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インド研究会/インド政治の大きな流れの中でのモディ政権の展望

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識者の発表に基づく概要とりまとめ(9)
インド政治の大きな流れの中でのモディ政権の展望

研究会開催日:2025年1月29日

岐阜女子大学南アジア研究センター特別客員教授
夛賀 政幸


1. 独立後インド政治の大きな流れ

 独立後のインド政治は、インド独立運動の担い手となったインド国民会議が、政党として長い間、インド政治をリードした。インディラ・ガンディー首相政権下でインド国民会議派(以下INC)の制度的・組織的な力が落ちてきていたと言われるが、1980年代まではINCの一党優位の時期が続いた。1984年の下院総選挙はインディラ・ガンディー首相暗殺直後という特別な状況の中、INCが約47%得票率を上げて大勝したのを最後に、その後の総選挙では得票率を落とし、単独では政権を樹立できなくなった。
 INC一党優位の終焉に伴い1990年代から2000年代は連立政権の時期になった。その大きな理由の一つとして、地方政党の台頭、特に、地方で強い力を持っていたINCの有力政治家が、党を割り、新党を立ち上げたことが指摘できる。例えば、1996年にはラジーブ・ガンディー首相と緊密な関係にあったタミル・ナド州出身のチダンバラン商工大臣がINCを離党し、タミル・マニラ・コングレス党を立ち上げ、1997年には西ベンガル州のママタ・バネルジー元人的資源担当国務大臣が全インド草の根会議派(TMC)を、1999年にはシャラド・パワル元マハラシュトラ州首相がナショナリスト・コングレス党(NC)を立ち上げた。1996年総選挙ではINCは30%を割る得票率で第二党となり、その後、得票率を30%以上に戻すことはなくなった。他方、1984年総選挙では2議席しか獲得できなかったインド人民党(以下BJP)が、1991年総選挙で20%超の得票率で119議席を獲得、96年、98年、99年総選挙ではインド国民会議派と拮抗する得票率をあげ、第一党となった。しかし、BJPもINCも200に満たない議席数だったため、協力政党との連立により政権を樹立せざるを得ない時期が続いた。
 この状況の大きな変わり目となったのが2014年下院総選挙。30%超の得票率をあげたBJPが282議席を獲得、得票率20%未満となったINCは44議席の獲得に留まった。2019年総選挙では、BJPは約38%の得票率で303議席を獲得。BJPとINCの得票率の差が12ポイントから18ポイントに広がった。得票率の差では20ポイント未満であり、一党優位をどう定義するかという問題はあるものの、議席数の大きな違い、即ち、BJPが単独でも過半数以上の議席を獲得した一方、INCをはじめ、BJP以外の政党が二桁台以下の議席しか獲得できない状況から見ればBJP一党優位の時期になったと言えよう。

