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コロナショック下の世界と日本:グレート・リセットの時代 (7) 台湾における新型コロナ感染症対策とそのインプリケーション 公益財団法人日本台湾交流協会 専務理事 花木 出【2021/6/18】

コロナショック下の世界と日本:グレート・リセットの時代

(7) 台湾における新型コロナ感染症対策とそのインプリケーション

掲載日:2021年6月18日

公益財団法人日本台湾交流協会 専務理事
花木 出

1. ワクチンの手配と接種の遅れが焦点に
 今回の新型コロナ感染症の世界的流行の中で筆者が個人的に最も驚いたのは、とりもなおさず有効なワクチンが早期に開発され、かつ、極めて大規模な接種が迅速に実施されたという事実である。この結果、執筆時点の2021年6月現在、欧米諸国を中心に一時深刻であった感染は急速に収束しつつあり、経済活動もポストコロナの回復軌道を見通せる状況が鮮明になりつつある。具体的には本年4月に発表されたIMFの世界経済見通しでは2021年の経済成長率が6.0%と1980年以降初めて6%台に乗せ、さらにワクチン接種が10%早まった場合の上振れシナリオとして0.35ポイントの上乗せも想定されている。ワクチン技術の進歩と医療関係者の献身が世界の新型感染症に対するリスクを大きく軽減したことは高く評価されるべきであろう。

 こうした中で、「震源地」の近くにありながら厳格な水際措置と個別感染事例の徹底的把握によりこれまで感染を極めて効果的に抑制してきた台湾では異変が起きている。感染が効果的に抑制されていたからこそワクチンに対する台湾人一般の関心はさほど高いとは言えない状況が続き、ワクチンの調達も後手に回った印象をぬぐえないからである。実際、今年5月以降、域内感染がこれまでと比べて爆発的に増加し、感染者数は4月までの累計が1,128人だったのに対し5月は単月で7,383人、6月も6日時点ですでに3,915人となっており、死者も増加しているからだ。(表1参照)もちろん、国際的な絶対数の比較や人口100万人当たりの数字では決して高いとはいえない現状ではあるが、もはやこれまでのように台湾を新型コロナ感染症対策の成功例として持ち上げることは困難なレベルであり、その大きな要因としてワクチン接種数が6月4日時点で約68万回と総人口の約3%程度にとどまっていることが挙げられる。

【表1】台湾における新型コロナ感染症の月別推移(台湾衛生福利部)

 台湾のワクチン接種の遅れと、その背後にあるワクチン調達の遅れが顕在化してきたのは感染が急速に拡大してきた今年5月以降であった。感染拡大が目立ち始めた5月17日、中国の台湾担当窓口である国務院台湾事務弁公室の朱鳳漣報道官は「台湾における最近の感染状況が厳しい中、多くの台湾同胞が中国のワクチンを望んでおり、そのためには政治的障害を取り除く必要がある」と述べ、ワクチン不足に悩む台湾に対して中国が自国産ワクチンを支援する用意があるという姿勢を示し、その「取引条件」として台湾与党民進党の対中政策の変更を暗に求めたからである。これに対し、台湾の中国担当窓口である大陸委員会は直ちに「中国は偽りの善意を見せる必要はない。」としてこの申し出を厳しく批判し、同時に、「中国が邪魔をしなければ台湾はもっと早く必要なワクチンを入手できたはずだ」として、台湾のワクチン調達が難航している背景に、中国による台湾のワクチン調達への妨害工作があったことを指摘し、この問題は一気に国際的な注目を集めることとなった。

2. ワクチン調達をめぐる経緯
 台湾においては、今年春までは、域内感染がほぼゼロという形で効果的に抑制されていたこともあり、新型コロナ感染症のワクチン接種やその調達に対する関心はそれほど高いものではなかった。ワクチン調達における中国の「妨害工作」について、台湾内で初めて話題になったのは本年2月17日、テレビ番組に出演した陳時中衛生福利部長が当初ドイツビオンテック製のワクチンの輸入を計画し、契約締結のプレスリリースまで準備していたにもかかわらず、最終段階で契約上の問題によりこれを断念し、モデルナからの契約に切り替えたと語ったのが最初であろう。このときの経緯について、陳部長は、「台湾が喜ぶことをあまり望まない人たちがいたようだ」という間接的な説明をするにとどまった。翌3月29日、立法院で金門県選出の陳玉珍立法委員(国民党)が「ワクチン調達に当たり他国からの不当な干渉があったのかどうか」とただした際にも、陳時中衛生福利部長は「様々な圧力があったが、それらが不当なものだったのかどうかを表明することは難しい」と述べ、陳珍玉委員が「その圧力というのはどこからか。中国大陸か、米国か、欧州か」と畳みかけてもなお陳時中部長は「圧力は様々な方向からである」として具体的な内容について説明しないスタンスを維持していた。

