新たな通商ルール戦略研究会 環境分野のスコープ

新たな通商ルール戦略研究会 環境分野のスコープ


問題意識
1. 「環境の保護」は“市場の失敗”の代表的分野とされ、市場機能に委ねるだけでは解決が困難な問題である。従って、市場機能や自由貿易の追及と環境保護の両立を図っていくためには、何らかの調整が必要とされる側面がある。 1947年に制定されたGATTでは、両者間の調整に関する明示的な規定を設けず、代わりに第20条で規定した“人、動物又は植物の生命又は健康の保護の為に必要な措置”、又は“有限天然資源の保存に関する措置”に限って、例外的に自由貿易の制限を認める枠組みを導入した。
その後、公害問題など経済成長に伴う環境問題の重要性が国際的に更に高まり、1994年にGATTに代わり設立されたWTOのマラケシュ協定前文には、「環境の保護」や「持続可能な開発」 の考慮が言及され、多角的自由貿易体制と環境政策を両立させるべきであるとの認識が示された。
しかし、 “有限天然資源には清浄な大気も含まれる”など、限定的な範囲での解釈拡大が図られて来たものの、今日に至るまで、第20条の柱書の解釈等例外規定の条件や限界が必ずしも明確とはなっておらず、まして、WTOの諸協定に環境関連の条文が具現化されるには至っていない。従って、環境保護の拠って立つ理念とWTO上の自由貿易主義や無差別原則をどのように調和させ、GATT関連規定の解釈に取り込むのか、また(解釈に限界があるならば)規定に反映させるのか、といった「貿易と環境」を巡る議論は依然として課題として残された状態にある。

2. WTOでの環境を巡る議論が停滞する中、近時、WTO設立時には想定していなかった気候変動問題が大きくクローズアップされ、国際通商ルールに影響を与え得る様々な措置に大きな展開が見られている。
 もとより環境問題は国境を越えて被害が拡大するリスクを有し、一国だけでの対応には限界があり、複数国間または世界レベルでの共同対応が必要とされる性格を有している。気候変動への対応についても、MEA(多国間環境協定)として、1992年の国連の気候変動枠組条約(UNFCCC)を契機に1997年の京都議定書を経て、2016年に「パリ協定」が多国間協力の枠組みとして採択されている。そうした流れを受け、現在2050年のカーボンニュートラル実現に向け、WTOより踏み込んだ枠組みの下、国、地域など様々なレベルで取り組みが進められている。

(CBDR)
 気候変動問題への主な対策としては、自然林や海洋の保護などに加え、経済活動に伴う化石燃料消費の削減を通じた温室効果ガス(GHG)の排出抑制であり、一国の経済活動や経済発展の制約要因として“経済と環境のトレードオフ”の側面を有している。従って、国際的に気候変動対策を実効あるものとするためには、特に途上国に於ける経済的負担能力や化石燃料への依存度など、各国の経済発展等の状況を踏まえることが極めて重要な要素となっている。
 こうした観点から、国際交渉の場ではUNFCCCで定められた“先進国が途上国に比してより重い責任を負う”という「共通だが差異ある責任」(CBDR)が確立した原則として共有されるに至っており、既に一部のFTAでは当該国のパリ協定上のコミットメントを確認し、FTAがこれらMEAの実施を妨げない旨が規定されている(日EUEPA第16.4条第3項、5項ほか)。更に、EUが締結又は締結交渉中のFTAでは、CBDRを含むパリ協定第2条に沿って気候変動対策に関する通商措置が実施されることを定めている(EUメルコスールFTA 「貿易と持続可能な発展章」 第6条)。
 ただ、CBDRはWTOの掲げる無差別原則とは異なる原則であり、これが環境分野の国際通商ルールとして拡大していけば、WTOの枠組みは事実上空洞化する恐れがある。
 他方、そもそもGATT規定上(例外措置)、CBDRの枠組みが果たしてWTOとは相容れないものなのか、確立した解釈もないのが現状である。

