事業のカテゴリー: 情報発信事業

コロナショック下の世界と日本:グレート・リセットの時代 (6) 欧州グリーン・ディールの加速と復興基金の始動 ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事 伊藤さゆり【2021/6/15】

コロナショック下の世界と日本:グレート・リセットの時代

(6) 欧州グリーン・ディールの加速と復興基金の始動

掲載日:2021年6月15日

ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事
伊藤 さゆり

 昨年7月、「コロナの先の世界」への寄稿 (※i) では、直前の欧州連合(EU)首脳会議で合意した7,500億ユーロ(2018年価格、名目額では8,090億ユーロ)の復興基金「次世代EU」について暫定的な評価を試みた。「妥協の産物」ではあるものの、「協議を通じて妥協点を見出し、新たな枠組みを作り出すことができるEUの強靭さを軽視すべきではない」と論じた。

 同論考では、EUの新たな成長戦略「欧州グリーン・ディール」には、失敗に終わった過去の成長戦略にはなかった推進力が期待されることも指摘した。復興基金という原資を得たことは、これまでの戦略との明確な違いであるし、持続可能な成長への意識の高まり、市場におけるESG重視の傾向の強まり、米中対立先鋭化といったコロナ以前からの潮流が、コロナ禍によって一層強まるであろうことも推進力として働き得ると述べた。

 およそ1年が経過した今、「欧州グリーン・ディール」の推進力は、当時考えていた以上に強くなっている。

強まる欧州グリーン・ディール」の推進力

 復興基金は、いよいよ本格的に動き始めた。復興基金の財源として欧州委員会が債券を発行するためのEU全加盟国の手続きは5月末までに終わり、2026年まで年平均で1,500億ユーロ(1ユーロ=130円換算で19.5兆円)という前例のない規模のEU債発行が始まる。復興基金のおよそ9割に相当する6,725億ユーロ(名目7,238億ユーロ)の「復興強靭化ファシリティー(RRF)」の利用計画も6月2日までに27の加盟国のうち23カ国が提出を終えている。欧州委員会の審査、閣僚理事会による承認プロセスを終えた後、資金配分が始まる。現在の目標は7月の配分開始だ。

 持続可能な成長への意識は、コロナ禍が長期化し、経済・雇用の先行きが不透明な状況にあっても、引き続き高い。欧州投資銀行(EIB)による世論調査「気候サーベイ」の20~21年版 (※ii) では、「目下直面する最大の課題」に関する複数回答可の設問に対して、EU市民の7割以上が「新型コロナのパンデミック」、4割以上が「失業」を選択しているが、「気候変動」も3割以上を占める。自国政府の優先課題に対する二択の設問では、「出来るだけ早く経済成長の軌道に乗るため、あらゆる手段を用いて景気を刺激すべき」が米国では54%と過半を超えるが、EUでは43%で、「気候変動に必要な行動を考慮した経済復興確実にする経済の方向転換」が57%と過半を占める。

 市場におけるESG重視の傾向の強まりは、サステナブルファイナンス市場の急拡大という形で明確なトレンドとなっている。市場の変化は、米国の気候変動対策の方針が、トランプ政権からバイデン政権への交代によって大きく方向転換し、対立する中国も含めて国際協調で取り組むテーマとなった。脱炭素化は成長戦略として位置づけられるようになり、技術開発を巡る国際競争も激化している。

 EUは、脱炭素化と成長戦略の両立を早い段階から掲げてきたこともあり、サステナブルファイナンスの分野では、ルールメーカーとしても、資金調達主体としても存在感を発揮している。復興基金のためのEUの債券の30%ないし2,500億ユーロまでを「グリーン債」として発行する方針であり、「グリーン債」の枠組みの整備も進める。サステナブルファイナンス市場におけるEUのプレゼンスは一段と拡大する見通しだ。

 このようにコロナ禍にあっても欧州グリーン・ディールの推進力は強くなっているが、そのことが、欧州グリーン・ディールの成功、脱炭素化を巡る国際競争でのEUの勝利を約束する訳ではない。

 グリーン・ディールと世界におけるEUのプレゼンスについては様々な角度から論じることができるが、ここでは、復興基金に期待される役割と、その期待が裏切られるリスクに焦点を絞ることにしたい。

