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解決不能の二律背反 ― ウクライナ・ロシアとイスラエル・ハマス

「岐路に立つ世界と混迷の行方」

解決不能の二律背反
― ウクライナ・ロシアとイスラエル・ハマス

掲載日:2024年3月28日

青山学院大学・新潟県立大学名誉教授
袴田 茂樹

はじめに

 世界は新たな混乱の時代を迎えている。その象徴が露によるウクライナ侵略戦争と、ガザ地区のイスラム過激派ハマスによるイスラエル奇襲攻撃およびそれに対するイスラエルの反撃である。これら諸問題は、いずれも原理的な二律背反をはらんでいる。この場合の原理的二律背反とは、交渉とか話し合いで停戦や休戦条約を締結する可能性が、見通せる将来には存在しないという意味だ。

 本稿では最初に前述の二つの難問題を概観する。次いで、かかる事態に至った背景として、冷戦後の世界における「平和の配当」問題に目を向けたい。そして「むすび」として、やや突飛だが、長年ドイツに在住したロシア人の含蓄のあるイスラエル観を紹介したい。

露のウクライナ攻撃とハマスのイスラエル攻撃

 露による「特別軍事作戦」開始(22.2.24)以来、戦争は2年以上続いている。プーチン大統領(以下、敬称略)は様々な機会に、幾度も和平交渉や停戦のための話し合いの用意があるかの如き発言をした。しかし、彼が対ウクライナ戦争開始後、和平交渉(停戦交渉)に関し最初に述べた条件は撤回していない。つまり、クリミア半島と露の法律で露領と規定された(22.10.5)ウクライナ東・南部の4州の帰属問題は、交渉のテーマにしない、との条件である。メドベジェフ安全保障会議副議長(前大統領)も、ウクライナは明らかに露の一部だとし、ウクライナ政府が将来露との交渉を望む場合は「新しい現実」を認める必要があるとし、帝政ロシアとソビエト連邦を賞賛、ウクライナが屈服するまで「特別軍事作戦」を遂行すると表明した(ロイター 24.3.4)。ウクライナ側は同国が主権国家であることを真っ向から否定しているこのような主張は原理的に受け入れられない。

 またプーチンは2014年3月18日以来幾度も、歴史的に「ロシア人とウクライナ人は一つの国民」だと強調した。これは、ウクライナ全体が露領であるとの主張だ。また彼は、ゼレンスキー政権を「ネオナチ」と呼んでいる。つまり、この政権とは交渉しないとの意思表明だ。とすれば、露軍はウクライナ全土の併合にまで進むとの意思表示をしていることになる。ちなみに1945年10月に国際連合が発足した時の原加盟国51カ国には、ソ連邦の一部であったウクライナと白ロシア(ベラルーシ)が独立国(主権国家)として加盟しているが、プーチンがそのことを批判したことはない。

 和平案に関しては、この夏までにスイスで各国首脳級会談が開かれる可能性があるとされるが、ロシア、ウクライナの両首脳が出席する会談はほぼ不可能だ。その理由だが、22年2月に武力侵略を受けた立場のゼレンスキーは10項目の「平和の公式」を発表している(22.11.15)。彼は、露の対ウクライナ占領や戦闘を全否定し、侵略されたウクライナ側の主張を認めることが、和平案妥結の条件としている。その10項目の中には、⑤国連憲章の履行とウクライナの領土一体性の回復、⑥露軍の撤退と戦闘の停止、➉戦争の終結も含まれている。

 このように、両国の譲れない主張が原理的な二律背反である以上、和平は、戦闘によるウクライナか露のどちらかの全面的な敗北以外に想像できない。クラウゼビッツは、戦争は政治の延長であると述べたが、政治的な「話し合い」で国家間の政治問題がすべて解決可能であれば、そもそも悲惨な大量流血を伴う戦争は起きないはずだ。