(CBAM)
 更に、対策に伴う経済的負担の問題は、先進国における新たな規制措置導入の背景ともなっている。経済のグローバル化の進展に伴い、国家間の産業競争力を巡る争いが激化する中で、自国のみが環境対策の強化を行えば、対策を怠っている他国からの輸入品との間で、環境負担コストの差により自国産品が不利な競争環境に置かれることになる。EUはこうした懸念を踏まえ、輸入品に対して国内品と同等の炭素コストの負担を水際で求め、競争条件の同一化を図ろうとする炭素国境調整措置(CBAM)の導入を進めており、他国にもこれに倣った動きがある。
 しかし、これは「環境対策の裏返しとしての自国産業の競争力維持戦略」であり、「EUが独自に設定した枠組みの下で適用対象国や産品及び負担水準を決定し、地球環境の保護を名目に他国への負担を強いる一方的措置ではないか」として、通商紛争に繋がるリスクが懸念されている。
 そうした際、先ず重要となるのがCBAMとWTO協定との整合性である。現状、CBAMの運用細則等が明らかとなってはいない中、GATT第20条の例外規定の該当性や内外無差別の下で認められる第2条2項(a)号「国境税調整」の仕組みの該当性など、様々な論点や課題が指摘されているものの、その整合性の有無は不透明な状態となっている。

3. こうした事態が放置されれば、環境保護を名目とした保護主義的措置の濫用を招きかねず、高まる紛争リスクを抑止することは困難となる。従って、WTO協定上、何が許されて何が許されないのか、特にCBAM措置についてはどのような条件が満たされれば整合性が確保され得るのかについて、明確な基準なり方向性を示すことが重要となっている。
 また炭素コストの国境調整の問題は、今般のCBAM制度導入に止まることなく、将来的な各国に於けるカーボンプライシング制度やその国際取引システム導入を見据えれば、いずれ国際的排出量取引市場の立ち上げや炭素税の国境調整措置の導入の局面において、通商ルールの観点からの検討が求められることが想定される。その意味でも、先ずはWTOとの整合性を確保しうるCBAM制度のあり方が示されることには大きな意義があるものと考えられる。
 この為、先ずはGATT第20条の例外規定を中心に関連規定の解釈基準を明確に示して許容条件を明確化すると共に、更には将来的な炭素コストを巡る国際的な取引制度や国境調整措置などの導入を見据えて、必要となるGATTの条文修正などの方向づけを検討すべきである。

4. 他方で、環境を将来的にもWTOの例外分野と位置づけ、問題や課題が発生する毎に現行規定の解釈の精緻化などで乗り切ることの限界についても十分検討する必要がある。「環境」が例外分野に止まる限り、これを巡る紛争は個別案件毎に第20条の該当性を、一般条項に基づいて“信義則”などの抽象的な基準の下で審査されることになる。これは法的予見性や安定性を害し、紛争は寧ろ多発していく可能性がある。国際社会の潮流が変わり、今後共気候変動対応策の拡大、強化が見込まれる状況を踏まえると、環境問題は例外分野として処理するレベルを超えるとの認識が高まっている。
 これまで自由貿易を旗印としてきた国際通商体制は、「非経済的分野」という一種のパラダイムシフトを求める分野が無視できない存在として大きくなりつつある。米中摩擦、そしてコロナ危機やウクライナ戦争を契機とした効率化を最優先してきたグローバリゼーション見直しの流れの中で、WTOもこれまでとは異なる別の原理や価値観を導入し、分野に応じた新たな手法や規律を取り入れていかない限り、市場機能を基本とする国際通商体制自体が持たなくなってくるとの危機意識を持つべき段階に差し掛かっている。
 環境分野もその例外ではない。既に一部のFTAなどで規定化している規律をWTOの中に積極的に取り込む方向を目指し、そうした中で両者を調和させ、相互に影響させ、結果、WTOをより強靭化、強いものにしていく姿勢が重要である。

検討のスコープ
 本研究会のスコープは、上記の問題認識の下、WTOが環境分野における現下の国際社会のニーズをいかに取り込み、その現代化を図っていくべきかという観点から、本件に係る当面の具体的な課題と対応の方向性及びWTOとして中期的な対応のあり方を示すことである。
 具体的には、先ずは環境保護を理由とした貿易制限措置の現行ルールを確認し、先例を踏まえ、関連規定の解釈と課題を整理する。その上で、環境問題の中でも最大の課題である気候変動対応に係る通商関連措置にフォーカスし、具体的事案としてCBDR 及びCBAMについて、WTOとの整合性の有無を先ずは検証し、整合性が認められないとなれば、第20条の例外規定上どのような解釈が可能であり、仮に解釈に限界があるとすれば、どのような対応が求められるのか、CBAM側の制度構築上の留意点と併せ、見解を取り纏める。更に、環境保護という市場メカニズムとは異なる原理のWTOの枠組みへの取り込みに関し、取り込むとすればどのように取り込むことがあり得るのか、その方向性及び蓋然性を示すこととする。

新たな通商ルール戦略研究会 -非経済的関心事に基づく制限措置について-
環境分野とりまとめ(全文)
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