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ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界 (11) インドとロシアの戦略的関係のゆくえ 防衛大学校 教授 伊藤 融 【2022/8/24】

ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界

(11) インドとロシアの戦略的関係のゆくえ

掲載日:2022年8月24日

防衛大学校 教授
伊藤 融

ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始して以来、日米など西側諸国では、インドの「ロシア寄り」姿勢に対する驚きや失望が広がった。この背景には、今世紀に入ってから西側各国がインドとの間で、民主主義国として価値を共有すると繰り返し確認したという経緯がある。とくに近年では、二国間でもクアッド(日米豪印)などの枠組みでも、インドとの戦略的関係を強めてきた。それにもかかわらず、インドはなぜ今回は西側と行動を共にせず、ロシア非難にも制裁にも応じようとしないのか。なぜそこまでロシアに忖度する必要があるのか。こうした問いである。ウクライナ侵攻は「時の試練を経た」印ロの絆の強さを再燃させたようにみえる。はたしてそれはどの程度妥当なのだろうか。そして印ロ関係の基調は今後も変わらないのだろうか。


侵攻後のインドの対ロ姿勢の実態

 まずインドの「ロシア寄り」といわれる姿勢から確認しておきたい。インドはロシアを支持する立場を取ったわけではない。侵攻開始後、インドは国連安保理(非常任理事国)、国連総会、国連人権理事会、国際原子力機関(IAEA)に提出されたロシア非難決議案のすべてにおいて「棄権」票を投じた。こうした投票行動はアフガニスタン侵攻をめぐって開かれた1980年の国連総会緊急特別会合、クリミア併合をめぐる2014年の国連総会と同じである。

 しかし今回特筆すべきなのは、棄権の際の「投票説明」において、これまでにない不快感をインドがロシアに示したという事実である。インドの国連大使は、軍事侵攻に「非常に困惑している」として、2万人以上のウクライナ在住のインド人の安全に影響が及ぶことへの「深い懸念」を表明した。それにとどまらず、国際法、主権、領土一体性の尊重などの重要性を明言し、力による一方的な現状変更は許されないと釘を刺してもいる。同じ主張はその後の西側各国との二国間会談やクアッド首脳会合等でも繰り返された。インドがロシアの行動を支持しているわけではないのである。

 それでも西側からみれば、インドの立場は事実上、「ロシア寄り」だと映った。というのも、インド側はロシアの名指し非難、経済制裁に加わるよう求める西側の度重なる呼びかけを頑として拒絶したからである。そればかりか、西側の制裁の網をかいくぐるかのようにルピー・ルーブル決済でロシア産原油を割引価格で購入したり、ウクライナ支援のための自衛隊機のインド着陸を拒否するなどしたことが西側の神経を逆なでした。


インドのおかれた厳しい地政学状況

 インドのこうした行動は、ロシアとの古くからの関係にひきずられているからだとか、兵器を依然としてロシアに依存しているためだという説明を頻繁に耳にする。筆者は、それは間違いではないものの、今回の行動の主要な動機とはいいがたいと考えている。現在のモディ政権には、世代的にみても、与党インド人民党の性格からみても、冷戦時代の「非同盟」への拘りはまったくといっていいほど感じられない。しかも現在のインドでは兵器調達も多角化している。たとえいまはロシア製の銃や戦闘機を使い、そのメインテナンス等でロシアの協力を必要としているからといってロシアに頭が上がらないということはない。国連安保理等でインドを支持してくれるのも、もはやロシアだけではない。インドの選択肢はかつてに比べると格段に増えている。

 したがって問われるべきなのは、それにもかかわらず、なぜ「棄権」にとどまったのか、ということであろう。ここで重要な視点は、インドは海洋国家であるのと同時に、大陸国家でもあること、そしてそのユーラシア大陸での外交戦略、安全保障上の懸念がこの1、2年で大きなものになってきているということである。すなわち、2020年からの中国による実効支配線への攻勢、2021年のアフガニスタンからの米軍の撤退とタリバンの復権、そしてそれに伴う中国、パキスタンの影響力拡大である 。他方で、インドが中パに対抗するため地政学上もエネルギー戦略上も重視するイランとの関係は、トランプ政権退陣後も制裁によって妨げられたままである。

 モディ政権からすれば、いくらクアッドとの関係を深めようとも、インドの大陸国家としての利益には寄与しないとの認識がある。いわば四面楚歌のユーラシア大陸のなかで、さらに「非友好的な国」を創りだして孤立したくはないというのが本音であろう 。


ロシア・カードの限界

 もちろん、インドにはジレンマもある。西側から指摘されるまでもなく、戦闘が長期化するなかで疲弊したロシアが中国依存を深めた場合、ロシアはまったく頼りにならなくなるかもしれないということはわかっている。ロシアにとってインドよりも中国のほうが不可欠なパートナーとなってしまえば、中国はインドへの軍事的攻勢にさらに自信を深める恐れがある。ロシア製兵器やエネルギーが今後も安定的に確保できるかどうかも疑わしくなろう。

