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プーチン・ロシアのウクライナ侵攻が意味するもの 前 ウクライナ駐箚日本国特命全権大使 倉井 高志【2022/3/14】

プーチン・ロシアのウクライナ侵攻が意味するもの

掲載日:2022年3月14日

前 ウクライナ駐箚日本国特命全権大使
倉井 高志

 今回のプーチン・ロシアによるウクライナ侵攻は余りに常軌を逸しており、如何なる理屈を並べ立てようとも絶対に許されるものではない。このことは、いまや国際社会にほぼ共通の認識となっていると言って良い。プーチン・ロシアが掲げたウクライナ侵攻の目的設定や理由付けは余りに荒唐無稽で、そして恐らくは正にその故に、目的の達成に向けてとられてきた措置は想定通りに機能していない。当面最大の懸念は、業を煮やしたプーチン・ロシアがこれまで以上の大規模空爆、ウクライナ全土の焦土化あるいは核使用など、更に過激な行動に出ないかということであり、これを防ぐことができるかどうかはウクライナのみならず世界にとって最重要課題の一つである。

 本稿ではウクライナ侵攻にかかるプーチン・ロシアの目的や理由付けとそのための手段を仔細に検討した上で、今回の侵攻が世界と日本にとってもつ意味について卑見を述べることとしたい。
※本稿は本年3月10日時点までの情報に基づいて書かれており、それ以降の事態の進展については含まれていないので留意願います。


1. ウクライナ侵攻の目的・理由づけ

 昨年末あたりから本年初めにかけてロシア軍がウクライナ国境付近の部隊を急速に増強しつつあった頃、私の想定は、もし軍事侵攻を行うのであれば主としてドンバスの占領地域を北西並びに南西に拡張し、ウクライナ北東部のロシア国境地帯の国境としての機能を事実上無力化するとともに、クリミアとドンバスを連結してロシア本土とクリミアを陸路でつなげる、そしてそのような軍事行動に必要な範囲で首都キエフではサイバー攻撃並びに特殊部隊による攪乱工作等によって、政治・軍事上の指揮命令機能を麻痺させる作戦をとり、首都キエフを面で攻略することを目的とするような部隊の投入、あるいはウクライナ全土の制圧は作戦計画に含まれない、と考えていた。

 この想定は間違っていたことが明らかになった訳であるが、以上のような想定をしたのは、それが(もちろん許される行為でないことは当然として)ロシアにとって政治的・軍事的に合理的な行動と考えたからである。

 キエフ攻略は指導部のすげ替えを含むものであるが、ロシアが軍事力によって無理矢理もってくる指導者をウクライナ国民が支持する筈はなく、絶対に長続きしない。またロシアは、ウクライナは独立国でありながらロシアに従属するというのがベストと考えるであろうから、ウクライナ全土を制圧してその国家運営をすべて引き受けるようなことは余りにコストが大きすぎて割に合わない。更に軍事的観点からも、国境付近のロシア軍はそれが15万人であれ19万人であれ、ウクライナ全土の制圧には全く足りない。しかしプーチンはこれを選択した。

 今回の軍事侵攻については何よりもまずこの戦略目標の設定において今なお理解困難な面があるのであるが、更に、「侵攻はない」「攻撃目標は軍事施設のみ」「ウクライナを占領する意図はない」等といったあからさまなウソもさることながら、これまでロシア側が主張してきた軍事侵攻の理由や背景説明も余りに荒唐無稽と言わざるを得ない。具体的には以下のとおり。

(1) ウクライナのNATO加盟阻止?

 プーチンはウクライナのNATO加盟を阻止しなければ自国の安全が確保できないとしていた。確かにウクライナにとってNATO加盟は悲願である。しかし残念ながら現時点において、ウクライナのNATO加盟が近いうちに実現する見通し込みは全く立っておらず、ロシアにとって差し迫った脅威ではあり得ない。このことはウクライナ自身が自覚していることであり、また欧米各地で暗躍するロシアの情報機関の情報収集活動を通じて、ロシアとしても少なくとも事実認識としては把握していた筈である。よってNATO加盟が近づいているから軍事力で阻止しなければならない、という命題は全く成り立たない。

