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2015年ミャンマー総選挙と「ポスト軍政」の政治 政策研究大学院大学 教授 工藤年博【配信日:2016/03/31 No.0253-1005】

配信日:2016年3月31日

2015年ミャンマー総選挙と「ポスト軍政」の政治

政策研究大学院大学 教授
工藤 年博


 2015年総選挙を機に、ミャンマーでは本格的に「ポスト軍政」の時代が始まる。これまでの民主化をシングル・イシューとする「イデオロギーの政治」が終わり、これからは経済成長を含む政策パッケージの内容と実行を競う「パフォーマンスの政治」へと移行する。今回の総選挙の結果にも、こうした移行の兆しを読み取ることができる。総選挙の結果を読み解きつつ、「ポスト軍政」の政治を展望する。


真の「ポスト軍政」の幕開け
 ミャンマーでは2015年11月に、2008年憲法に基づくものとしては2010年11月に次ぎ2回目の、民政移管後では初の総選挙が実施された。その結果、アウン・サン・スー・チー党首(以下、スー・チー党首)が率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)が連邦議会(二院制)の民選491議席のうち390議席(79.4%に相当)を獲得し、圧勝した。テイン・セイン大統領が率いる与党・連邦団結発展党(USDP)は41議席(8.4%に相当)しか得られず、敗北を喫した。連邦議会には選挙を経ずに国軍司令官が任命する軍人議席が166あるが、これを含めてもNLDは連邦議会の約6割を占めることとなった。このことはNLDが単独で大統領を選出する議席数を得たことを意味する。
 今回の総選挙は歴史的意義をもつ。2010年11月に実施された前回の総選挙では、USDPが民選493議席のうち388議席(78.7%に相当)を獲得した。しかし、この時は軍政下でスー・チー党首が自宅軟禁下にあり、NLDは総選挙をボイコットしていた。その前の総選挙は1990年にまで遡る。この時は今回と同様、NLDが人民議会(一院制)の485議席のうち397議席(81.9%に相当)の議席を獲得したが、その後軍政が政権移譲を拒否したため選挙結果が実現することはなかった。その前はというと、社会主義時代の信任投票となってしまう。ミャンマーで正当に行われた最後の総選挙は1960年のそれとなり、じつに55年も昔になる。2015年総選挙はミャンマーで半世紀ぶりに、自由・公正に実施された歴史的イベントであった。
 しかし、今回の総選挙の意味はそれだけではない。この総選挙は2つの意味で、ミャンマーに新たな時代を拓いた。ひとつは国民が総選挙で選んだ代表、すなわちNLDに政権を移譲することを、USDPと国軍が認めたことである。これにより、2016年3月末にはNLD新政権が誕生する。このことは、スー・チー党首が代表する民主化勢力とタン・シュエ元軍政議長が代表する国軍とが、過去四半世紀を通じて民主化をめぐり激しく争い、その過程で国民生活が著しく劣化するという悪循環に終止符が打たれることを意味する。ミャンマーは真の意味で「ポスト軍政」の時代を迎えるのである。
 もうひとつは、ミャンマーにおいて政治―より正確には政党政治―が始まる(あるいは1950年代以来、復活する)ことである。今回の総選挙では「民主化」というシングル・イシューとスー・チー党首の国民的人気でNLDは勝利を収めた。しかし、この選挙結果を詳しく観察すると、そこにはミャンマーの社会的多元性や多様な利害がすでにある程度反映されている可能性をみることができる。今後はNLD、USDP、そして少数民族政党が中心となって、それぞれ独自の政策的位置付けとシングル・イシューではない政策パッケージを提示して、有権者の支持獲得を競う時代になるだろう。すなわち、民主化をめぐる「イデオロギーの政治」が終わり、経済成長などの成果を重視する「パフォーマンスの政治」が始まるのである。以下では選挙結果の分析をつうじて、ミャンマーにおける政党政治の兆しを観察してみたい(※1)。

