| トップページ |この記事のカテゴリー: オピニオン・論説 |
e-Magazineのバックナンバー:| カテゴリー検索 | キーワード検索 | 記事一覧 |
2010年度以前 (IIST ワールドフォーラムメールマガジン) のバックナンバー:| キーワード検索 | 記事一覧 |

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


(本記事の英語版はこちら)

農産物輸出戦略の死角~自動車産業を超えられるか~ 一般社団法人 共同通信社 編集委員兼論説委員 石井 勇人【配信日:2016/05/31 No.0255-1009】

配信日:2016年5月31日

農産物輸出戦略の死角~自動車産業を超えられるか~

一般社団法人 共同通信社 編集委員兼論説委員
石井 勇人


 環太平洋連携協定(TPP)の批准に向けて、安倍政権は「攻めの農業」の柱として農林水産物の輸出に力を入れているが、輸出の増加は必ずしも農家所得の向上に結び付かない。国内農家の減少や高齢化で供給力そのものが衰退しており、輸出を着実に増やすためには農業の担い手の確保・育成が不可欠だ。


 環太平洋連携協定(TPP)の批准・発効に向けて、安倍政権が「攻めの農業」の柱の一つとして力を入れているのが、日本からの農林水産物・食品の輸出だ。

 2015年に前年比21・8%増の7451億円となり、3年連続で過去最高を更新し、「1兆円」の目標が視野に入って来た。内閣府のTPP担当者は「訪日観光客数がわずか2年で倍増したように、臨界点を超えると急増する可能性がある。長い目でみれば5兆円も夢ではない」と期待を膨らませる。この担当者は「自動車は今後、市場に近いところで現地生産する傾向が強まり、完成車の輸出はもう増えない。将来は、農産物が自動車にとって代わって日本を代表する輸出産業に育つ潜在力がある」と、自動車(四輪車)の年間輸出額の約11兆円(部品を除く)を超える可能性もあると指摘する。

 内外価格差が大きく、輸出が難しいとみられているコメについても、輸出産業化できるとみる。中国などの富裕層向けに潜在的な市場が大きく、経営規模の拡大や多収量品種の開発などでコスト削減の余地は大きいというのが理由だ。

平成27年農林水産物・食品の輸出実績(確定値)

 筆者としては、日本の農産物の輸出が急増して10兆円に達するという夢の実現を願う。しかし農村部を歩けば、果樹や和牛などの高級食材、ホタテガイなど一部の水産物を除けば、輸出戦略はまだまだ緒に就いたばかりであり、特にコメのコスト削減は容易ではないと実感する。経営規模の拡大に限界があり、農機や生産資材も高コスト、雇用の確保も難しいからだ。確かに中国からの観光客は炊飯機を買って帰国するほど、日本のコメに目覚めているが、コメの輸出先として有望視される中国はTPPに参加しておらず、日中間には経済連携協定が存在しない。

 そもそも「7千億円超」という統計自体が水増し状態だ。統計には、真珠、タバコ、清酒などアルコール飲料が含まれており、これら3品を除くと6486億円。食肉、野菜、果実の「生鮮農産物」に限定すると383億円に過ぎない。確かに真珠の輸出は大きく伸びているが、3品を除くベースで1兆円に達するのは容易ではない。

 真珠と並んで輸出の増加をけん引しているタバコは、原料となる葉タバコはほとんどが輸入だ。ウイスキーやビールなどアルコール飲料や、カップ麺や菓子(米菓除く)など加工食品の伸びも大きいが、これらの原材料の大半は小麦などの輸入であり、国内の農業生産との関係はほとんどない。

 輸出の増加は外国為替相場との相関関係が強く、2015年までの増加は円安基調だったことを映している。実際にこの数か月間は円高に振れており、輸出の伸びも鈍化の兆しがある。しかも円安はもろ刃の剣だ。輸出を促進する一方で、上記のような加工食品の場合、原材料の輸入価格が上昇するからだ。和牛に代表される畜産業で使う飼料も、大半は輸入穀物であり、牛肉も一種の「加工貿易」だ。化学肥料やビニルなどの農業資材も、円安によって割高になる。目下の所、歴史的な原油相場の下落で、商品全般の国際相場が落ち着いているため、円安の悪影響が緩和されているだけだ。

 メロンなどの果実のように輸出向けの高級品を栽培するためには、手間が掛かり、ブランドイメージを維持するために少しでも傷があれば廃棄しなくてはならない。生鮮品の場合、保冷輸送など物流費用も大きい。高く売れてもコストも大きく、採算割れとなりかねない。海外での市場開拓のための初期投資は巨額で、リンゴの「フジ」や高級肉「WAGYU」のように日本産が高い評価を得て市場を切り開いた後、中国産やオーストラリア産などとの価格競争に引きずり込まれることもある。

 このように見掛けの輸出金額は増えても、コスト面を考えると農家の手取りの収入の増加に結び付くとは限らない。また日本国内の常識とは異なり、海外では必ずしも日本の農産物は「安全」とは思われていない。特に水産物の衛生管理は、文化的な背景もあって日本の基準は欧米とは異なっており輸出に不利だ。残念ながら、福島原発事故による風評被害も続いている。

 さらに、根本的な問題は、国内農家の減少や高齢化で供給力そのものが衰退していることだ。この傾向は特に酪農で著しく、バター不足の要因でもある。かつては酪農や畜産業は、農家数が減少する一方で急激な規模拡大が起きて、供給力を維持・強化してきた。しかし、さらなる規模拡大には巨額の投資とリスクが伴う。2010年に宮崎県で発生した口蹄疫の教訓は、これ以上の規模拡大や過密飼育は危険だということだ。供給力が弱い状態のまま輸出にドライブがかかれば、国産農産物の国内価格が上昇して消費者のメリットにもならない。海外市場でも、同品質の割安の外国産類似品に代替される恐れがある。

 2013年にユネスコの無形文化遺産として「和食」が登録されたことや、2015年イタリアのミラノで開かれた万博で日本の農産物や食文化が注目されたことで、国産農産物を海外に売り込んでいく好機であることは間違い無い。ただ供給力を整えなければ一時的なブームに終わってしまう恐れがある。観光客の誘致と違って農産物の供給力は、一朝一夕には増やせない。

 国産農産物の輸出を着実に伸ばすためには、見掛けの数字に踊らされず、冷静に市場開拓の可能性を見極めて、北海道のナガイモやホタテガイのように、個別具体的な戦略を練ることだ。漠然としたイメージ作戦では頭打ちになるだろう。そして、何よりも担い手の確保と育成を優先し、確固たる国内供給力を維持することだ。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

(本記事の英語版はこちら)


| トップページ |この記事のカテゴリー: オピニオン・論説 |
IIST e-Magazineのバックナンバー:| カテゴリー検索 | キーワード検索 | 記事一覧 |
2010年度以前 (IIST ワールドフォーラムメールマガジン) のバックナンバー:| キーワード検索 | 記事一覧 |