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コロナの先の世界(2) ーグローバリズムの終焉と新たな国家像ー 一般財団法人 国際経済連携推進センター 評議員、青山学院大学 名誉教授 袴田 茂樹 【2020/05/05】

コロナの先の世界

(2) — グローバリズムの終焉と新たな国家像 —

掲載日:2020年5月5日

一般財団法人 国際経済連携推進センター 評議員
青山学院大学 名誉教授
袴田 茂樹

はじめに
 現在私たちは、全く誰も予想していなかった新型コロナウイルスCOVID19パンデミックの真只中にある。世界が同じ深刻な危機をこのように共有したことは近年なかった。人類は共通の危機下に置かれ、今後成り行き次第では何十万、何百万の死者、感染者の発生も否定できない。そこで今世界の国々は、国を挙げて自国の非常事態への対応を第一優先課題にせざるを得なくなっている。この記事執筆中の5月2日にも、私の携帯にゴールデンウィークの外出自粛を求める神奈川県知事からの緊急速報が入った。知事からの県民個人への緊急要請は第2次世界大戦後初めてだ。新たな「世界大戦」が生じたと言っても誇張ではない事態である。
 今回のコロナウイルス事件を境にして歴史は根本的に変わるとし、現代史を後世の人たちは、2020年を境目にしてBC(Before Corona または Before COVID19)、AC(After CoronaまたはAfter COVID19)と呼ぶだろう、との見解もあるほどだ。変わる、変わらないは物差し次第だが、過去の世界大戦や世界的大事件後はどうだったか、これについては私見を後述する。
 この異常な事態の中で、一方では民主主義国において感染拡大が一層深刻化しているのに対し(米国では100万人超)、他方ではコロナウイルス感染発生の地として当初は被害が一番大きかった独裁政権の中国が、5月22日には全人代開催の自信を見せるまでになっている。これを見て、民主主義国より強権的国家の方が深刻な危機には強いのではないかとの見方も出ている。また、一時は国民国家を乗り越えたグローバリズムのお手本と理想化された欧州連合(EU)においても、パンデミックの深刻な危機が広がる中で加盟国は自国第一主義の立場に走って全ての国が国境を高くしたり閉鎖したりした。これは、EUを手本とした旧ソ連地域のユーラシア経済共同体の場合も同じだ。
 このような自国第一主義の蔓延の中で、一方では国家権力の役割の再評価の機運が強まり、わが国でも緊急事態には単なる政府・自治体の要請ではなく法的強制力が必要だとの見解が、他方では今後強権主義が強化されることへの危惧の念やわが国の国民性で対応できるとの考えも生まれている。さらに、危機状態のEUや国際社会にも、人類共通の敵が現れた今こそ、ワクチン開発や共同の感染防止策、経済浮揚策などグローバルな協力体制がより重要になっている、といった認識も生まれている。