小選挙区制と選挙結果
 ミャンマー連邦議会では人民院・民族院ともに小選挙区・単純多数制をとっている。人民院は全国330のタウンシップから1議席ずつで330議席、民族院は管区域(7つ)・州(7つ)をそれぞれ12選挙区に分けて1議席ずつで168議席を選出する。この選挙制度では死票が多くなるため、(獲得)議席割合と得票率との間に乖離が生じる。
 表1によれば、2015年総選挙においても、両者の間に相当な乖離があることがわかる。両院においてNLDは約6割の得票率で約8割の議席を獲得したのに対し、USDPは約3割の得票率で1割以下の議席しか得られなかった。もし比例代表制が採られていればUSDPは約3割の議席を獲ることになり、連邦議会の4分の1を占める軍人議席と合わせれば、政権を維持できる可能性もあったかもしれない。実際、USDPは総選挙前に比例代表制に選挙制度を変えるよう議会に提案している。かなり早い段階から、NLD有利、USDP不利がわかっていたためである。
 しかし、USDPが議会の過半数を握っていたにもかかわらず、選挙制度の改変は実現しなかった。ミャンマーでは選挙制度の変更には憲法改正が必要であるなど、ハードルは低くない。それでも選挙制度の変更は不可能ではなかったはずである。テイン・セイン大統領には是が非でも政権を維持するという、強い政治的意思がなかったのかもしれない。あるいは、総選挙で負けたにもかかわらず軍人議席を使って政権の座に居座っても、国民の理解を得られないとの判断があったのかもしれない。

表1 2015年総選挙 両院における政党別議席割合と得票率 NLD、USDP、少数民族政党の競合関係
 ここでは主に得票率から総選挙の結果をみていこう。表1によれば、NLDの得票率は両院ともに、ビルマ族が多く居住している管区域で高く、少数民族が多く居住している州で低い。USDPも管区域での得票率が州でのそれよりも高いが、その差はNLDほどではない。NLDとの比較でみれば、USDPは州において相対的に強いということができる。
 図1と図2は人民院におけるNLDとUSDP、NLDとその他政党(=少数民族政党が中心)との得票率の相関を示したものである。図1からNLDとUSDPは管区域において逆相関、すなわち競合関係にあることがわかる。とくにNLDは大票田のヤンゴン管区域において70%を超える得票率を得、USDPを圧倒した。一般にはテイン・セイン大統領とUSDPが行ってきた政治・経済改革の最大の受益者は、ヤンゴン都市部の住民と考えられてきた。開放政策によって外資が流入したのは主にヤンゴンであり、そこで仕事を得たり、土地の価格が高騰したことで利益を得たりした人々が最も多かったのがヤンゴンである。インフラ整備もヤンゴンで急速に進んだ。しかし、ヤンゴン管区域におけるUSDPの得票率は14の管区域・州のなかで最も低かった。
 これと対照的なのがエーヤーワディー管区域である。ここではNLDの得票率が7つの管区域のなかで最低(54%)であるのに対し、USDPの得票率は14の管区域・州のなかで最高(38%)を記録した。NLDのマニフェスト「変化の時は来た」によれば、同党が農業・農村開発や農地問題の解決を優先政策課題に位置付けていることは明らかである。本来、ミャンマー最大の穀倉地帯であるエーヤーワディー管区域の農業関係者から高い支持を得ても不思議ではない。しかし、実際にはそうならなかった。
 USDP党首のテイン・セイン大統領も共同党首のテー・ウー元農業灌漑大臣もエーヤーワディー管区域の出身であり、USDPはこの地域での選挙キャンペーンに力を入れた。農村部ということで、USDPにとっては灌漑や道路整備などの開発実績を示しやすかったのかもしれない。あるいは、政権党としての地位を利用して、公共事業を地元にもってくるなど利益誘導もあったかもしれない。いずれにしても、テイン・セイン大統領やUSDP政権の改革や開発プログラムに反応した有権者が相当数いたということである。
 次に、図2からNLDは各州においては少数民族政党(=「その他政党(USDPを除く)」は州においてはほぼ少数民族政党と考えてよい)と逆相関にあり、競合関係にあることがわかる。今回、NLDは少数民族政党と選挙協力をせず、各州においてもほぼ全ての選挙区に候補者を立てた。有権者は地元の少数民族政党に投票して民族的アイデンティティを示すか、全国政党のNLDに投票して政権交代に貢献するかの選択を迫られた。結果として、ヤカイン州やシャン州など有力な少数民族政党が存在するところでは票は地元の政党に相当流れ、地元の有力政党が存在しないところではNLDが選ばれるという結果になった。
 一方、USDPの各州における得票率は約25%で安定しており、USDPは各州においてNLDとも少数民族政党とも直接の競合関係にないことが示唆される。先に指摘したとおり、テイン・セイン大統領とUSDPの改革の最大の受益者はヤンゴン都市住民であり、農村部や州の住民が大きな利益を得たとは考えられていなかった。にもかかわらず、なぜUSDPは各州で一定の支持を得ることができたのであろうか。テイン・セイン大統領とUSDPが進めてきた少数民族武装勢力との和平への努力が支持されているのか、各州でのインフラ開発などが評価されているのか、あるいはそもそも治安の悪い国境地域を抱えるいくつかの州には国軍、国境警備隊、警察などの人員が多く配置されており、各州の少数民族ではなくこうした治安関係者がUSDPを支持しているということもあり得ない話ではない。各地域における政党間の競合と支持調達の要因解明は、今後の研究課題である。