 問題をウクライナに限定せず、広く冷戦後のNATO拡大について考えてみよう。冷戦終結後、NATOは一貫して東方拡大を進めてきたとプーチンは言う。しかしながら最も重要なことは、NATOは決して東欧諸国の首に縄をかけて無理矢理NATOに加盟させてきたのではないということである。実際に起こったことは、NATOは東欧諸国からの非常に強い要請を受けて、ロシアとの関係を始めとする国際環境との調整に意を砕きながら、加盟を認めてきたに過ぎない。より本質的なことを言えば、そもそもロシアが東欧諸国の自由と独立を尊重した上で安全を保障してくれるのであれば、東欧諸国はNATOに加盟する必要はないし、そのようなインセンティブは生じなかったのである。

 東西ドイツ統一の際、NATOはこれ以上東に拡大することはない旨の約束があったとロシアは言う。実際の交渉の中でどのようなやりとりがあったかについて、第三者である日本は知るよしもない。しかし明文化されたものがなくかつ双方の言い分が異なっているのだから、それをいくら主張しても物事は前に進まない。ただ何よりも重要なのは、そもそも同盟政策は主権国家の当然の権利であり、他国がこれを妨げることはできないということである。欧州を中心に57カ国が加盟する世界最大の地域安全保障機構、欧州安全保障協力機構(OSCE)の基本文書であるヘルシンキ最終文書(1975年)には、すべての加盟国が「同盟条約を結ぶこと、そして結ばないことの自由」を有することが明記されている。ロシアはもちろん、OSCE加盟国の一つである。

 これに対してロシアは、OSCEのイスタンブール宣言(1999年)には更に、加盟国は「他の加盟国の安全を犠牲にして自国の安全を強化すること」をしてはならないと書かれており、NATOの東方拡大はこの文言に反すると言う。しかしながらそもそも、自身の安全のためにウクライナに侵攻するという行為が、何よりもまず「他の加盟国の安全を犠牲にして自国の安全を強化する」行為に他ならない。加えて同宣言には更に続けて、いずれの国も「OSCE域内の如何なる部分であれ自国の勢力圏(sphere of influence)と解してはならない」とも明記されている。

 更に言えば、ウクライナは冷戦終結の後、ソ連邦の中でそれまで有していた核兵器を放棄して核不拡散条約(NPT)に非核保有国として加盟したのであるが、その際、ロシア、米国、英国の首脳はウクライナに対し、ウクライナの「独立、主権そして現在の国境を尊重する」ことを約束した(1994年、ブダペスト覚書)。2014年のクリミア「併合」はロシアによるブダペスト覚書のあからさまな違反に他ならない。ウクライナからすれば、ロシアは自国の元首(当時のエリツィン大統領)が署名し明文化された約束さえ守らないのに、他国に対しては合意文書も存在しない約束を守るべしと言うのは余りに身勝手、ということになる。

(2) 侵攻目的としてのウクライナの「非ナチ化」?

 プーチンは今般の軍事行動の目的の一つにウクライナ政権の「非ナチ化」を挙げている。しかしながらゼレンスキー大統領は両親ともにユダヤ人で、従って本人もユダヤ人である。彼が大統領に就任した2019年5月の段階では、首相もユダヤ人であった。大統領と首相がともにユダヤ人である「ナチ政権」というのはあり得るのだろうか。

 2014年のマイダン革命の頃、親露派、反露派ともに多くの有象無象の団体が運動に加わった。その中にはいわゆるウルトラ右翼、ネオナチを自称するものもあった(繰り返すがこれは親露派、反露派双方にあった)。しかしウクライナにおいてこれら右翼系団体の支持率は総じて非常に低く、マイダン革命後に行われた議会選挙で若干名の議員を輩出した団体もあったがその後は更に低迷を続け、2019年の議会選挙ではいずれの政治団体も足切り条項である5%の壁を越えられず、今日のウクライナ議会にはこれら団体出身者で選ばれた者はいない。

(3) ドンバスでは「ジェノサイド」が行われている?

 ドンバスではウクライナ政府軍によるジェノサイドが行われているとロシアは言う。ジェノサイドとは特定の人種、民族を殲滅しようとする行為である。ドンバスでは確かに死傷者が日常的に発生している。しかしながらそこで起こっていることは戦争なのであって、死傷者は戦闘員、民間人のいずれについても、またウクライナ政府側、武装勢力側の双方で生じている。

 3月5日に行われたとするプーチンとアエロフロート女性職員との会合がロシア・メディアで放映されたが、そこにプーチンが今回の軍事侵攻の背景を説明するくだりがある。プーチンは今回の軍事行動を正当化する理由との趣旨で「ドンバスでは2014年から今日までに1万4千人もの死者が出ているのだ」と強調した。この1万4千人という数字は国連高等弁務官事務所(UNHCR)が出している数字と合致しているが、これはウクライナ政府側、現地武装勢力側の双方の死者数の合計であって、決して現地武装勢力、ましてロシア人だけの死亡者数ではない。

 OSCEは現地にモニタリング・ミッションを派遣して日常的に現地情勢を監視しているが、停戦協定違反や死傷者について、その帰属がどちらであるかを判断すること、ましてロシア人とウクライナ人を区別することは極めて困難である。小生は2019年1月のウクライナ着任以来、ドンバスに3度訪問し、またOSCEの報告もずっと見てきたが、ウクライナ政府側による「ジェノサイド」などという話は聞いたことがない。

(4) ウクライナはミンスク合意を履行していない?

