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配信日:2004年2月16日

衆院選で土井たか子率いる社会民主党が惨敗

フリージャーナリスト

粟野 仁雄


衆院選挙で土井たか子氏率いる社会民主党は惨敗。旧社会党時代から社会主義諸国との絆を重んじたが中国、ソ連も成果は自民党に取られ、残った北朝鮮が拉致問題で命取りになった。

 「民主党躍進」「政権を取れないのだから自民の勝利」。評価が分かれた昨秋の衆院選挙で、時代の終幕を痛感させたのが18議席から6議席へと惨敗した社会民主党。中でも土井たか子党首が小選挙区(兵庫県西宮市・芦屋市)で落選したことは象徴的だった。

  最大の逆風は北朝鮮問題。この場合、核問題などは関係ない。日本人拉致問題に限定されての北朝鮮問題である。02年9月の電撃的な日朝首脳会談から国民の目は、拉致被害者らの家族や、直後に四半世紀ぶりの帰国を果たした被害者に釘付けになった。

  その一方、北朝鮮との友好関係を守るあまり、「拉致はありえない」としてきた社民党は、過ちを認めて謝罪したが、すでに遅かった。地元で土井氏と一騎打ちとなった自民党新人の兵庫県議、大前繁雄候補は、96年に県議会で拉致問題を質問した実績を金科玉条に「拉致問題への取り組み」を売りにした。欧州留学中に北朝鮮に拉致されたと見られ、いまだに不明になっている神戸市の有本恵子さんの両親を同伴し、社民党と土井党首を攻撃した。
 両親は娘を取り返さんと奔走中、「国交のない北朝鮮とのパイプは社民党」といわれて土井事務所の門を叩いたが事実上、無視されていた。金正日主席の執務室がテレビに映ると、主席に贈られた賞状に社会党元委員長の石橋正嗣氏の名も見えた。

  14歳で拉致され北朝鮮側に「死んだ」とされた横田めぐみさんの両親の悲痛な姿も連日、お茶の間に流された。選挙目当ての「にわか拉致問題議員」も散見したが、拉致被害者への国民的同情の中、社民党の旗色は俄然、悪かった。

  社民党は前身の社会党時代から、社会主義国の中国、ソ連、北朝鮮との友好に力を入れてきた。しかし実を結ばないどころか、自民党に肝心なところを持っていかれた。とりわけ中国との国交回復は全党的課題だった。「日中友好」を強調するあまり、自民党の岸信介総理に「赤の手先」と罵られた浅沼稲次郎委員長が、右翼に刺殺される犠牲まで払った。だが1971年の歴史的な日中国交回復の立役者は自民党の田中角栄総理だった。田中氏は汚職で逮捕されても中国では死ぬまで国賓だった。「日ソ親善」も社会党の存在感を示す大義だったが、これもソ連のあっけない崩壊でジリ貧に。ソ連時代とて、ソ連共産党幹部らは日本の社会党より財界をバックにする自民党に愁眉を送り続けていた。社民党にとって残った「売り」が「北朝鮮との太いパイプ」だった。それが皮肉にも命取りになった。

  さらなる逆風は身内の不祥事。ホープだった大阪選出の辻元清美衆院議員が、秘書給与の詐取事件を問われて衝撃的な逮捕となった。「不当逮捕」の声も強いが土井氏自身の秘書も逮捕され、形勢は不利になる一方。これまで土井チルドレンと呼ばれる、「おたかさん」人気頼りの候補の応援演説でほとんど地元入りできなかったが今回、煩雑に地元入りし、75歳の体に鞭打ち「イラク派兵反対」と声を枯らした。比例区で救われたが党首を辞任、同じく女性の福島瑞穂氏に後を託した。しかし近年、拉致問題などで累が及ぶのを恐れた党員の多くが民主党に鞍替えしてしまっていた。

  80年代、腐敗する自民党を批判、「護憲、平和」を柱に、消費税反対など抜群の人気で、後に衆院議長にもなった土井たか子氏。マドンナブームとされたが生真面目な憲法学者の活躍は女性ならずとも好感が持てた。「全責任は私にあります」。山を動かした女党首の満身創痍の去り際は、彼女のポスターを見て育った筆者には寂しい。


 
 
 

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