図1 NLDとUSDPの管区域・州別得票率、図2 NLDとその他政党(USDPを除く)の管区域・州別得票率 NLD伸び悩み、USDP健闘か
 NLDとUSDPにつき、自由・公正に行われた2つの総選挙、すなわち1990年総選挙と2015年総選挙の得票率の変化をみてみよう。もちろん、両時点では選挙制度も異なるし、USDPについては1990年には存在さえしていない。そこでやや乱暴であるが、①NLDについては、1990年人民議会選挙(397議席)におけるNLDの得票率と、2015年人民院選挙(323議席)におけるNLDの得票率とを比較、②USDPについては、1990年人民議会選挙における国民統一党(NUP)の得票率と、2015年人民院選挙におけるUSDPの得票率とを比較することにしたい。ただし、NUPはビルマ式社会主義計画党(BSPP)の後継政党であり、1990年総選挙の当時、軍政はNUPへの政権移譲を考えていたとされる。1988年の全国規模の民主化運動はBSPP政権に反対して発生したものであり、それから2年しか経っていない1990年総選挙においてはNUPの得票率が異常に低かったという解釈も成り立つ。こうした留意点を頭におきつつ、数字をみていくことにしたい。
 表2はNLDとNUPの1990年総選挙時の得票率と、NLDとUSDPの2015年総選挙時の得票率とを比較したものである。NLDは全国レベルにおいても、14の管区域・州のうち10の地域においても、得票率を低下させている。これと対照的に、USDPは全国レベルにおいても、ヤンゴン管区域を除く13の管区域・州においても、得票率を上昇させている。ただし、その変化は全国レベルで3%程度に過ぎず、誤算の範囲といえなくもない。ここでは、もしこれらの数字に意味があるとした場合(すなわち、単なる誤差やそもそも比べるべきでない数字であると考えない場合)、どのように解釈すべきかを示し議論に供したい。
 いくつかの解釈が考え得る。まず、NLDは1988年の結党以来軍政の弾圧を受け続け、2011年まで政治活動をほとんどできなかった。その後、2012年の補選でスー・チー党首を含めNLD議員が誕生したものの、議会では少数野党であったため目立った成果を国民に示すことができなかった。スー・チー党首の国民人気は持続したが、政治の成果(パフォーマンス)を重視する一部の有権者の支持は失った。こうした解釈がひとつである。次に、スー・チー氏が政治の世界にデビューするきっかけとなった、1988年の民主化運動を知らない世代が増加していることが関係しているという解釈である。1988年に18歳だった人は、2015年には45歳になっている。これ以下(44歳以下)の年齢層を「知らない世代」とすると、18歳以上人口(=有権者の母体)の64%がこれに相当する。いわゆる「88世代」と異なり、民主化運動を体験していないこの若い世代は反軍感情が弱いのかもしれない。さらには、テイン・セイン大統領とUSDPが進めた4年半の「上からの改革」の成果を、有権者は一定程度評価したという解釈も可能であろう。