 ウクライナはミンスク合意を遵守していないとロシアは言う。実はこれも一方的な決めつけと言わなければならない。ミンスク合意はそれぞれの当事者が果たすべき多くの義務を規定する、非常に複雑な取り決めなのだが、全体を通して重要な義務は三つ、すなわち、1.即時停戦、2.外国軍隊の撤退と国境管理、3.ドンバスの一部地域に特別の法的地位を付与すること、である。

 このうち1.については誰も異存はない(遵守されるかどうかは別として)。これに対して2.と3.はそれぞれドンバスの「治安」と「政治」の根幹をなすものであり、当然ながらウクライナ側は2.を重視し、ロシア側は3.を重視した。そして当時のポロシェンコ大統領は3.の義務を果たせば、ロシアは2.の義務を果たしてドンバスから撤退するものと期待していた。ポロシェンコはこの理解に立って2014年9月、ミンスク合意(いわゆるミンスクⅠ)の規定に沿って直ちに「ドネツク・ルハンスク州一部地域の地方自治の特別手続きに関する法律」を成立させた(この法律は現在でも有効である)。

 既述のとおりポロシェンコとしては、ウクライナ側が義務を果たしたのだから次はロシア側が軍隊の撤退という義務を果たすだろうと期待していた。ところがロシア側は撤退するどころか逆に攻勢を強め、2015年2月には圧倒的な軍事力を前にウクライナ側は後退せざるを得ず、とにかく停戦を最優先するという不利な状況の中で再度の合意(いわゆるミンスクⅡ)を結ばざるを得ない状況になった。

 同合意は、ミンスクⅠよりも更にウクライナにとって不利な条件を飲ませるもので、ドンバスの法的地位については法律ではなく憲法で規定するという内容に変えられた。他方ロシア軍は依然として居残り続け、あるいは関与し続けている。しかもロシア側の主張は、ドンバスはウクライナの内戦であってロシアは直接関与しておらず仲介者に過ぎないというもので、これは今日まで変わっていない。このミンスクⅡ合意を境に、ポロシェンコ大統領の対露政策は反露方向に大きく転換するのである。

 もちろん、如何に不利な合意であっても、合意は合意であり守らなければならないと言うこともできる。ただミンスク合意は非常に複雑な規定振りになっており、例えば、そこには関係者それぞれの果たすべき義務が規定されているものの、それぞれの義務の先後関係が定められていない。すなわちウクライナ側はロシア軍の撤退(=治安)が先と主張し、ロシア側は特別の地位の付与(=政治)が先と主張して、折り合いがつかず、今日に至っているのが実情なのである。

 この問題は、ドンバスは「ウクライナの内政問題」であってロシアはあくまで「仲介者」であるとするロシアと、ドンバス武装勢力はロシアの支援なしには成り立たず、「ロシアは仲介者」というのはあからさまなウソであって、実質的な影響力を有するロシアと交渉しなければ解決しないとするウクライナとの対立という性格を有している。
 以上に見るように、ウクライナはミンスク合意を履行していないというのは正確ではなく、逆にロシア側は自国軍の撤退という最も重要な義務を全く果たしていないと言うのがウクライナの立場である。このことは、そもそもドンバスの問題をロシア側がどのように位置づけているかを知る上で重要である。


2. プーチンは何を考えているのか

 では実際、プーチンはなにを考えているのか。プーチンがウクライナをどう位置づけているかについては、2014年3月、クリミア「併合」に当たってロシア議会に対し行った演説、昨年7月に発表した論文「ロシアとウクライナの歴史的一体性について」、及び本年2月にいわゆるドンバスの2つの「共和国」を国家承認する際にロシア国民向けに行った演説等で明らかにされている。