歴史は根本的に変わるか
 この危機の中で個人行動は一変した。わが国の場合は国民性も与って、他国と異なり強制する法律がなくても、政府や自治体などの要請で多くの人が「巣ごもり」やテレワーク、時差出勤、休業などを実践し、全国で学校や大学が長期休校となり、東京や大阪の中心地では人出が8割以上減少、5月初めには日本国民の88%が外出を自粛している。多くの国々でも似た状況にある。これは世界大戦以外には考えられなかった事態だ。各国の経済が被る打撃も甚大だ。この大きな危機の前と後で世界はどのように変化するか、ここでは人々の心理とか行動様式に関しロシア専門家としてロシアを例に考え、次いで政治体制面について、一時は人類の新しい共同体モデルとして熱烈に支持された欧州連合(EU)に注目して考える。
 このパンデミックを機に人類の歴史は一変するとの見解もある。当然、大変化が生じる分野もあるだろう。しかし、各国民の心理構造とか行動様式などを長期的視点で見ると、歴史的には今回のような、あるいはそれ以上の大変動の後でも、変わらない側面の方がむしろ基調となって数十年あるいは百年以上続いたということにも注目する必要がある。変わるか変わらないかは、事象の分野やそれを測る物差し次第だが、まず私の専門分野であるロシアを例に国民の心理構造とか行動様式という観点から私見を述べたい。
 個人的経験だが、私は共産党一党独裁が続くソ連のブレジネフ時代に5年間、モスクワ大学大学院に留学した。留学にあたり私の最大の関心事は、20世紀に第1次世界大戦、ロシア革命と共産党独裁、第2次世界大戦という3つの世界的大事件を経験したロシア人の政治意識、社会心理、行動様式などが、それら諸事件の前後で変わったか否かということであった。留学後だが約30年前には、ソ連邦崩壊というもう一つの世界的大事件も加わった。
 具体的には次のことに強い関心を向けた。ロシア人のイメージだが、私が留学以前にゴーゴリやドストエフスキーなどロシア文学を通じて知っていた奔放で型には嵌まらない自然人的な「ロシア人」のイメージと、ジョージ・オーウェルが小説『1984年』に描いた軍隊的に管理し尽くされた共産主義の「ソ連人」という全く異なる二つのイメージがある。一体どちらが本当のロシア人なのか。どちらかが間違いなのか。それとも共に真実で、戦争や革命、ソ連体制を経ることによって、ロシア人の心理構造や行動様式が根本的に変わってしまったのか。これが私の強い関心事であった。
 曖昧な国民性論で諸問題を片付けるつもりはないが、ブレジネフ時代のソ連に5年間生活していた時は、毎日何回も私は「嗚呼、ロシア人だなぁ!」という感嘆の声を上げたものだ。この場合のロシア人とはオーウェルではなくドストエフスキーたちが描いたロシア人である。最近のプーチン政権下のロシア人を見ても、政治体制は変わりモスクワの街頭や店、ホテル、レストランなどの姿や雰囲気はまるで変ったが、人間の心理や行動様式に関しては、やはり「嗚呼、ロシア人だな」と思うことが多い。
 今、政治体制は変わったと述べた。たしかに一党独裁の共産主義体制は崩壊したが、私が見る限り、今日のプーチン体制は、現代の欧米諸国や日本よりもソ連や帝政ロシアとはるかに多くの親和性を有している。ロシア国民の65%がソ連邦崩壊を残念がっており(露紙『論拠と事実』2020.4.22)、プーチン大統領が反動的なアレクサンドル三世皇帝を讃えて、武力併合した(国際社会は未承認)クリミアに彼の記念碑を建造したのも偶然ではない。
 このロシアの例から考えると、パンデミックが収まれば、日本や世界の人々の心理や意識に一定の変化が生じることは否定しないが、しかしそれは長期的に見れば人類の歴史の転換点と言うほどのものではないだろう。と言っても私は、わが国でも今回のコロナウイルス問題は、厚労省とか都道府県レベルや首相官邸の政策レベルの問題でさえもなく、戦争と同次元の深刻な問題だと当初から考えていたことだけは、付言しておきたい。

