コロナショック下の世界と日本:グレート・リセットの時代 (20) 国際産業連関分析のススメ ―複雑化するグローバル経済を読み解く― 日本貿易振興機構アジア経済研究所 海外研究員 猪俣 哲史【2021/9/9】
―複雑化するグローバル経済を読み解く―
掲載日:2021年9月9日
日本貿易振興機構アジア経済研究所 海外研究員
猪俣 哲史
はじめに
今日、サプライチェーンは業種を越え、国境を越え、網の目のように世界中へと広がっている。地球の反対側で起こった出来事が自国の経済を直撃してもおかしくない状況だ。今世紀に入り急速に進んだ国際生産分業の拡大・深化によって、生産システムの分析は極めて難しいものとなっている。そのなか、適切なデータへのアクセスとその正しい解釈は、企業経営者・政策立案者を問わず、世界経済の動向を見極めるための必須条件である。
国境をまたいだサプライチェーンを分析する上で、従来、多く見られた手法が企業の個別データを用いるアプローチである。企業から直接仕入れる情報や経営コンサルティング会社の業績分析レポートなどを利用して、各製品の付加価値額、部品調達元の構成、あるいは販売ネットワークなどを詳細に描き出す。これらの分析手法は、統計的推論に頼ることなく、主に企業から直接得た個別情報に基づくため、対象製品のサプライチェーンを現状に即して捉えることができる。しかしその反面、あくまでも特定の製品あるいはブランドに関する情報によるので、通商政策などマクロな視点でモノの流れを把握できないなどいくつか弱点も抱えている。
そこで現在、高い関心を集めているのが国際産業連関表を用いた手法である。国際産業連関表は、個々の製品の国際取引に関する詳細な見取り図といえよう。貿易統計には無い「産業間の需給情報」が盛り込まれているので、国際分業によって複雑化する価値の流れを、様々な国の製品および生産工程において捉えることが可能である。
サプライチェーンから見る各国の付加価値配分
図1は、中国の「電気・光学機器」産業の国際分業体系を、国際産業連関表を用いて視覚化している。図中の番号は産業コードで、ある国の特定産業を指し示している。縦軸は各国各産業の平均賃金、横軸は上流から下流への生産工程における産業の立ち位置を表している。上流域と下流域は金融(28)や流通(20, 23)といった高付加価値のサービス産業が集中しており、一方、中流域は完成品や部品・付属品の製造工程にあたる。これは、生産工程と付加価値の関係性を表す、いわゆる「スマイルカーブ」と近似した設定となっている。
グローバル・バリューチェーン(GVC)研究において、スマイルカーブは専ら先進国と途上国の間の分配問題を論じる際にしばしば参照されている。これまでは抽象的な概念図に過ぎなかったものが、国際産業連関表を用いることによって初めて定量的に表された。ことに現下の米中対立を「サプライチェーン上の支配領域をめぐるグローバル・レベルの争奪戦(猪俣 2019)」として考えると、今後、こういったデータ分析はますます重要になってくるだろう。
温室効果ガスの排出責任は誰にあるか?
米中対立と合わせ、グローバル経済が直面するもう一つの世界的課題は環境問題である。生産活動から発生する二酸化炭素などの温室効果ガスは、地球温暖化の主要因としてその排出構造の分析が進められている。ここで焦点となるのが、温室効果ガスの排出を誰の責任として考えるか、という問題である。パリ協定や欧州排出量取引制度など現行の枠組みでは、実際の生産活動によって温室効果ガスを排出した企業(が立地する国)に責任を帰するものとしている。たとえば、中国国内での生産活動に伴う排出は中国の排出量として積み上げられる。
一方、温室効果ガスの排出を、その発生源たる生産活動によって生産された財やサービスを消費する者(が居住する国)に帰するという考え方がある。たとえば、中国産のテレビを日本の消費者が購入した場合、そのテレビの生産に伴う温室効果ガスの排出を日本の排出量として計上するのである。
これまでは、分析手法や利用可能なデータの限界から専ら「生産者責任」概念に基づく制度作りが進められてきた。しかし、国際産業連関表を用いれば、二酸化炭素排出とその国際移動、いわゆる「カーボン・フットプリント」を計測することができる。これによって、環境勘定を「生産者責任」概念から「消費者責任」概念へと変換することができるのである。