 次に、原理的な二律背反の具体例として、ガザ地区の武装過激派集団ハマスとイスラエルの対立を簡単に概観したい。2023年10月7日のハマスによるイスラエルに対する奇襲攻撃で約1,200人が殺害され(負傷者はその2-3倍以上と推定される)、約240人が人質にされた。ハマスはガザに隣接したキブツ(イスラエルの農場共同体)で開催されていた音楽祭会場などを襲撃しているので、死者のほとんどはハマス武装勢力によって一方的に虐殺されたイスラエル側の人たち(外国人も含む)だろう。年齢も青年層が多いと報じられ、女性たちに対する凄惨な凌辱もBBCなどが詳報し、現在国連での調査が進んでいる。

 ハマスはイスラエル軍の予想以上の反撃の強烈さに、今は恒久的な停戦合意を求めたりしているが、イスラエル軍は攻撃をさらに強化する姿勢だ。それゆえ、現在は国際社会の政治家の言やメディア報道も、ハマス批判よりもイスラエル批判がより強くなっている。

  ハマスとイスラエルの対立を原理的二律背反と述べる背景には、イランの存在がある。イランは1979年のイスラム革命で、世俗国家からイスラム教の宗教国家になり、イスラム教の戒律を国の最高の法・教典としている。筆者が不可解だと思うことは、中東問題がこれだけ尖鋭になりながらも、イスラム諸国やアラブ諸国を研究する専門家たちやメディアが、今日の中東問題の背後にある最重要の問題点、すなわち宗教国家イランの極めて重要な役割についてほとんど言及しないことだ。

 駐日イラン大使館のサイトには、1979年のイスラム革命について「コッズの日」として次のように述べている。「(イスラム共和国建国者)ホメイニ師は、パレスチナにおけるシオニスト政権の樹立を悪魔の行為だとしている。」つまり、イラン政府は、1948年のイスラエル建国を、今日でも「悪魔の行為」としているのだ。

 そして、イラン憲法の前文「軍隊」の項目には、「イランにおける軍(より正確にはイスラム革命防衛隊)は、単に国境を防御し安全を保証するだけでなく全世界で聖戦(ジハード)を闘い抜く」と宣言している。もちろん悪魔の造ったイスラエルの撲滅は、聖戦の最重要課題だ。中東のイスラム過激派軍事組織、つまりガザのハマスも、レバノンのヒズボラも、イエメンのフーシ派も、イランから財政支援、軍事支援を受けている。ちなみにヒズボラは、1982年にイランの支援で誕生した組織で(悪魔に対する)「神の党」を意味する。ハマスはイランの首都テヘランに、他国の大使館と同様イランの警備付き代表部を持ち、駐イラン代表は日本人記者のインタビューに「ハマスは数十年前から革命防衛隊を通じ、イランから資金や武器などの支援を受けてきた」と述べた(産経新聞 24.3.14)。

 ちなみに、イランの人口は約8,800万人。イスラエルは約940万で、その内ユダヤ人が約700万人、アラブ人が約200万人である。イスラエルのユダヤ人は、人口10倍以上のイランから、国を抹殺される危険性を常に感じている。すなわち、自国を喪失したディアスポラとして、歴史的に経験した反ユダヤ主義やホロコーストなどに今後も遭う危機意識である。

 最近、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員12人が、イスラエルへのハマスの武装攻撃にあたって、弾薬供給、イスラエル人(含む外国人)の拉致、遺体の運搬その他の形で関与していたと報じられた。ちなみに、UNRWAの職員は約13,000人で、その内約1,300人がハマスなどと関係があり、前述の12人はガザでは学校の教員や職員だという。ガザ地区では、戦闘員と一般市民の明確な区別はないとの報道もある。また、イスラエル軍はUNRWAのガザ市の本部(拠点)でトンネル(長さ700m、深さ18m)を発見したと発表し、トンネルの入り口や電子装置などが並ぶ指令室の動画を公開した。トンネルの入り口は学校内、指令室も学校の地下にあった(共同通信 24.2.11)。ハマスはガザ地区に網の目のようにトンネルを張り巡らせている。


今日の中東紛争認識への疑問

 筆者としては、イスラエル建国で難民となったパレスチナのアラブ人の怒りに対しては強い共感を覚えるし、ネタニヤフ首相の極右路線やヨルダン川西岸へのユダヤ人居住区拡大を支持している訳ではない。人口約230万人のガザ地区はハマスの支配地域であり、保健当局も病院も学校も、ハマスの統治・統制下にある。ハマスの奇襲攻撃に関係していたという国連職員の皆が、ガザ地区の学校関係者だったことは偶然ではない。彼らが皆ガザ地区の病院関係者だったとしても驚かない。