 これら演説等はいずれも大変な長文で、歴史的経緯を含めプーチンの考えが非常に詳しく述べられているが、主張するところは要するに「ウクライナはロシアの一部なのであって、国家のような体をなしているが実は独立国家ではない」と言うものである。演説等の中で詳述されている個々の論点もさることながら、この中心的なテーゼが今回の軍事行動の根底にある考え方であり、そして私が今回の軍事行動の想定を見誤ったのも、このような余りに現実離れしたテーゼに沿って実際に軍事行動を起こすとまでは想像できなかったからに他ならない。

 これまでの一連の言動を見て、プーチンは気が狂ったのではないかと言う論者がいる。そうかも知れないし、「何をしでかすか分からない指導者」を演じているのかも知れない。ただいずれの場合であっても、恐らくプーチン自身はこのような荒唐無稽なテーゼを心から信じている。更に、ウクライナが米国を始めとする西側諸国の完全なコントロール下にあり、マイダン革命を始めこれまでの「反露的行動」は西側の工作に操られた結果であると心底信じていると私は思う。その場限りの思いつきや交渉等を有利に進めるための方便ではない。

 ソ連時代に「パラノイア」とも言われた過剰なまでの防衛意識、常に自分たちは外部から攻撃を受けるリスクに晒され、軍事力を強化しなければこちらがやられてしまう、というロシアの被害者意識は、一定程度現実の歴史に裏打ちされている面もあり、仮に今後、プーチン以外の指導者が出てきたとしても、この認識が大きく変わるとは考えにくい。そしてウクライナのロシアにとっての位置づけについても、恐らくロシア指導部のほとんどの者が多かれ少なかれプーチンのような認識をもっていることは想像に難くない。

 ただそのことと、かかる発想に基づいて実際に軍事行動を起こすこととは全く異なるのであって、両者の間には大きな開きがある。今回のプーチンの行動はその意味で極めて特異であり、このような誤った発想に基づく軍事行動の敷居を低くした背景には、長期独裁政権からくる彼自身の驕りがあったのかも知れない。

 いずれにせよ重要なことは、プーチンやロシアにはこのような思いがあるのだからそれを理解してあげなければならないといった主張は、今日ロシアがウクライナに対して行っている暴挙に対して全く意味をなさないということである。既述したとおり、そのような思いをもつことと、これに基づいて実際に侵略行為を犯すことは天と地の違いがある。どんな思いをもとうと自由であるが、やってはならないことは絶対にやってはならないのである。


3. 目的達成のための手段について

 以上に挙げた目的や理由を背景に今回の侵攻は行われたとされているが、恐らくはこれら目的や理由そのものが余りに非合理なものであったが故に、目的達成のための手段、とってきた措置もさまざまな形で機能不全を起こしているように見える。具体的には以下のとおり。

(1) 軍事行動の現状評価:作戦計画どおりには進んでいない

 本稿を書いている3月10日の時点で、ロシア軍の侵攻開始から2週間が経過している。あらゆる状況から判断して、ロシア側は恐らく数日単位の短期決戦を想定していたものと思われるが、電撃戦が想定したとおりの成果を収めなかったことは既に結果が証明しており、今日、ロシア軍は作戦計画の変更を余儀なくされていると見られる。

 緒戦のミサイル攻撃を中心とする指揮命令システム、空港、軍事デポ等の攻撃と制空権の確保、それに続く空挺部隊・地上軍の投入等は教科書通りの進め方で、大きな問題なく進められたものと思われる。ところがその後、南部の黒海沿岸地域ではある程度成果を収めた一方で、キエフ、ハリコフに向かう北部、北東部からの進撃は想定どおりには進んでいない。ベラルーシ方面からキエフに向かっているとされる全長64kmに及ぶコンボイは3月9日現在、なお実質的な動きを見せていないかあるいは非常に遅い速度でしか進めていないようである。

 ロシア軍側の将官・佐官クラスの死亡も複数生じていると見られる。3月3日には、ウクライナ北東部の国境付近からハリコフを目指して侵攻したロシア第41軍の副司令官であったスホヴェツキー少将が死亡した。更にウクライナ情報当局によれば8日までに、同第41軍の参謀長ヴィターリ・ゲラシモフ少将(ロシア軍参謀総長であるヴァレーリ・ゲラシモフとは別人)、そのほか少なくとも大佐クラスが1名、中佐クラスが2名死亡したとの情報がある。スホヴェツキー少将以外についてはなお未確認であるが、同少将については既に葬儀も済まされたようで確実と見て良いであろう。

