクライナ経済の実相と対EU関係」『日本EU学会年報』(第35号)等参照。
(ii) http://en.instituteofeurope.ru/images/uploads/doklad/317.pdf
(iii) 服部倫卓「激化するウクライナとロシアの貿易戦争」『ロシアNIS調査月報』(2020年8月号);同「ウクライナ・ロシアの貿易戦争は続く」『ロシアNIS調査月報』(2021年8月号)。
(iv) 以上の経緯に関し詳しくは、服部倫卓「2019ウクライナ大統領選挙の顛末 ―異例の政権交代はなぜ起きたのか」『ロシアNIS調査月報』(2019年6月号);同「ウクライナ・タレント大統領誕生で何が変わるか」『外交』(Vol.55, May/Jun. 2019)参照。
(v) たとえば、英王立国際問題研究所のオリシア・ルツェビッチ特別研究員。
https://digital.asahi.com/articles/ASQ294JGZQ24UHBI03Y.html
(vi) https://www.mk.ru/politics/2022/02/08/rossiya-v-oborone-chem-nyneshnyaya-kholodnaya-voyna-otlichaetsya-ot-sovetskoy.html


執筆者プロフィール
服部倫卓(はっとり・みちたか)
一般社団法人ロシアNIS貿易会 ロシアNIS経済研究所 所長

1964年静岡県生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士後期課程(歴史地域文化学専攻・スラブ社会文化論)修了(学術博士)。主な著作に、『不思議の国ベラルーシ ―ナショナリズムから遠く離れて』(岩波書店、2004年)、『ウクライナを知るための65章』(共編著、明石書店、2018年)など。

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