 わが国の現在の中東紛争報道には疑問を抱く。例えばわが国のA紙は(24.3.1)、昨年10月に始まった新たな中東紛争について、「23年10月にイスラム組織ハマスとイスラエルの軍事衝突が始まった後に……」と書いている。事件が生じたのは、ハマスによるイスラエル国内の平和市民への凄惨な奇襲攻撃からで、両国軍の軍事衝突からではない。ガザ地区のハマスに対する、特に病院などに対するイスラエルの反撃やその結果の負傷者とか飢えた子供たちの悲惨な映像は、各国のテレビや報道機関などが生々しく繰り返し伝えた。しかし、ハマスがイスラエルでの音楽フェスティバルを奇襲攻撃した時、死者が約1,200人と言われるので、負傷者は少なくとも2,000-3,000人はいるだろう。彼らの多くがスマホの写真や動画でハマス攻撃やその後の悲惨な状況を記録していることに疑いはない。しかし、わが国のメディアでも、その写真や映像がほとんど報じられないのは何故だろうか。

 ガザの多くの子どもや女性が凄惨な状況の被害者、つまりイスラエルの軍事攻撃や、電力停止、水・食料不足などで、死傷したり飢餓状態にも陥ったりしていることは事実だ。UNRWA 職員のハマスへの軍事協力問題で、UNRWAへの資金提供を16カ国が中止したが、その後数カ国が復活させている。今年3月半ばには、NGOによってガザに近い国キプロスから食料や医薬品約200㌧がガザに届けられている。欧米もガザへの「海上回廊」で1日200万食の補給を準備中だ。これらを批判するつもりはないが、ハマスの最高指導者たちがカタールその他の国に、個人でそれぞれ数千億円以上の資産を保有して豪勢な生活を享受している。日本を含めて国際支援を受けているパレスチナ自治政府の議長や指導部も巨額の資金を、公私の別なく動かす汚職状況だ。このような事態を、パレスチナ支援をしている国際社会はもっと厳しい対応で是正すべきではないか。

 筆者がさらに不可解に思うことがある。それは、10年近く前から指摘されていることだが、ハマスが統治しているガザ地区は、食料自給率はイスラエルが9割以上に対して、ガザ地区は約4割、地下水も過剰揚水で井戸水が汚染、電力も自給できておらず、1日数時間の停電が続くことも少なくなかった。日本のJICAも2015年から「ガザ地区復興支援調査」を行い、医療支援や食糧支援を行ってきた。つまり、ガザ地区は電力や水だけでなく、食料品や医薬品も隣国イスラエルや他の支援国に依存しているのだ。

 イスラエルの激しい反撃に遭ったハマスは今「恒久的停戦」を求めているが、昨年10月にイスラエルを奇襲攻撃すれば、ハマスが地図上から抹殺しようとしているイスラエル側は、電力や水などを止め、またハマスが明らかに「盾」として利用しているガザ地区の学校・病院などを攻撃するのは、つまり子供や女性の犠牲者が多く出るだろうことは、ハマスにとっても自明の事だったのではないか。

 国家間関係とか国際情勢は、ハマスが考えるほど甘くはないことを示す実例がある。ロシア内のイスラム系の多いタタルスタン共和国は、強力なM・シャイミエフ指導者の下でソ連邦崩壊後は独立国を目指した。ガザ地区と異なり、同共和国は石油・ガスは輸出可能で、電力、水、食料も自給可能だ。しかし、周囲をロシアに囲まれているので、結局独立を諦めた。独立宣言で露と対立したら対外貿易さえもできないからだ。正しいか否かは別として、これが現実的な対応だ。国際社会はガザ地区への支援強化より、ハマスの情勢認識の甘さ、つまり多くの市民や子供、女性、病人たちを当初から盾として利用するつもりで、「イスラエル抹殺」のための攻撃を始めたことを、より強く批判すべきではないのか。