 将官・佐官クラスの死亡は軍全体の士気に影響を及ぼすが、特にスホヴェツキー副司令官についてはスナイパーの攻撃により死亡したと報じられているところ、これが正しいとすれば副司令官が前線に出ていたことになり、通常はあり得ないことである。

 長期戦は間違いなくロシア軍にとって不利に働く。いくつか理由があるが主要なものの一つは補給・兵站である。そもそも今回の侵攻作戦のために集結していた部隊はその多くが戦術大隊群(Battalion Tactical Group:BTG)と呼ばれ、冷戦後のロシアにおける軍改革の中で2009年頃から本格的に創設されてきた部隊単位で、800~900人程度の比較的小規模の部隊から成っている。小規模ながら打撃力に優れ、小回りがきいて即応性の高い部隊であり、比較的狭い範囲の戦域において限定的な軍事目的を短期間に達成するには適している。しかしながら、一国の制圧のように縦深性のある、かつ長期にわたる戦闘には向いていない。その弱点は先ず何よりも補給に表れる。ウクライナ国境付近に展開された部隊は合計人数としては多いが、その大宗はこの戦術大隊群の集合である。いまロシア軍の侵攻速度が遅くなっている理由の一つが補給にあることはまず間違いないと思われる。

 もう一つ、更に重要な理由はロシア軍のモラル(士気)の問題である。侵攻を迎え撃つ側はもちろんであるが、攻撃する側の兵士にとっても一つ一つの行動には自分の命がかかっている。兵士も人間であってロボットではない。命をかけて戦うには、命をかけても惜しくないという理由、正義が必要である。ところがロシア軍にはこれが決定的に欠如している。これに対しウクライナ軍には戦う理由が明確であり、祖国のため、愛する妻のため子供のため、家族のために命を投げ出しても良いと考えている。この違いは戦場において大きな意味をもつ。

 もちろん、士気だけで戦いきれる訳ではなく、武器弾薬、食料等の継続的な供給が必要であるが、ウクライナに対しては多くの国がこれらの供給に協力しており、補給路の確保さえできれば供給は継続できるであろう。

(2) 広範囲の事前準備と想定を超える反発

 今回の侵攻に当たっては、長期にわたる準備作業が積み重ねられてきたと見られ、それは軍事のみならず政治、外交、経済等、必要な関連分野においてもなされていたと思われる。しかしながら現状は、恐らく準備活動の段階における想定を超えるであろう問題が各方面で生じているようだ。

 侵攻前の2月1日、プーチンはハンガリーのオルバン首相とモスクワで会談し、「12回目の会談」(オルバン首相)と言うことに象徴される、長期にわたる良好な関係をアピールした。これについてはEUの分断、特に経済制裁の決定プロセスに影響を与えるべくハンガリーを使おうとする意図が明らかであった。

 プーチンはまた2月4日には北京五輪の開会式に出席し、習近平主席と会談した上で、中国への追加ガス供給で合意したとして、ノルドストリームⅡの稼働如何を巡りロシアに圧力をかけようとする試みは功を奏しないとのメッセージを送った。
 これらはすべて侵攻後に生じるであろう政治・外交・経済にわたる対露圧力に対する牽制として予め計算された行為であったと見られる。

 ところが軍事侵攻のあまりの非道さに国際世論はほぼロシア非難一色となり、「トロイの木馬」とする筈であったハンガリーのオルバン首相も、4月に選挙を控えていることもあってEUの対露制裁にあっさり同意した。中国も国際世論の行方を見極めつつ、ロシアの軍事行動を正面から支持するような言動は努めて控えているように見える。最近は「各当事者の求めに基づき」「国際社会とともに」積極的な役割を発揮したいとして、自国が単独で何らかの義務を負わされることを避け、また何らかの秩序形成について話し合われるのであればその意思決定プロセスから外されることを避け、今回の軍事行動については支持しないまでも一定の理解を示すという、念の入ったメッセージを発している。

 今回の各国による制裁は、ロシア経済にかなり実質的なダメージを与えている。特にSWIFTからの排除は、EUがロシアからのガス輸入の決済に必要なズベルバンクとガスプロムバンクを含めなかったとは言え、ロシア経済に実質的なダメージを与えることは間違いない。ルーブルは急落し、中央銀行は通貨防衛に迫られているが外貨不足のため市場介入は困難で金融政策しか選択肢がなく、政策金利を9.5%から一気に20%に上げるという極端な政策を実施しなければならなかった。