 しかし、5月17日に中国、国務院台湾事務弁公室が台湾のワクチン接種の遅れを引き合いに中国が台湾にワクチンを条件付きで支援する姿勢を見せ、これに国内の一部勢力が同調しはじめると、蔡英文政権関係閣僚のスタンスは大きく変化していった。更に、時を同じくして5月24日からオンラインで開催された第74回世界保健機構総会(WHA)への台湾のオブザーバー参加が多くの国々の支持にもかかわらず、中国の執拗な反対によって5年連続で妨害されると、5月26日、蔡英文総統自らがフェイスブックに、「ビオンテック製ワクチンについては、我々は一度ドイツの製造事業者とほぼ入手契約締結直前まで行ったが、中国が介入した結果、現在まで輸入できない状況が続いている」と中国を名指しで台湾のワクチン入手を妨害した経緯を投稿したのである。同時に、遅れているワクチンの入手について5月28日にはこれまでのアストラゼネカ製に加えてモデルナ製ワクチン15万回分が台湾に到着したことを発表し、続いてその政権を挙げた働きかけにより6月4日には日本からの無償支援として124万回分の日本製アストラゼネカワクチンが台湾に到着、6日にはアメリカの上院議員3名が米軍用機で台北松山空港に着陸し、その場でアメリカからも75万回分のワクチンをCOVAX経由で入手することを発表する等立て続けに対応を発表した。

【表2】蔡英文総統の支持率推移(台湾民意基金会)

 このような迅速かつ断固とした対応の背景には、直近の感染拡大が支持率低下に結びつきつつあるという認識があった。この春以降、台湾では4月に台湾鉄道の特急列車脱線事故により与党民進党の大物政治家が交通部長の職を辞していたほか、高雄における変電所の事故で全島的な停電が続き、悪しくも50年ぶりといわれる渇水で半導体産業はじめ各種産業に必要不可欠な工業用水の供給に支障をきたすことが心配されていた。こうした中、新型コロナ感染症への対応において国際的にも抜きんでた実績を挙げてきたという蔡英文政権の実績を失うことはできないし、ワクチンを中国から輸入すべきかどうかをめぐって国内世論が割れることは何としても避けたいという意識が強く働いたことは想像に難くない。

 また、このような中国からの揺さぶりに対する対応には、蔡英文総統自身が一度成功裏に対応した経験があったことも大きいだろう。2018年11月の統一地方選挙で与党民進党が大敗し、蔡英文総統の支持率が最低水準に落ち込んでいたのを見て、中国は翌2019年1月、習近平国家主席・共産党総書記が鄧小平の「台湾同胞に告げる書」発表から40周年を記念する形で重要演説を行い、習5点と称される台湾政策骨子を発表した光景と重なる。この中で習近平主席は「台湾の統一が中華民族の偉大な復興を通じて中国の夢を実現する」という考えを表明し、そのためには台湾は「一国二制度」による台湾統一を受け入れる必要があり、その実現のためには武力を使用することも放棄しないと表明、同時に統一地方選に勝利した国民党との間の政党間交流を復活させることで民進党に圧力をかけていく姿勢を示したのである。

 しかし、この中国による高圧的な姿勢は、折からの中国による香港への高圧的な姿勢と相まって蔡英文政権にとっては干天の慈雨となり、蔡英文政権はただちに中国があからさまに「一国二制度」を押し付けてきたことにきっぱりとした拒絶を表明し、あわせて同年5月から7月にかけて中国が水を向けてきた野党国民党との政党間交流の道を事実上絶つ国家安全5法を成立させることで支持率を急回復させ、2020年1月の総統選挙では800万票を超える史上最多の得票で再選を決めたのである。今回も同様に、中国からの分裂工作に断固とした姿勢を示し、同時にワクチン接種を急拡大させ感染拡大を一時的なものに抑えることができれば、いったん落ち込んだ蔡英文政権の支持率を急浮上させることも不可能ではないのではないか。