冷戦後の国際的な無秩序

 次に、冷戦後の「平和の配当」政策が、今日の新たな国際的無秩序と混乱をもたらしたことを指摘しておきたい。冷戦期には、東西が軍事的に対峙していた。1991年にソ連邦が崩壊し社会主義陣営が崩れた後、多くの者が、これから世界に自由と民主主義が広まると、ある種のユーフォリア(躁状態)になった。その典型が、日系アメリカ人で政治学者のフランシス・フクヤマが述べた『歴史の終わり』(1992年出版)だ。これは、「紛争と戦争の歴史は終った。これからは平和と自由、民主主義が世界に広まる」という意味である。しかし現実は、数十年の冷戦時代こそ例外的な「安定の時代」で、人類の長い歴史から見ると、むしろそれが歴史の例外であった。

 1985年に冷戦の一方の雄である専制独裁国家のソ連共産党のトップにゴルバチョフが登場し、「ペレストロイカ(世直し)」と称する言論の自由化(グラスノスチ)路線や市場化を取り入れた経済改革路線を始めた時、筆者を含めて欧米世界の論者はそれを歓迎した。その後、1986-87年に筆者はソ連、東欧、中国などの社会主義諸国を回って多くの知識人や一般庶民と、個人的に突っ込んだ話し合いを行った。1960年代から70年代にモスクワ大学大学院に5年間留学し、その後も年に数回訪露(訪ソ)していたので、社会主義国の人たちと個人的に本音で話すノウハウは身につけていた。その体験を著書にまとめたが、その一節を以下紹介する。

 「一般に東欧の人たちと話していると、庶民、知識人を問わずソ連に対してある共通の基本認識がある。それは、ソ連あるいはロシアは、誰が指導者になろうと、どんな政策を出そうと、本質は変らないのだという、一種の諦めである。ゴルバチョフ書記長のように多少西欧的で近代的な指導者が現れて改革案を打ち出したとしても、それによってロシアが本質的に変わるということは信じられないのだ。」(『深層の社会主義』筑摩書房、  1987.4)

 「政治とは最終的には力である、しかもなりふり構わぬ物理的な力のぶつかり合いだ、という厳然たる象徴(キューバ危機)を見ていると、人類の何千年の歴史や文化は一体何だったのだろうかと複雑な気分にもならざるを得ない。」(同上)

 1991年にソ連邦が崩壊し、90年代のエリツィン時代の大混乱・無政府時代を経た後、2000年3月にV・プーチンが大統領選挙で当選した。彼が掲げた最初の政策は法秩序の形成であり、それを彼は強い言葉で「法の独裁」と言った(袴田茂樹著『プーチンのロシア 法独裁の道』NTT出版、2000.10)。その頃彼はゴルバチョフと同じく、露がアジア的な専制国、独裁者の世襲国家ではなく西欧社会の一員になることを主張していた。彼が就任したのは2000年5月だが、就任の前に、私は次のように述べた。

 「国際社会としても、ロシアの法治国家確立の努力はむしろ支持しなくてはならない。……もし警戒するとすれば、今後プーチン政権がその基本課題の枠を超えて、反人権的で対外的にも危険な軍事国家や警察国家になる時である。もちろんこの可能性は排除できず、もしその兆候が現れたら、そのとき国際社会は、あらゆるアプローチを通じてそれを阻止すべきなのである。ロシアという国は、われわれの国の物差しで計ってはならない。」(『フォーサイト』新潮社、2000.4)

 私がこう述べたのは、東欧諸国の人たちとの深い交わりと、「どんな指導者や新政策が現れようと、ロシアの本質は変らない」という前述の彼らの信念が影響したのかも知れない。もちろん私自身のソ連での5年間の留学生活も影響している。余談になるが、1967年に私がソ連に留学した頃のソ連人は、世界で真の独立国は米国とソ連、それに中国とドゴール大統領のフランスの4カ国だけだと、述べていた。国際法上は独立国として国連を形成する「主権国家」なるものは、単なる建前と見ていたのだ。

 プーチンが国際的に初めて欧米を公然と厳しく批判し、対立姿勢を示したのは、2007年2月のミュンヘン安全保障会議においてだった。

「平和の配当」で国家の廃止も!