 ロシアの国債、社債は下落の一方で、3月7日付の各種報道によれば、ロシア国債の債務不履行リスクを保証するクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の保証料率(5年もの)は2月28日の時点で15%を突破し、デフォルト確率は80%近くにまで上昇したとされた。更に3月8日には格付け大手フィッチ・レイティングスはロシアの信用格付けをBからいきなり6段階引き下げてCにした。「投機的水準」のBから「デフォルト寸前」のCに引き下げたと言うことだ。ロシア国内の銀行の前に預金の引き出しを求めて長蛇の列ができている様子は日本でも報じられている。

(3) 国内からの反発

 ロシア国内においても反対運動が大きな高まりを見せている。報じられるところではロシア全土の70カ所以上にわたって反戦あるいは反プーチンのデモが発生し、これはその広がりにおいて少なくとも最大規模の一つであることは間違いない。

 ロシアはプーチンによる統制が強固に確立されている国であるが、それでも少なくとも数年に一度程度は広範囲にわたって住民による反政府、あるいは反プーチン・デモが繰り広げられ、その都度大量の拘束者を出してきている。しかしながら、今回のデモはこれまでと少し様子が異なる。特に重要と思われるのはデモに参加する人々の動機である。例えば議会選挙の不正を訴えるデモ、反プーチンの急先鋒ナヴァリヌィ氏を支持するデモ等は、政治的主張を中心に据え、その動機はある意味で観念的とも言える。それに対し今回のデモは、もちろん政治的主張も含まれているが、やむにやまれぬ感情がこもっている。自分の息子あるいは親類縁者が死んでいくのを目の当たりにした人々の情念がこもっており、精神的により強固な動機に基づいていると言えよう。このようなデモは私の知る限りこれまでにはなかったものである。

 各国による制裁等の影響を受けて、プーチンを資金面で支える、いわゆるオリガルヒからも今回ばかりは反戦の声が出ている。2月27日付けファイナンシャル・タイムズはミハイル・フリードマン・アルファ銀行(米、EUの制裁対象)会長の書簡(送信日は侵攻開始の翌日である2月25日とされている)に言及し、同氏自身がウクライナ出身であることに触れた上で「戦争は問題解決の答えではない」として反対の意思を表明したことを紹介した。このほかロシア・アルミのオレグ・デリパスカ社長も「平和がとても大切!できるだけ早く交渉が開始されなければならない」等と投稿するなど、プーチンを名指しで批判することはせず婉曲な形ではあるが、いまの状況に対し満足していないことを表明するようになっている。これらすべては、今回の行動が余りにも大義名分を欠いていることにその根源がある。

(4) 稚拙な情報操作

 以上に輪をかけるように、ロシア政権側の情報操作には稚拙さが目立つ。ハイブリッド戦において、情報操作は重要な意味をもっており、今回の軍事侵攻に当たってもロシアはさまざまな形で情報戦を仕掛けてきている。ところが既述のとおり、軍事行動の正当化の論拠としてロシアが標榜する内容は余りに荒唐無稽であり、世界を欺くことはもちろん、どれほど強固な締め付けを行ってもこの情報化の時代に賢明なロシア国民を長期にわたって騙し続けることは困難であろう。そもそも「侵攻はない」「攻撃対象は軍事施設のみ」「ウクライナを占領することはない」等、全くのウソが繰り返されてきたことは言うまでもないが、そのほかの稚拙な情報操作の例を幾つか挙げておきたい。

 2月21日、いわゆるドネツク・ルハンスク「人民共和国」を国家承認するに当たってプーチンは政権幹部を招集し、一人一人に賛成するか否かを問いただしたのだが、その様子がロシア・メディアで放映された。そこでナルィシキン対外諜報庁長官が、あたかも生徒が先生に厳しく叱責されるかの如くプーチンにやり込められる場面が放映された。

 映像では当初ナルィシキンがやや遠回りの発言をし、これにいらだちを隠せない様子のプーチンが「人民共和国を国家承認するのかしないのか、どちらなのか」と問いただした。これに対しナルィシキンは狼狽してしどろもどろになり、ようやく「支持する」と答えたのだがロシア語で未来形を使っていたことから、プーチンは「(未来形で今後)支持するということなのか、(現在型でいま)支持するのかどちらなのか」とたたみかけた。これに対しナルィシキンは更に狼狽し、「両人民共和国をロシアに編入することを支持します」と答えた。これに対してはさすがにプーチンも「そんなことはいま議論していない。聞いているのは両国を国家承認するかどうかだ」と言い、これを受けてナルィシキンが「(現在型で)支持します」と答えて、ようやくその場が収まった。