復興基金に期待される効果

 復興基金に期待される最大の役割は、コロナ禍の傷痕が、長期にわたる投資の落ち込みとして残り、成長と雇用に影響を及ぼし続けることを防ぐことにある。EUは世界金融危機で大きな打撃を受けた上に、圏内の債務危機拡大を許した。財政緊縮への転換のタイミングが早すぎ、しかも圏内での協調の視点を欠いていたため、過剰債務国の問題は深刻化し、圏内全体でも投資が停滞、潜在成長率が低下した。EUが、コロナ危機の早い段階で復興基金の創設に動き出したのは、過去の危機対応の失敗を教訓としているからだ。

 復興基金は、投資をグリーン化、デジタル化の領域に集中させることで構造転換を加速し、圏内・地域間の格差の拡大を抑制することも狙いとしている。復興基金の中核のRRFの使途は、(1)グリーン化、(2)デジタル化、(3)スマートで持続可能で包摂的な成長(R&D、イノベーション、中小企業政策など)、(4)社会的・地域的結束、(5)衛生・経済・社会・制度的強靭化、(6)次世代・子供・若年層向けの政策(教育、技能訓練等)の6つの柱のいずれかに適合する必要がある。うち、(1)のグリーン化には最低37%、(2)のデジタル化には最低20%を配分するというベンチマークが設定されている。

 圏内格差はRRFの配分を通じた是正効果も期待される。RRFの補助金3,125億ユーロ(名目3,380億ユーロ)は、人口、一人あたりGDPに加えて、15~19年の失業率(21~22年に割り当てる70%に適用)、20~21年の実質GDP低下幅(23年に割り当てる30%に適用)を基準として配分する結果、低所得国、高失業国、コロナ禍の打撃が大きい国に厚く配分される。一部推定値を含むRRFの補助金は、金額ベースではスペインが695億ユーロ、イタリアが689億ユーロへの配分が多く、GDP比ではクロアチアが12.8%、ギリシャが10.7%、ブルガリアが10.2%など南東欧に厚い。

 RRFの3,600億ユーロ(名目3,858億ユーロ)の融資枠も、過剰債務国・低信用国にとっては、低コストでの長期安定資金を確保できるベネフィットがあり、圏内格差是正の効果が期待される。各国が提出したRRFの利用計画には、イタリア、ギリシャ、ルーマニアは国民総所得(GNI)の6.8%という利用上限をフル活用する融資の利用を見込んでいるほか、ギリシャ、ポーランド、ポルトガル、スロベニア、キプロスも融資の利用を計画に盛り込んだ(図表)。補助金の配分が最大のスペインは、融資の利用を計画に盛り込んでいないが、これは21~23年に実施する「第一段階」の計画に絞り込んでいることによる。融資は23年8月まで申し込みできることになっており、当初計画では融資利用を抑えた国の積み増しも見込まれる。スペインも「第2段階」では融資を活用する方針だ。

図表 EU加盟国の復興計画の補助金・融資要請額と対GDP比
(資料) Bruegel Datasets ‘European Union countries’ recovery and resilience plans’ last update: 7 June 2021 (21年6月8日アクセス)、欧州委員会統計局

 復興基金には、信用力の制約などから、危機の打撃を受けやすく、投資が落ち込みやすい脆弱な国々の復興を、より強く後押しする効果が期待される。「欧州グリーン・ディール」以前のEUの成長戦略が失敗に終わった理由は、北欧など競争力のある国々での成果の一方、南欧などの十分な「底上げ」が進まなかったことにある。南欧や中東欧に資金を厚めに配分し、成長戦略の目標に沿った投資を促す復興基金には、EUとしての成長戦略の成功の鍵となる「底上げ」の効果が期待される。

 世界におけるEUのプレゼンスは、EUの拡大が止まって以降、低下し続けてきたが、復興基金を得た「欧州グリーン・ディール」の成功によって、少なくとも低下のスピードは鈍り、世界的な影響力の維持・強化につながるかもしれない。

復興基金への期待が裏切られるリスク

 こうした復興基金への期待が裏切られるリスクは、皮肉なことに、効果を発揮するために導入されたルールにある。

 前稿で触れた通り、補助金方式の復興基金には、オランダ、オーストリア、スウェーデン、デンマークの「倹約4カ国」が強く反対した。これらの国々は、過剰債務国・低競争力国にはガバナンスの問題があり、基金が将来の成長のために有効に活用されない、あるいはEUが掲げる政策目標外の用途に充当されるかもしれないという懸念を抱いている。こうした事態を防ぐべく、RRFの使途は制限され、利用計画には、定性的な目標(マイルストーン)や定量的目標(ターゲット)、その達成期限、政策効果、さらに環境への重大な影響を回避するための方策を盛り込むことなどを規則とした。投資の効果を高めるために、EUが加盟国の政策監視のサイクルで求めてきた各国への勧告を反映した構造改革を計画に盛り込むことも求める。