 冷戦終了後、日本および欧米諸国の政治家や専門家たちは、ソ連を中心とする社会主義陣営と米国を中心とする自由主義陣営の対立は終焉したとして、F・フクヤマのようなユーフォリア状態に陥り、そこから出てきた安全保障の考えが、「平和の配当」という考えだった。つまり、共産党独裁と対立した冷戦は終わり、今後は自由と民主主義が世界に広まる平和の時代が始まった。軍備に国家予算の多くを割くのは馬鹿げている。軍備費を削減し国家予算は経済発展や民生部門に回すべきという考え方である。

 「平和の配当」に関して、今から思うと更に驚かされるのは、単に軍備の縮小だけでなく、「国家の廃止」を多くの人々が本気で考えたことだ。1992年に調印されたマーストリヒト条約で、欧州連合(EU)が創設された。それまでの国民国家の国境を無くしたEUの世界に与えた衝撃は大きく、わが国を含めて各国の政治家や国際政治学者たちの多くが、EUこそ人類の将来を示す新たな共同体だ、国家や外交官などはもはや博物館行きだ、といったユーフォリア的発想に捕らわれ、それは2010年代まで続いた。フランスの元外相でその前はミッテラン大統領(任期1981.5-1995.5)の外交顧問でもあったユヴェール・ベドリーヌが、社会党政治家でありながら『国家の復権』を発行して「国家が行っている仕事は、国連その他の『救いの神』が代ることはできない」と、今日から考えると当たり前のことを述べたのは2007年だった(邦訳『「国家」の復権』2009年、草思社)。ただ、長年国連信仰が最も強かったのは日本国民であった。

 わが国では、冷戦終了ではなく、第二次世界大戦が終了後に連合国によって作成された日本国憲法(1946.11.3公布)の前文で平和主義を唱え、第九条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定め、この非現実的な憲法は戦後一度も改正されていない。ちなみにドイツ憲法は、西ドイツ時代以後今日まで六十数回改正されている。したがって今日もわが国では自衛隊を国軍とか国防軍と呼ぶこともできず、無理な憲法解釈で自衛隊を維持して来た。この状況の中で、第二次世界大戦後の日本においては、長年「国家」は人権を守るためのものではなく、逆に両者は対立するもの、即ち「国家=悪」との概念がいわゆる進歩的知識人や日教組など左派の間に広く浸透した。したがってわが国では、「平和の配当」以前から、自衛のための予算は、対国内総生産(GDP)比で1%以内とされ、それこそが平和を守る基本とされてきた。

 「平和の配当」としての軍備縮小は、旧西側諸国だけでなく、グルジア戦争(2008年)や「クリミア併合」からも分かる帝国主義的傾向が強い露にさえも広がった。したがって、2022年に露がウクライナ侵略を始めた後、米国と並ぶ世界最大の軍事大国と見られていた露が、弾薬不足で世界最貧国の一つである北朝鮮に弾薬を100万発以上頼る結果となった。

 NATO諸国も、冷戦後は軍事費を大幅に縮小し、NATOの維持は主として米国に頼った。この「平和の配当」への甘えが大きく変わるきっかけは2022年2月の露によるウクライナ侵略であるが、それ以前からの米国の変化も影響している。オバマ大統領(2009.1-2017.1)は2009年の就任早々、前年の露によるグルジア戦争にもかかわらず、米露関係の「リセット」すなわち関係改善を唱えた。2013年にはシリア情勢を巡る「レッドライン」発言で失態を演じ、化学兵器の国際管理を唱えたプーチンに救われた。このオバマの弱気の姿勢が2014年の露による「クリミア併合」の一つのきっかけとなった。2015年にはオバマは「米国は世界の警察官ではない」として、中東から手を引く姿勢を見せた。トランプ大統領(2017.1-2021.1)は同盟国のNATO諸国や日本に対して、軍事費の増額を求めていた。このような米国の変化に続いて、2022年2月に露のウクライナへの軍事侵略が始まった。EUは23年3月に、24年3月までに砲弾100万発(20億ユーロ)をウクライナに供与するとの計画を決めた。しかし23年11月の時点で、この計画の達成が困難だと報じられ(達成率30% ロイター)24年3月初めの時点で、EUが70万発以上の砲弾をウクライナに出荷するのに数カ月はかかるとも言われている。