3. ポスト新型コロナ感染症の世界の中で
 急速なワクチンの接種拡大により新型コロナ感染症の拡大から立ち直りつつあるように見える世界であるが、多くの人命が世界的に失われた傷跡は深く、単純に元の世界に戻るという将来像を描く人はいないであろう。一人一人の人間というあまりにもミクロな存在から世界の10年後20年後を想像していくことは難しいものの、あえてそのような愚挙を行おうとするならば、台湾の経験を通じて、以下の三点が重要になるのではないかと個人的には感じている。

 第一は、自主である。グローバル経済化により、必要なものは世界中どこからでも安く調達すればよいという構造は大きな曲がり角を迎え、もちろん引き続きそのような原理が通用するものもあるとはいえ、例えば国民経済の基礎となるような物資や情報、あるいは国民の命を守る基礎的な防疫物資については一定の自主開発能力、自主生産能力を維持していくことが必要なことが明らかになった。2020年の流行当初の台湾では、マスクの80%が輸入品でその生産能力も一日188万枚であったが、経済部を中止にマスク国家生産チームを結成することで同年3月上旬には日産1,000万枚、4月には同1,700万枚と世界第二位の生産能力を垂直立ち上げさせることに成功し、これにより我が国を含む必要な国々に大量のマスクを支援する「マスク外交」を成功させた。ワクチンについても、感染の急拡大を見込んでいなかった当初想定では接種の大部分を国産ワクチンで賄う計画を立てており、実際、台湾内の2社による自主開発ワクチンもまもなくお目見えすることになると思われる。

 第二はデジタルである。縦割りにより情報が分断され、さらに国と地方の関係があいまいな状況では危機対応が困難であることが今回の貴重な経験により世界的に明らかになった。台湾は健康保険証と居留証、更にはパスポートを同じ番号で割り振り、かつ、これらのシステムを随時連結できる体制を整えており、更に電子カルテシステムが整備されていたことが感染拡大当初の効果的な感染抑制に役立った。また、2003年のSARS対応を踏まえた感染症予防法の改正により国内各省、地方政府だけでなく軍や警察をも指揮する権限を持つ中央感染症指揮センター(CECC:the Central Epidemic Command Center )を立ち上げることができる体制が構築されており、そこが統一窓口として連日丁寧な情報発信を行うことで国民の不安を拭い去ることに成功していた。これは感染症との闘いだけでなく、ビジネスや政府の運営にも応用できる仕組みであり、今後も世界的にデジタルを活用した情報の統一的把握と迅速な決断、そして情報発信がますます必要になっていくと思われる。

 第三は価値である。振り返れば14~15世紀に世界的にペストが大流行したことにより、結果的に宗教的権威が没落し、同時にスペイン・ポルトガルを中心とした旧世界からオランダ、イギリスそしてアメリカへと続く新世界へのヘゲモニーの移転がもたらされた。折から中国が急速に台頭する中で起きた新型コロナ感染症の拡大は、ポストコロナの世界を再構築するにあたり、どのような体制が最も国民の生命を守り経済を発展させていくうえで最も望ましいのかという価値観をめぐる壮大な競争の幕開けを告げる号砲になるかもしれない。競争の結果がどうなるにせよ、目下は、そうした競争を進めていく中で、ゴールとなる価値観を共有でき、そのゴール達成のために具体的な貢献をすることができる能力を持てるかどうかが決定的に重要になりつつある。換言するなら、長期的なビジョンを共有できるパートナーシップが重要になってくる。

 地政学的に今回の新型コロナ感染症の「震源地」に隣接し、中国の圧力を世界の中で最も強く受ける台湾は、こうした3つの変化に最も敏感に反応していく存在として、今後ますます注目を集めていくことになると思われる。


執筆者プロフィール
花木 出(はなき・いずる)
公益財団法人日本台湾交流協会 専務理事

1965年岐阜県生まれ。1987年東京大学法学部卒業、1993年米国カリフォルニア州スタンフォード大学国際政治学科修了。2010年から2013年までJETRO香港事務所産業研究所所長、2014年から2017年まで日本台湾交流協会台北事務所副代表。2020年より現職。




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