グローバリズムへの大打撃
パンデミック後の変化という面でむしろ私が考えているのは、政治思想・制度の面でのポストモダニズム(後述)に、パンデミックが大打撃を与えるのではないか、ということだ。そこでこれに関連して、パンデミックが終わった世界がどうなるかについて考えたい。ここでは問題を「グローバリズムと国益主義」あるいは「国民国家」の行方に限って考える。パンデミック後の問題に入る前に、国際政治面におけるリベラリズム(グローバリズム)とリアリズムの関係の歴史をごく簡単に概観したい。リベラリズムの語義は多様だが、ここではリアリズムに対立する概念、すなわち「国家あるいは権力」と「個人の人権」を対立的に見る、一般に進歩的思想と言われている考え方とする。
 17世紀以後400年の近代(モダン)世界は、主として国民国家(主権国家)や帝国(or陣営)の諸関係を中心にして、戦争も国際協力も行われて来た。自由、平等、人権を掲げたフランス革命、アメリカ独立宣言後も、この基本的状況は変わらなかった。ただ、過去数十年の間に、まず経済や情報面を中心に、国家や国境という枠を超えたグローバル化が進行した。資本や情報が国境を越えて移動するようになったからだ。さらに政治面でも1980年代以後は国民国家を乗り越えるグローバル化の動きも強まった。特に1990年前後の冷戦構造の崩壊を機にして、自由と民主主義が勝利し、フランシス・フクヤマが言うように国家間の戦争や紛争の歴史は終わった(『歴史の終わり』1992)、21世紀には世界に自由や民主主義が広まるとの楽天主義が強まった。とりわけ、欧州共同体の成立(マーストリヒト条約1992)は、国民国家を乗り越えた人類の新たな共同体の誕生として熱烈な支持を受け、これらグローバリズムあるいはリベラリズムのユーフォリアはやがて世界の政治学者や政治家、そして国民の間にも広がった。
 政治思想におけるポストモダニズムとは、国民国家とか国家主権、国境、領土あるいは勢力圏とか勢力均衡などといった近代(モダン)政治で主役を果たした諸要因は、21世紀のグローバル時代には博物館行きになる、という考えである。イギリスの政治学者・外交官のロバート・クーパーは“The Breaking of Nations:Order and Chaos in the Twenty-First Century”2003(邦訳『国家の崩壊』)で次のように述べた。「国家主権は必ずしも絶対的ではない。21世紀には国民国家は役割を終え、国境も重要でなくなる。国際司法裁判所は、国内と国外といった区別をポストモダン的に解消させた画期的例だ。ロシアは帝国をほぼ諦め、ポスト帝国主義国家として欧州の仲間入りを目指している。EUはポスト近代(ポストモダン)の中で最も進歩した例である。」
 このような考えを背後に、大学の政治学でも国際法や国際機関、NGOなどが関心の的となり、以前私が勤めた大学の国際学部でも、時流に乗って「グローバル・ガバナンス」のコースが設けられた。こうしてEUが、21世紀の新たな人類共同体のモデルとされた。東南アジア諸国連合(ASEAN)も旧ソ連諸国の「ユーラシア経済同盟」もそれぞれ独自性を持ちながらもEUをひとつのモデルとしており、一時は「東アジア共同体」がもてはやされた。
 しかしこのようなポストモダニズムは、今回のパンデミックが生じる前に、現実の歴史によって否定された。現実は楽天的リベラリズムの期待とは逆方向に進み、アジアでは中国の覇権主義が台頭しロシアでは権威主義が強まり、EUは崩壊の危機に遭い米国では自国第一主義が勃興した。
 ポストモダニズムの「国家は役割を終えた」という楽天主義に対して、フランスの元外相で政治学者でもあるユベール・ヴェドリーヌは“History Strikes Back”2007(仏語原題『歴史の継続』、邦訳『「国家」の復権』)で、次のように述べている。
 「国家には国家固有の役割があり、国連その他の国際機関やNGOなどがそれを引き継ぐことは出来ない。それらは責任主体としての人格性を有さないし、強制力も持たないからだ。国家に代って国際市民社会が登場する訳ではなく、国境が無くなって外交が無用の長物になる訳でもない。むしろ逆に、今の世界は国家の『過大』ではなく『過小』に苦しんでいる。」
 興味深いのは、このリアリスト的発言をしているヴェドリーヌは右派の人物ではなく、元フランス社会党政権の外相で、フランスがドイツと共にEU推進の機関車となっている時に(1997-2002)、外相を務めていたことだ。 
 過去20年の現実世界は、ある面ではたしかに経済、情報面などを中心にグローバル化が一層進展したが、他の面ではリベラリストの予想とは正反対の方向に向かった。現実は明らかに、ここに紹介したフクヤマやクーパーよりもヴェドリーヌの見解を支持している。