 この動画はもちろん演技、「やらせ」の可能性もあるが、そうでないとすれば二つのことを物語っている。一つはナルィシキンのような政権の重鎮でさえ、プーチンがいま何をしようとしているのか正確に把握していないかも知れないこと。もう一つは、いまやプーチン周辺の政権幹部はいずれもプーチンに右にならえ、とにかくイエスと言っておけば良いというスタンスになってしまっていること。そして「やらせ」であろうとなかろうと、この映像はプーチン自身がこのような状況を世界に知らしめることをプラスと考えていることを示している。このような宣伝は今日の国際社会から見れば逆効果であるのみならず、国内世論に対しても決してプラスにならないであろう。

 もう一つ、2月28日、プーチンがミシュースチン首相ほか幹部の計7人と制裁への対応につき協議する場面が放映された。例によってプーチンは恐ろしく長いテーブルの端に座り、首相ほか7人は遙か離れた位置でテーブルに着いている。コロナ対策として座席の間隔を開けることは理解できる。しかしプーチンと首相ほかとの距離は大きく開いていても、首相たち7人は完全に密の状態で着席している。これを見た賢明なロシア人はどう思うであろうか。

 これに対しその後3月5日に放映された、プーチンとアエロフロート女性職員との懇談会の様子は、ざっと数えたところプーチンを含め20名程度の参加者が精々30~40cmの等間隔で着席している。画像にやや不自然なところがあり、何らかの合成が含まれている可能性は排除されないが、仮にそうであったとしても、プーチンとしては国内向けの映像としてこれまでの配席パターンは必ずしも効果的ではないと判断したのかも知れない。

(5) 法的な擬制による正当化

 プーチンが軍事行動を起こす際に特徴的なことの一つに、合法性の外観を作り出すということがある。クリミア「併合」の際は、クリミア議会が独立を宣言し、住民投票でロシアへの編入を決定して、これを受けたロシア議会が編入要請の受入れを決議するというプロセスをたどった。これはいきなりクリミアを「奪取した」のではなく、法的に正当なプロセスをたどったという形をとるために行われたものと思われる。しかしながらクリミアは確かにロシア系住民が多数を占めているが、ロシアの支えなくしては国家として成り立たず、このプロセスは法的な擬制に過ぎない。

 今回、ロシアは2月21日にいわゆる「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」を国家承認し、更に両国それぞれとの間に「友好協力相互援助条約」を締結した。同条約には一方の締約国が他方の締約国内に軍事基地を構築しかつ使用する権利などが認められている。これを受けてプーチンは直ちに部隊をドンバスに侵攻させた。これも法的擬制のパターンである

 これまでプーチンは両「人民共和国」を軍事的に支援しても国家承認をすることはなかった。それはこの地域がウクライナの領土内にあって独立を目指す「内戦状態」にあることが、ウクライナのNATO加盟を阻止することに資するからであり、またウクライナ領内にあって高度な自治を享受し、ウクライナの対外政策に拒否権をもつような地位をもつことで、トロイの木馬にすることができるからである。今回の両「人民共和国」の国家承認という行為は、このような政策の転換を意味する。恐らくプーチンとしては、これまでのメリットを捨て去ってもなお得られる重要な利益があると判断したと思われ、それが即ち、「友好協力相互援助条約」の履行を名目とするウクライナ全土への侵攻であったのではないかと思われる。

 侵攻後に行われた情報操作の最たるものの一つに、侵攻の理由としてのウクライナによる核兵器製造疑惑がある。この点につきプーチンは、2月24日の侵攻に先立つドンバスの両「共和国」国家承認後の記者会見(2月22日)や、侵攻にかかる声明を打ち出した演説(2月24日)で既に言及しており、また実際にロシア軍は侵攻後直ちにチェルノブイリ原発、続いてザポリッジャ原発の攻撃並びに占拠を行い、更に南ウクライナ原発の占拠に向かっている。ロシアはウクライナに所在する5つの原子力発電施設並びにハリコフの物理技術研究所等の関連施設をすべて占拠する計画と考えられるが、その目的の一つは電力源の5割以上を占める原発をロシアの統制下におきウクライナに圧力を加えること、もう一つはウクライナが密かに核製造を行っていたとする証拠を「発見」し、自身の侵攻の口実に使うことにあると思われる。

 しかしながら、ウクライナはIAEAとの間で包括的保証措置協定並びに追加議定書を締結しており、国内にあるすべての原子力関連施設はIAEAの査察の下にあって、これまでにウクライナによる核兵器製造疑惑などというのは全く問題にされていない。