表2 人民議会・人民院選挙における主要政党の得票率の変化   (1990年→2015年) 「ポスト軍政」の政治
 軍政時代、薄暗い裸電球の下で、国民は「自由」と「豊かさ」を求めてきた。軍政下ではいずれもが欠けており、国民には両方とも必要であった。2015年総選挙を機に、ミャンマーは本格的に「ポスト軍政」の時代を迎える。もちろん、国軍の国政関与が残っており、ミャンマーが手にした民主主義はまだ4分の3以下のそれである。それでもNLD新政権の発足は、長い民主化闘争の歴史に一区切りつけることになるだろう。不完全ながら「民主主義」を手に入れた国民は、今後より「豊かさ」を求めるようになるだろう。ミャンマーの政治は民主化をめぐる「イデオロギーの政治」から、今後は経済成長を軸とする「パフォーマンスの政治」に移行していく。スー・チー党首がいくら民主主義や自由の価値を訴えても、「ポスト軍政」の政治とはそういうものにならざるを得ない。そして、今回の総選挙の結果にもこうした移行の兆しを読み取ることができた。
 新たな環境のなかで、スー・チー党首とNLDはよりプラグマティックになり、NLDの中道化が進むだろう。一方、今回敗北したUSDPはいかに「国軍の政党」から脱却し、国民各層から広く支持を得ることができる包括政党となることができるかが、生き残りのための課題となる。したがって、USDPも国民の支持を求めて中道化するだろう。NLDとUSDPが中道化し現実路線を採るなかで、小選挙区制が変わらなければ、第3勢力は現れづらい。しかし、少数民族政党は民族アイデンティティの表出として引き続き存続する。とくに選挙制度上、高い代表性を与えられている「州」や地方議会においては、小さな少数民族政党も生き残ることができるだろう。
 NLDとUSDPの政策位置が近づくにともない、NLD新政権にはテイン・セイン大統領が進めた「改革」を深化・進化させることが求められる。USDPはこれに建設的に協力することで、エリート政党から国民に根差した政党へと脱皮できるかもしれない。そして、両党が政策をぶつけ合うことで、共に政策立案・実施能力が高まっていくはずである。
 NLD新政権が安定した国家運営をするためには、国軍との協力も不可欠である。そのためには、「国軍はNLD政権を認め、民主化を支持する(=クーデターを起こさない)。NLDは国軍の自律性に介入せず、国軍の政治的特権・経済利権にすぐには切り込まない」という(暗黙の)合意が必要である。総選挙後、スー・チー党首とミン・アウン・フライン国軍司令官が対話を重ねるなかで、両者の間に意見の不一致はあるものの、そうした合意が当面は出来つつあるようにみえる。
 最大の懸念は、NLDに政策策定・実施能力が十分にあるかどうかである。テイン・セイン政権下でミャンマー経済は軍政時代の抑圧から解放され、対外開放と自由化で成長してきた。それはいわば戦後復興期のようなもので、ある程度自動的な過程ともいえるものであった。しかし、これから「ポスト復興期」に入るミャンマー経済の運営には、これまで以上に緻密な舵取りが求められる。国民各層・各地域の声を吸い上げ、激しい国際環境変化に対応し、有効な政策を立案・実施するための党・政府組織の強化と人材育成が必要である。重要となるのは、NLDと官僚機構・行政官との信頼関係の構築と役割分担であろう。NLDが中長期的な国家ビジョンと方向性を示し、行政官が具体的な政策を立案する。そして、NLDが意思決定して、官僚が実施する。両者の密な協力が求められる。
 最後に、ポスト軍政の時代においては「安定」と「改革」の両立がなければ、持続的で裾野の広い経済成長は実現できない点を指摘しておきたい。日本を含めて国際社会は、ミャンマーがこれを達成できるように、全面的な支援をすべきであろう。

【参考文献】
伊野憲治(2016)「【資料】2015年ミャンマー総選挙の結果」『基盤教育センター紀要』(北九州市立大学)第24号、85-133ページ。
――――(1992)「【資料】1990年ミャンマー総選挙の結果」『通信』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)第75号、14-41ページ。
工藤年博(2012年)「2010年ミャンマー総選挙結果を読む」(工藤年博編『ミャンマー政治の実像―軍政23年の功罪と新政権のゆくえ―』アジア経済研究所)41-70ページ。
なお、本稿執筆にあたり伊野憲治氏(北九州市立大学教授)が整理した、2015年総選挙データを利用した。

(※1) ただし、ミャンマーに復活する政党政治は4分の3以下のそれである。2008年憲法に基づき、連邦議会及び管区域・州議会の4分の1は、選挙を経ずに国軍司令官に任命される軍人議員で構成される。また、2人いる副大統領の1人は軍人議員団が選び、国防、内務、国境の3大臣は大統領ではなく国軍司令官が任命する仕組みになっている。したがって、NLD新政権の実態は国軍との連立政権ともいえるものである。「ポスト軍政」においても国軍の国政における存在は大きい。
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