EUとパンデミック――むすびに代えて
 EUは既にパンデミック以前に、財政問題を巡る南北対立、移民問題、極右勢力の台頭、ブレグジットなどで、重篤状況にあったことは周知のことだ。そしてコロナウイルス問題が、はじめイタリアで次いで各国において深刻になり始めると、それぞれの国が「国家の復権」に走らざるを得なかった。それはEUの理念に反する「自国第一主義」の噴出でもあった。
 しかしようやく最近になって、パンデミックは各国バラバラの対策では対応しきれないと分かり、「共通の敵」に対する協調の動きも生まれ、EU本部でも当初はイタリアに対して冷たい態度を取ったことへの反省も生まれた。最近ウルズラ・ライエン欧州委員会委員長はイタリアに対して次のことを認めて公然と謝罪した。すなわち、EU各国の首脳は当初は自国のことにかまけて、イタリアに対して必要とされる援助を与えなかった、と。彼女は、これからは危機に対する責任はEUが共有するとも述べた。EUは10年前の「統一市場とEUの未来」という報告書の中で保健体制の一体化も提言しているのであるが、実際には無視されて来た。彼女の言葉は、このことへの反省も込められている。これはEUを蘇生させる真摯な努力とも言える。
 これらが示していることは、EU官僚の単なる美しい理念や理想だけでは、EUは危機には対応できないということである。EU首脳にパンデミックが深刻になってようやく反省が生まれたということは、皮肉であるが、共通の深刻な敵が現れて初めて、EUはEUたり得ることを示したとも言える。そもそもEUは、政治的には対ロシア、経済的には台頭したアジア太平洋経経済協力(APEC)への対抗機構として生まれた、という側面もある。つまりある観点からすると、EUも昔から存在する平凡な歴史現象だったと言えるのではないか。利害が対立する国々が、共通の敵が現れて初めて統合するということは、古代からの典型的な歴史現象だからである。ここにはまた深刻なパラドクスがある。パンデミックを乗り越えたら、つまり共通の敵が消えたなら、EUは分裂を一層深化させる可能性が高いということでもある。こうして、コロナウイルスはグローバリズムの象徴であるEUに、その生き残りを懸けたきわめて厳しい課題を突き付けた。
 結論として言えることは2つある。
 第1は、今回のコロナウイルスのパンデミックによって、国際社会は各分野で大きな変化を受けるはずだ。しかしその変化を、2020年を境にして人類の歴史が2分されるほどの決定的、本質的な変化と断言するのは、誇張だろう。むしろ各国民の心理構造や行動様式、世界の政治構造などの基調は、長期的に見れば、今後も決定的な変化はさほど被らずに続くだろう。
 第2は、パンデミック後には、各分野でグローバリズムはさらに進展するだろうし、より加速する分野も当然あるだろう。様々な分野での国際協調も進むだろう。しかし、国民国家を過去のものとして否定し国家権力を人権や自由への対立物と見、EUを美化してきた政治的グローバリズムあるいはポストモダニズムは、今回のパンデミックで致命的な欠陥を露呈したと見なされるだろう。
 パンデミック後には、一部に全体主義や強権主義の美化も生じるかも知れない。しかしわれわれが目指すべきは、楽天的なグローバリズムの幻想は捨てて、また安易な強権主義にも走らず、まっとうな国民国家あるいは主権国家を基礎とした安定した国際関係や国際協力の構築である。わが国のパンデミックへの対応は、例えば台湾の場合と比較すると、諸対策が後手後手にまわり、あるいは泥縄式の対応になった。単なる政策問題ではなく国家の在り方という根源的な問題に関わる事柄として、真剣な反省が求められる。


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