4. ウクライナ侵攻の世界と日本にとっての意味

 以上に見たように、今回の軍事侵攻についてはその目的設定並びに手段の両面において奇異なほどに非合理性が目立ち、事態はプーチンの思惑通りには進んでいない。しかしながら、ロシアがウクライナに比して圧倒的な軍事力を有していることには変わりなく、プーチンの判断一つでウクライナ全土の焦土化や核兵器の使用など、人類史に残る非道な行動に出るだけの客観的な能力をロシアが有していることは常に留意しておかなければならない。そのことを念頭に置いた上で、現時点までの事態の進展を踏まえ、今回の侵攻が世界と日本にとってどのような意味をもっているかを考えてみたい。

(1) 国家関係において軍事力のもつ意味の再認識

 今回のロシアによる軍事侵攻が国際社会に与えた最も深刻な影響の一つは、誰もが心の底では理解しながら口に出して言うには躊躇を感じる冷厳な事実、即ち国家関係を律する現実的かつ決定的な要素としての軍事力のもつ意味合いが改めて認識されたことである。人類はこれまで何度も悲惨な戦争を経験し、その都度国際社会は英知を絞り戦争をくりかえさないための原則や仕組み、ルールの構築に多大な努力を傾けてきた。今回のロシアの暴挙は、あらゆる手段を講じても、どれほど正義をかざしても、如何にこちらに正当性があっても、結局のところ圧倒的な力の差がある国が一旦決断した場合には、これを阻止することは実際上不可能ということを世界に示すことになった。

 もちろん中・長期的にはさまざまな要因から、徐々に事態を正常化することは不可能ではない。しかしながら力なくして攻められる側は一旦武力攻撃を受けてしまったら甚大な損害を余儀なくされ、その回復には気の遠くなるような人的、物的、そして精神的なコストがかかる。経済制裁は重要な意味をもつが、圧倒的な力の前では結局のところ侵略行為そのものを阻止することはできない。

 今回の侵攻を経て、東欧諸国は更にNATOへの帰属を強め、NATOはますます結束し、非NATO諸国でロシア国境に近い国(例えばフィンランド、スウェーデン)においてもNATO加盟の問題が議論されていくであろう。要するに、ロシアがNATOの東方拡大を阻止しようとして圧力をかければかけるほど、東欧諸国のみならず非NATO諸国もNATOへの接近を一層強めるのであって、ロシアの行動は全く逆効果を生み出しているということである。

(2) 法的擬制による侵略を許してはならない

 前述のとおり、ロシアによるクリミア「併合」も今回のウクライナへの侵略行為も、いずれもロシアによる一方的な法的擬制が口実の一つとして使われている。このような行動を国際社会は絶対に認めてはならない。日本を含め、世界には特定の外国籍を有する、あるいは特定の国と密接な関係を有する人々が多く住んでいる地域がある。そのような地域に住む人々が住民投票等を行ってある日突然「独立」を宣言し、それを受けてある国が自国への「編入」を認める法手続きを開始すればどうなるであろうか。このようなプロセスを安易に認めてしまうのでは国家は成り立たない。これは、国家というのは如何にあるべきかという意味で極めて重要な論点である。

(3) 体制論の問題:権威主義国家の功罪

 コロナ禍が広がり、世界の多くの国がその対策に多大な労力を払っていた頃、中国においては権威主義体制の強みを最大限に生かし、非常に厳しい措置を次から次へと打ち出して、(中国側のデータによれば)感染を抑えることができたとして、このような非常事態においては権威主義体制の方が優れている、民主主義は結局のところ非効率ではないか、等といった議論がしばしば見られた。

 しかしながら今回のプーチンによる侵略行為の余りの非道さを見れば、たとえ時間がかかっても、手続き的に複雑なことがあっても、色んな人たちが好き勝手なことを言ってなかなかまとまらなくても、やはり民主主義体制の方が優れていると、多くの人が認識を新たにしたのではないだろうか。


執筆者プロフィール
倉井 高志
前 ウクライナ駐箚日本国特命全権大使

1981年、京都大学法学部卒業後、外務省入省。アンドロポフ死去後のソ連を皮切りに、特命全権公使として最後の勤務を終えるまで、4度にわたってモスクワの日本大使館に務めた。本邦では安全保障政策課首席事務官、中東欧課長、情報課長、国際情報統括官組織参事官等、安全保障・情報分野や東ヨーロッパ関係を多く手がけた。2016年から在パキスタン大使、2019年から在ウクライナ大使、2021年10月に帰国し、退官。




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