 各国の計画のルールへの適合性を審査する権限は欧州委員会に、計画承認の権限は加盟国の代表からなる閣僚理事会にあり、加盟国が、望み通りのスピード、規模で資金が得られる保証はない。利用計画が承認された段階で前払いされる資金は計画の13%までで、以後は、マイルストーンやターゲットを達成した段階で、欧州委員会に要請し、達成を確認した上で、配分する流れとなるためだ。過剰な財政赤字や、マクロ的な不均衡に適切に対処していない場合、利用計画からの重大な逸脱が認められる場合の一時支払い停止の規定もある。

 しかも、復興基金の投資計画は26年までに終える必要がある。既存のEUの中期予算を通じた基金の配分が3年間の猶予期間を認められているのに比べて厳格だ。

 復興基金が、投資の下支え、構造転換の促進、格差是正を通じて成長戦略の成功、あるいは世界におけるEUのプレゼンスの維持強化につながるという期待は、補助金の配分、さらに融資も含めた潜在的な利用額が多い南欧、中東欧が、資金を有効に活用するという前提に基づく。ガバナンスが弱いとされる国々が、果たして短い期間で、グリーン化、デジタル化という新たな領域への集中投資や、長年の課題であるが政治的には不人気な構造改革で、成果を挙げることができるのだろうか。欧州委員会による審査や閣僚理事会、場合によっては首脳会議も関わる承認のプロセスが、スピードを削ぎ、加盟国間の関係悪化へと発展するリスクもあろう。

 復興基金の始動は大きな一歩であり、EUの復興と構造転換を後押しし、財政統合への布石ともなり得る。しかし、厳格なルールの運用で躓き、経済的な停滞と加盟国間の分断を残す結果に終わるリスクもある。

成否を左右するイタリアのドラギ政権への期待

 復興基金の成否を大きく左右するのは最大規模の復興計画をまとめたイタリアだろう。ユーロ導入以来、イタリアの景気拡大は短く、弱いものに留まり、世界金融危機前の実質GDPの水準を回復しないままコロナ危機の衝撃に見舞われた。20年末の政府債務残高のGDP比は155.8%とEUではギリシャに次ぐ2番目だが、金額は2.6兆ユーロでギリシャ(3,410億ユーロ)とは桁が違う。イタリアが信用危機を回避し、安定的な成長軌道に乗ることができるか次第でユーロ圏、EUの復興の経路も大きく影響を受けることになろう。

 現在、イタリアの首相を務めるドラギ首相への期待は高い。ドラギ首相は、債務危機からユーロを救った欧州中央銀行(ECB)の元総裁。ドラギ氏率いるテクノクラート政権は左右の幅広い政党が参加する。EUとの関係改善や復興基金の活用を含む経済政策への舵取りの期待から、支持率は上昇しており、主要国のリーダーの中でもトップクラスに位置する (※iii)

 ドラギ首相には、今秋から来春にかけての独仏の政治日程に関わる「真空状態」を埋める役割にも期待が掛かる。復興基金創設を主導したメルケル首相は今年9月の総選挙後に引退し、マクロン大統領が来春の大統領選挙後も続投するのかも不確かだ。

 ドラギ首相率いるイタリアが過去の実績を覆すような経済復興を実現し、EU内でも、これまでにない存在感を発揮する展開になるのであれば、事態は好転に向かっているシグナルの1つとして捉えて良いように思う。

※i 伊藤さゆり「コロナの先の世界(23) コロナの先の欧州-推進力を得る欧州グリーン・ディール」
※ii European Investment Bank ‘2020-2021 EIB Climate Survey (2021年6月8日アクセス)
※iii Global Leader Approval Rating Tracker (2021年6月8日アクセス)


執筆者プロフィール
伊藤さゆり(いとう・さゆり)
株式会社ニッセイ基礎研究所 経済研究部 研究理事

1987年早稲田大学政治経済学部卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)調査部シニアエコノミストを経て、2001年、ニッセイ基礎研究所に入社。2019年7月より現職。2015年度より早稲田大学商学学術院非常勤講師も兼務している。EUと単一通貨ユーロを中心に世界経済、国際金融情勢について考察している。日本EU学会理事。近著に「沈まぬユーロ」(文眞堂、2021年、共著)、「英国のEU離脱とEUの未来」(日本評論社、2018年、共著)などがある。



事業のカテゴリー: 情報発信事業