 また、侵略と非人道的な行為に断固たる対応をとらなかった、と少なくとも「西側」からはみられることが、インドの外交・安全保障環境に及ぼす影響も懸念される。力による現状変更を許さないというメッセージを発しながらも、実際にはそうした行動を取ったロシアとの関係を維持・強化し続けるというのは、西側の信奉する原理原則に忠実な国とは受け止められまい。西側のインドに対するイメージと信頼は傷つくかもしれない。実際、バイデン米大統領が口にしたように、どの国もインドへの不満を募らせた。それでもいまのところは対中国を睨んだ「インド太平洋」のパートナーとして、インドは不可欠だという計算が優先されてはいる。しかし戦闘の長期化のなかでインドがロシアの侵略戦争を経済的、外交的に支える構図が明らかになるならば、西側の世論、指導者の「忍耐」も限界を迎えるかもしれない。

 インドもそれに気づいていないわけではない。2022年7月、ドイツ・エルマウでのG7サミットに招待国として参加したモディ首相が、人権や報道の自由といった概念を含む「強靭な民主主義声明」にコミットしたことはこの文脈のなかで理解できよう。現在のモディ政権下のインドでは、ムスリムへの弾圧やソーシャルメディアへの規制が強まっていることが米国等でも問題視されている。この点でモディ首相としては、インドが中国やロシアと同一視されることは避けたいと考えたのではなかろうか。

 このようにみると、インドは今回、自らを取り巻く当面の戦略環境に鑑みてロシア・カードを保持することにしたものの、そのカードの意味合いが中長期的には低下する懸念は自覚している。まただからこそ、西側のカードを失うわけにはいかない。西側はインドの大陸国家としての懸念に直接は応えてくれなくとも、経済・政治面ではインド大国化の頼れる支援勢力であり、そのことが中国に自前で対峙するうえでも不可欠である。「アルタ」と呼ばれる実利の観点からプラグマティックに行動することに長けたインドが、ロシアと最後まで行動を共にし、心中するなどということは考えにくい。


日本に求められるもの

 ここに、日本を含む西側が役割を果たしうる可能性がある。しかしそのためには、まずもってわれわれが「大陸国家」としてのインドの立場と懸念を理解することが出発点となろう。もちろん、軍事的な関与は難しいし、「戦略的自律性」を重視するインド側もかならずしもそれを望んでいない。しかしたとえば、インドの経済面での脱中国に向けた協力は可能であろう。印中間では実効支配線付近での2020年の衝突以降、軍事対峙が続く。そうしたなか、モディ政権は「自立したインド」を掲げ、経済の脱中国化を図ろうとしている。にもかかわらず、2021年、新型コロナ「第二波」に見舞われたインドでは、中国からの輸入額が過去最高額に達するなど、その実現は容易ではなく、日本などとの連携に期待している。日豪とのサプライチェーン強靭化イニシアティブ(SCRI)や、インド太平洋経済枠組み(IPEF)への参画表明はそのあらわれである。

 また2022年5月のクアッド首脳会合でも示されたように、地域のインフラや債務問題への対処も重要である。インドは中国が「一帯一路」と「債務の罠」を通じてインド周辺国に影響力を拡大させることに強い警戒感を抱いてきた。ここで協力を得られるパートナーがロシアでなく、西側であることは論をまたない。そしてそうした経済連携を梃子にしながら、地域の安定化・民主化を進めることも期待されよう。

 もちろんそうしたインドとの協力のバックボーンには、自由や人権の尊重、民主主義といった共通の価値観がなければなるまい。そうでなければ日本や米国にとってもインドと連携することの意味は薄れてしまうし、国民の理解も得られまい。もっとも、欧米はしばしば「上から目線」ともみられるような露骨なやり方で、インドにおける人権状況や宗教問題について「説教」し、インド側の強い反発を買うことがある。インドには中国やロシアとは違い、さまざまな民族・宗教が共存した多様性のある「世界最大の民主主義国」であるという自負心がある。それに違わぬ行動をインドに慫慂するのに、同じアジアの日本ほどふさわしい国はないのではなかろうか。


執筆者プロフィール
伊藤 融 (いとう とおる)
防衛大学校 人文社会科学群 国際関係学科 教授
中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、博士(学術)。在インド日本国大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授等を経て2009年より防衛大学校に勤務。2021年より現職。インドを中心とした国際関係、安全保障問題に関わる著作多数。主著として、『新興大国インドの行動原理―独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会、2020年がある。専門は、南アジア国際関係、インド外交・安全保障。




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