2. 2024年インド下院総選挙の結果から

 そこで、2024年総選挙の結果をどう見るか。BJPは前回選挙より63議席減の240議席の獲得にとどまったことから、多くの人がBJPの敗北を強調した。しかし、得票率を見ると、BJPは前回選挙よりは1.2ポイント減ながら2014年選挙時より5ポイント以上高い37%弱であった。議席を99に伸ばしたINCは1.5ポイント増の21%強となり、BJPとの差は15ポイント以上であった。また、選挙結果を州別に見ると、BJPは全国一律に議席を減らしたのではなく、基盤が強いと見られていたウッタル・プラデシュ州やマハラシュトラ州で大幅に議席を減らした一方で、地方政党の基盤が強かったオディシャ州やテランガナ州では得票率も議席数も大きく増やした。また、BJPの得票率が50%以上だった州が7、40%以上が13あり、前回選挙でそれぞれ4%未満、1%にすぎなかったタミル・ナド州とアンドラ・プラデシュ州で双方11%超の得票率をあげた。これらを考え合わせると、BJPの一党優位の情況は2024年総選挙結果からも明らかであり、全国的に見ればより確実なものとなった側面もあると言える。
 BJPが、議席を減らした最大の要因は、経済問題、失業対策や農村対策に対する不満がでたためと考えられるが、その影響の出方は州毎に異なった。BJPは州政府与党ともなっているウッタル・プラデシュ州、ラージャスタン州、マハラシュトラ州では大幅議席減となった。他方、オディシャ州及びアンドラ・プラデシュ州では、州政権を担っていた地方政党のビジュ・ジャナタ・ダル(BJD)及びYSRコングレス党(YSRCP)が大幅に議席を減らし、オディシャ州ではBJPが議席をほぼ総なめし、アンドラ・プラデシュではテルグ・デサム党(TDP)が躍進した。これは、経済問題への不満が中央政府の与党BJPに対する現職批判としてばかりでなく、州政府与党に対する現職批判としても現れたことを示す。また、政党間選挙協力が上手くいったか否かも州毎の結果の違いの大きな要因となった。これを端的に示したものとして、アンドラ・プラデシュ州で約40%の得票率をあげたYSRCPが4議席しか獲得できず、それぞれ約38%、約11%の得票率のTDPとBJPが16議席、3議席を獲得したこと、タミル・ナド州でドラビダ進歩連盟(DMK)主導連合が議席総なめの勝利、DMK協力政党のINCが約11%の得票率で9議席を獲得した一方、INC以上の得票率をあげたBJPが1議席も獲得できなかったこと、があげられる。
 更に、南部諸州はじめBJPがこれまで得票率が低かった州でBJPの得票率が着実に増加した。これにはBJPの支持母体である、民族奉仕団(RSS)を中心とするサング・パリワール(BJPを含むRSS関連団体の総称)がインド東部や南部を含めての活動の裾野を広げている背景がある。2024年総選挙の結果は、BJPのモディ首相人気に頼った選挙戦術に限界があったことを示した一方、BJPにとってRSS、サング・パリワールの組織力、影響力が重要であることを再認識されるものともなった。

3. 下院総選挙後の州議会選挙の結果と今後の内政動向

 2024年総選挙後、10月にハリヤナ州議会選挙が、11月にマハラシュトラ州議会選挙が実施された。両州とも下院総選挙ではBJPが議席を減らしていた。ハリヤナ州では、州政権を担っていたBJPが現職批判といった要素もある中、40%以上の得票率で過半数以上の48議席を獲得して勝利。マハラシュトラ州では、288議席中、BJPが132議席、その協力政党であるシブ・セナ党(SS)及びナショナリスト・コングレス党(NC)がそれぞれ57議席、41議席を獲得して勝利、BJPのファドナビス前州副首相(元州首相)とする連立政権が樹立された。BJPが両州での勝利した要因としては、BJPが下院総選挙で議席を減らした反省を踏まえ、州政権与党として農村・農民対策に注力したこと、RSS、サング・パリワールの積極的な支援があったこと、そして、マハラシュトラ州については友党との選挙協力が功を奏したことが指摘できる。
 2025年2月にはデリー準州議会選挙が実施される。2024年下院総選挙においてデリー準州では、準州政権与党の庶民党(AAP)がINCと選挙協力を行ったものの、BJPが全議席を獲得した。準州議会選挙では、AAPとINCは協力せず、それぞれ全選挙区に候補者を立てたが、これは相対的にBJPに有利に働くと見られる。AAPは2期に亘り準州政権を担当しており、現職批判の影響もあると考えられ、厳しい選挙になる。また、2025年秋にはビハール州議会選挙が予定されている。BJPは、第3期モディ連立政権の維持にためにも協力確保が必要なジャナタ・ダル(統一派)(JDU)との共闘を強める姿勢を早々に示している。
 第2期モディ政権は、連立政権であったが、BJPのみでも過半数を優に超える議席を有していたため、特別な地位を定めた憲法370条の廃止、ラダック地方の同州からの分離、連邦直轄地化、市民権法の改正といったBJP独自の政策を推し進めることができた。2024年総選挙後もBJP一党優位という大きな流れは継続しているが、地域政党の重要性が増している。第3期モディ政権は政権維持のためにもTDP、JDUといった連立友党の協力が必要であり、これら協力政党により一層意を用いなければならない。また、マハラシュトラ州でのBJP連合の勝利は、BJPが連立友党との選挙協力の重要性と効果を再認識するに十分であった。これらを踏まえ、モディ政権、BJPは連立友党との協力関係を強く意識した政権運営、州議会選挙対策を含めた各州政治対応を行っていくこととなろう。

以  上

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