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貿易赤字に関する不都合な真実 独立行政法人 経済産業研究所 研究顧問 根津 利三郎 【配信日:2019/01/31 No.0286-0287-1095】

配信日:2019年1月31日

貿易赤字に関する不都合な真実

独立行政法人 経済産業研究所
研究顧問
根津 利三郎


 トランプ大統領は、米国は長年にわたり貿易赤字を放置したことにより、何兆ドルもの富と何百万人の雇用を外国に奪われてきた、と主張している。それを止めるために、国際ルールを無視して次々に輸入制限策を導入し、中国とだけでなく、長い間の友好国との間でも貿易戦争を展開している。これは的を射た議論なのか、検証する。


 トランプ大統領は貿易赤字は米国経済の最大の問題だと心から信じている。日本や中国、ドイツといった国々は長年にわたり米国に対して巨大な黒字、すなわち米国にとっての赤字、を続けることにより、何兆ドルもの米国の富を奪ってきたと公然と主張している。トランプ氏の話し方は極端であるが、このような主張は彼だけのものではない。

 筆者が1980年代、経済産業省にいて貿易交渉にかかわっていたころ、米国商務省のあるスタッフから「10億ドルの輸入は25000人の雇用を奪う。」という話を聞いたことがある。「外国からの安い商品により国内産業が競争できなくなり、倒産して、失業者があふれる、だから輸入をストップすれば国内生産が拡大し、失業も減るはずだ。」というのはいかにもわかりやすい議論だし、産業、企業あるいは時によってはその通りのこともあろう。だが経済全体としてみた場合、これは正しい議論なのだろうか。

 データを見てみよう。表は米国における貿易赤字と失業率、GDP成長率を過去36年間にわたり見たものだ。 貿易赤字が失業の原因であるならば、貿易赤字が拡大したときには失業率は上昇しているはずだ。貿易赤字が拡大したのは1980年から86年、92年から2006年、2013年から最近までの3期間だ。

IMF World Economic Outlook, 2018 Aprilのデータを基に筆者が作成
 このうち最初の期間は失業率は下がっている。第二期間についても92年から2000年までの8年間は失業率は下がっている。さらに第三期間についても失業率は下がっている。上記の理論通りに貿易赤字が拡大し、それとともに失業率が上昇している期間は2000年から3年までの短い期間だけだ。

 貿易赤字と失業率がともに下がっている期間としては85年から89年の間と2006~9年まで、合わせて7年である。つまり過去36年のうち貿易赤字と失業率が理論通りに動いたのは10年だけで、それ以外の年は貿易赤字が拡大(減少)しつつ、失業率が下がる(上がる)減る、という、貿易赤字が失業を生むという冒頭述べた理論とは逆のことが起こっているのだ。

 もちろん貿易赤字と失業との間にはタイムラグがあるなど分析の緻密さには問題はあろう。だが貿易赤字が失業の原因という主張はデータを見るだけでも誤り、むしろ逆であることがわかる。貿易赤字と雇用との関係はもっと複雑なのだ。

 その複雑な関係を理解するためにGDP変化率をグラフに入れた。GDP成長率は経済全体が成長・拡大しているか、あるいは低迷、縮小しているかを示す。GDP成長率が高いとき、すなわち景気がよいときには失業率も下がるが貿易赤字は拡大する。経済全体が良ければ人々の懐も豊かになり、より多くのものを国内、輸入品を問わず買う。企業はより積極的に投資をする。その結果国内企業は商売が拡大し、雇用も増えるが、同時に外国からの輸入も増え、貿易赤字も増えるのだ。

 これは米国に限ったことではなく、どこの国にも当てはまる傾向だ。筆者自身の経験からしても米国景気が良いときに家電製品や自動車などの対米輸出が増え、通商摩擦が激化したが、失業率は低かった。逆に米国経済が不況の時には貿易赤字は減り、通商摩擦も低下するが、失業率は上がるのだ。したがって失業を減らすためには経済全体をよくすることであり、輸入を減らすことではない。

 このことは経済学者にとっては何ら不思議なことではない。なぜなら彼らは貿易収支は経済全体の需要と供給の差である、と定義する。需要が拡大すれば国内の供給はもちろん増えるが、国内供給力には限界がある。雇用は労働者をすべて雇用すれば、それ以上生産は増えない。設備稼働率も100パーセント以上は上がらない。国内供給が天井に近づけば、あとは輸入に頼るしかない。かくして景気の良いときにこそ輸入は増える。

 トランプ大統領が行った大幅減税の結果、米国経済はさらによくなっているが、貿易赤字も拡大し、特に中国との間の貿易赤字額は過去最大になっている。彼自身の政策が赤字を拡大させている。

 輸入を抑えることで国内生産はどの程度復活するのか。衣服、雑貨、玩具、加工食品など労働集約的な産業は米国ではそもそも消失しており、関税をかけても米国の消費者が払う価格が上昇するだけで、雇用は増えないであろう。鉄鋼については日本の鉄鋼企業の関係者に訊いたが、すでに米国では生産出来ないような高級品に特化しており、米国での販売量はほとんど減らないとみている。それでも鉄鋼製品の値上げは避けられず、それがユーザー産業、特に自動車産業に転嫁され悪影響をもたらすことになろう。関税引き上げが米国産業に不利に働く典型的な例だ。

 自動車産業はトランプ大統領が守りたい産業のナンバーワンだ。もし自動車の輸入関税が25%も引き上げられれば、日本やドイツなどの国からの自動車、特に高級車の販売には相当の悪影響は避けられない。同時に米国の消費者は値上げや選択の幅は狭まるなどの不利益が発生する。それでも長期的には米国に生産拠点を移す企業は出てくるであろうから、自動車産業の雇用は増えるかもしれない。

 トランプの狙いはそのあたりとみられるが、トヨタ、日産、ホンダ以外の日本自動車メーカーは規模が小さく、対米投資は難しいだろう。関税引き上げ分を米国内での販売価格を引き上げるか利益を圧縮するしかなくなるだろう。米国政府にとっては関税収入が得られることは多少の意味はあるかもしれない。だがこれはトランプ大統領が最も嫌う消費税の引き上げと何らかわらない。

 そもそも米国の貿易赤字は経済全体に対して3%程度の規模である。これが多少拡大したところで経済全体に与える影響は限られている。失業問題の原因を輸入に求めるのは、特定の産業を除き、明らかに議論としては無理がある。特に米国のようにサービス産業が雇用の8割を占める場合、輸出、輸入の割合は低く、何らかの輸入制限したところで雇用の拡大は期待できない。

 そう遠からずトランプ大統領はこのことに気づくであろう。ただし誤りを認めない彼は軌道修正しないかもしれない。もうしばらくこの誤った政策が続くことを覚悟しなくてはならない。そのコストの大半は米国の消費者が払うことになる。


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