図2は、各国の二酸化炭素排出構造が、「消費者責任」概念への転換によってどのように変化するかを計測した結果である。横軸は各国の生産活動が排出した二酸化炭素の全世界排出総量に対するシェアであり、したがってこれは「生産者責任」概念に基づいた排出構造を示している。一方縦軸は、その「消費者責任」概念への置き換えによって排出量がどれほど変化するかを割合で示している。一般的に、「消費者責任」に基づくと先進国の排出量は増え、逆に開発途上国の排出量は減る傾向にある。この図から分かるように、温室効果ガス排出をめぐる「生産者責任」概念と「消費者責任」概念との対立は、専ら先進国と開発途上国との対立構図へと置き換えられやすく、現在でも世界的な議論の中心をなしている。
このカーボン・フットプリントの計測には、GVC研究の中軸をなす「付加価値貿易」の計測と同じ手法が用いられている。付加価値貿易分析は、一つの製品を様々な国の様々な産業で付加された価値の総体としてみなし、それを生産工程ごとに構造分解することによって価値の創出と国際移転の構図を描き出す。同様にカーボン・フットプリントの分析も、生産活動の中で排出された温室効果ガスを付加価値ならぬ「負の価値」として捉え、製品に体化されたその足跡をサプライチェーンごとに追うのである。
現在、この手法は様々な分野で展開を続けている。たとえば国際労働機関を含む国際機関コンソーシアム(ILO, OECD, IOM and UNICEF, 2019)は、製品に含まれる児童労働や強制労働のフットプリントを国際産業連関表によって計測し、企業の社会的責任(CSR)の問題に切り込んだ。同様に、違法な森林伐採による環境破壊や紛争地域でのレアメタル採掘など、原材料調達における不当性・非透明性の問題も、関連データの拡充によりマクロレベルで定量化することが可能である。
サプライチェーンの地理的集中リスクを解析する
最後に、国際産業連関表を用いた最新の分析を紹介する(Inomata and Hanaka 2021)。近年、企業経営者や政策立案者の間で懸案となっているのが、予測不可能な事象に対するサプライチェーン脆弱性の問題である。国際生産分業の進展に伴い、サプライチェーンの効率的な編成が突き詰められた結果、生産拠点が一部の地域へ極度に集中するような状況が生み出された。東日本大震災やタイの洪水、リーマン・ショック、サイバー攻撃など、モノの流れ、カネの流れ、情報の流れがネットワークの一点に集中し、そこが「急所」となって大きな被害へと繋がった事例がいくつも思い起こされよう。目下、企業にとって部品や原材料の調達先を分散させることが焦眉の課題である。
図3は、GVCの主要産業について、高リスク国(左図:日本・・・自然災害多発国として、右図:中国・・・地政学的リスクの高い国として)に対するサプライチェーンの地理的集中度/依存度を示している。横軸は同国が製品の付加価値源泉国として占めるシェア、縦軸は生産システムの中でサプライチェーンが同国の産業を経由する頻度であり、集中リスクを量(volume)と頻度(frequency)という二つの側面から捕捉している。安全保障問題に直結する「ICT・電子機器」産業(26)のサプライチェーンが、中国への高い集中リスクに晒されていることが分かる。
このように、GVCの主要分析ツールとして定着しつつある国際産業連関表であるが、現在でも、経済協力開発機構(OECD)、欧州委員会、アジア開発銀行などの国際機関によって更なる開発が進められている。学者・研究者のみならず、企業経営者や政策立案者にも広く利用を促したい。
*本稿の内容は筆者の私見に基づくものであり、日本貿易振興機構の見解を表するものではない。また本稿は、猪俣(2019)の中の記述をベースに議論を再構成したものである。文章・図の再掲にあたっては、版元である日経BPに感謝したい。
<参考文献>
猪俣哲史(2019) グローバル・バリューチェーン ―新・南北問題へのまなざし―
日本経済新聞出版社.
執筆者プロフィール
猪俣 哲史(いのまた・さとし)
日本貿易振興機構アジア経済研究所 海外研究員(パリ OECD)
1990年6月 英国 ロンドン大学政治学部学士課程 修了、1991年7月 英国 オックスフォード大学大学院経済学部修士課程 修了、2014年3月 一橋大学博士課程(経済学)修了。
国際産業連関学会 会長(2019年1月~)、国際産業連関学会誌 Economic Systems Research 編集委員(2012年10月~)。著書に『グローバル・バリューチェーン ― 新・南北問題へのまなざし ―』日本経済新聞出版社 2019年7月刊行。毎日新聞社/アジア調査会主催「アジア・太平洋賞 特別賞」受賞、大平正芳記念財団主催「大平正芳記念賞」 受賞。