 ちなみに、NATOが軍事費の支出を加盟各国が対GDP比で2%以上と決定したのは2014年だったが当時は3カ国しか達成していなかった。24年初頭には、これが18カ国に増加した。ドイツの軍事費は1963年、まだ西ドイツ時代だが、対GDP比は5%だった。それが2022年には、「平和の配当」への甘えの結果、1.39%にまで下がっていた。ドイツ国防省報道官は24年2月14日、当年度の国防費として特別予算718億ユーロを計上し、冷戦終結以来、初めて対GDP比2%を達成したと発表した(ロイター 24.2.14)。


むすび

 最後に、イスラエル問題に再度帰るが、近年のドイツ国民のイスラエルに対する厳しい見方について、長年ドイツに在住していたロシア人が10年以上前に、露有力紙『独立新聞』に疑問を書いている。その一部を紹介して、結びの言葉に代えたい。そのまま今日の世界のイスラエル観への疑問と思えるからだ。文中の「教育」は「教育とメディア」、「パレスチナ」は「ガザ地区」と置き換えれば分かり易い。

 「ホロコーストの過去があるにもかかわらず、ドイツ人は、特に近年は、イスラエル批判の傾向が強い。ドイツの世論調査機関Forsaによると、49%のドイツ人は、イスラエルを攻撃的(侵略的)な国だと見ており、13%は、国家の存在を認めていない。Die Welt紙によると、大部分のドイツ人が、多かれ少なかれイスラエルを世界にとって脅威と見ている。それどころか、イスラエルのパレスチナ人への対応を、大戦中のドイツ人のユダヤ人への対応に擬えている。

 これとは異なり、ロシア人の大部分(69%-2011年)はイスラエルを好意的に見ている。理由は2つある。第1に、イスラエルでは医療や福祉、経済などが発達し、政治も民主的だからだ。第2に、国民の支持を得た軍の能力が高く、アラブのテロリストから領土や自国民を断固として守っており、国民が団結して士気が高く、集団的な責任感も強いからだ。両国のこのイスラエル観の違いは、教育に原因があるのではないか。ドイツの主な教科書はいずれも一方的に、パレスチナ側を犠牲者、イスラエル側をその災難の責任者として描いている。1948年のイスラエル建国後、アラブ諸国は正規軍をパレスチナに送り込み、ユダヤ人の軍と居住地を攻撃した。その目的はイスラエル建国の阻止であった。残念ながら、今日のドイツの教科書では、このような事実への言及がない。

 ただ、このような歴史の歪曲は、ロシアの歴史教科書の自国の歴史叙述についても言えることである。」(『独立新聞』2011.11.1)


執筆者プロフィール
袴田 茂樹(はかまだ しげき)
青山学院大学 名誉教授 / 新潟県立大学 名誉教授

1967年東京大学文学部哲学科卒、モスクワ大学大学院修了、東京大学大学院国際関係論博士課程単位取得退学。プリンストン大学客員研究員、東京大学大学院客員教授、ウズベキスタン世界経済外交大学客員教授、青山学院大学 国際政治経済学部 学部長等を歴任。ロシア東欧学会元代表理事、安全保障問題研究会会長。サントリー学芸賞元選考委員。
著書:『現代ロシアを見る眼「プーチンの十年」の衝撃』(共著・NHKブックス、2010年)、『現代ロシアを読み解く ― 社会主義から「中世社会」へ』(ちくま新書、2002年)、『プーチンのロシア 法独裁への道』(NTT出版、2000年)、『沈みゆく大国 ― ロシアと日本の世紀末から』(新潮社、1996年)、『文化のリアリティ ― 日本・ロシア知識人 深層の精神世界』(筑摩書房、1995年)、『ロシアのジレンマ ― 深層の社会力学』(筑摩書房、1993年)、『ソ連-誤解を解く25の視角』(中公新書、1987年)、『深層の社会主義 ― ソ連・東欧・中国こころの探訪』(筑摩書房、1987年、サントリー学芸賞)など多数。



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