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シリーズ 日本の力―進化する製造業 IIST取材記事 (東京都 墨田区編3) 「ストーリーが魅せるものづくり― 廣田硝子株式会社」【配信日:2015/03/31 No.0241-0966】

配信日:2015年03月31日

シリーズ 日本の力―進化する製造業 IIST取材記事
(東京都 墨田区編3) 「ストーリーが魅せるものづくり― 廣田硝子株式会社」


 墨田区周辺は日本の伝統工芸品として指定されている江戸切子、江戸硝子を扱う中小企業が多く集まる地域です。その手作りガラス製品を主力として海外展開を図り、異業種とのコラボレーションなど様々な商品開発で注目される廣田硝子(株)のものづくりをご紹介します。


廣田硝子株式会社 廣田達朗社長 赤い江戸切子が美しい蓋ちょこ、招き猫の瓶、スタイリッシュな砂時計、大正時代の技術を復活させた大正浪漫シリーズ他、HPにもまだ掲載しきれていない商品まで、廣田硝子(株)は多彩な硝子製品をつくり出す墨田区の中小企業だ。最近の外国人観光客の「爆買い」にみる日本製品の人気、ユネスコの無形文化遺産登録された和食や日本酒・日本食ブームの潮流が感じられる昨今の経営状況を聞くと、「今の日本酒ブームで酒器なども人気があり、それなりにいい変化も感じられる。しかし、単に日本製というだけではやっていけない」と商品企画から展示会出展までを一手に引き受ける廣田達朗社長は静かな口調で業界の厳しさを口にした。

 日本のガラスの製造は16、17世紀に西洋から長崎に伝わったとされ、江戸時代には切子と呼ばれるカットガラスが製造されている。そして、明治初期に設立された「品川硝子製造所」によって日本のガラス製造の基礎は築かれ、明治中期以降には工場生産での輸出が始まる。丁度その頃の1899年に廣田硝子(株)の創始者が食器販売業を始め、1915年に同社は硝子製造を開始している。第2次世界大戦以前は自社工場で製造していた廣田硝子(株)だが、空襲で工場を失い、戦後は自社工場を持たず、周辺の硝子工場に委託して商品を製造している。ガラス製品はその設備はもちろん、プレス成型、金型を使ったスピン整形等には高い技術が必要で、専門的な技術をもつ工場に依頼する事で、より高品質商品の品揃えを実現させていると廣田社長は自負している。

 その廣田硝子(株)の看板商品の一つである江戸切子は、同社の姉妹店である「すみだ江戸切子館」所属の「すみだマイスター」によって作られている。同社の地元である墨田区では、産業を支える付加価値の高い製品を「すみだブランド」として認定したり、墨田区の産業を支える付加価値の高い製品をつくる技術者を「すみだマイスター」として認定する等して産業振興を図っている。ちなみに同社が生産を委託する「江戸切子マイスター」はクリスタルメーカーで最先端のガラスカット技術を習得し、現在はその高度なカッティング技術を切子づくりに活かすことで、日本の伝統工芸品である江戸切子を支えているのだった。

 「以前は会社が人を育てる時代があったからこそ、高い技術力をもつ人材が育っていたが、今は厳しい時代。」と廣田社長は日本の技術者不足を懸念する。同社の耐熱性硝子の商品「ちろり」は日本のガラス工場の激減と技術者不足により、現在はその製造技術を持つ台湾の工場に生産を委託せざるをえないのだ。「様々なものをつくることで技術の幅も広がり、技術が向上する。今の日本で出来る範囲は狭くなっている」と廣田社長は嘆く。同社が硝子生産を委託するガラス工場は東京に現在2社のみ。世界有数のクリスタルブランドであるバカラ等も政府支援や大手グループ傘下で生産され、廣田硝子(株)をはじめ小規模なガラスメーカーが数多く残っている日本の現状は世界的にもかなり稀有だと廣田社長は教えてくれた。

 ヨーロッパから伝わったガラス。廉価で低い地位に甘んじていた日本のガラスだが、第一次世界大戦から太平洋戦争までの時期にヨーロッパからの輸出が止まり、軍需景気での電化も相まって一気にガラス産業が発展する。そして、欧米のカットガラスに対抗して和ガラスと呼ばれる食器やランプなどの様々な生活用品が誕生するガラス全盛の時代が到来する。その1950年代頃、廣田硝子(株)も海外へ硝子製品を輸出していた時代があった。そして、半世紀を経た2009年、廣田社長は経済産業省による「生活関連産業ブランド育成事業(通称:sozo_comm)を機に海外展開を再開させる事になる。

スタイルY2インターナショナルとコラボレーションした蓋付きの切子商品 2007年11月社長に就任した廣田社長であったが、翌年2008年にはリーマン・ショックが起こり、販売を一手に任せていた問屋が次々と倒産し、顧客情報が一切なくなってしまう事態となる。窮地の中で販売ルートを確保すべく、展示会出展へと道を開き顧客を開拓していったという。現在もドイツのアンビエンテ、フランスのメゾン・エ・オブジェをはじめシンガポール、上海、台湾他、国内外問わず数多くの展示会、見本市に出展し、多忙な日々を送る。 

 展示会では、B to Bといわず、B to Cの販路拡大の他、出展者同士の結びつきによる商品開発等のヒントも見つかる。廣田硝子(株)は自社デザイナーを持たず、若手デザイナー、他業種とのコラボレーションなど様々な製品作りでも注目されている。きっかけは、(一財)伝統的工芸品産業振興会でのフォーラム事業だった。そこでスタイルY2インターナショナルとコラボレーションした蓋付きの切子商品は、新潟県燕市の金属加工メーカーとコラボレーションした耐熱性ガラスケトル新しいデザインと高い切子技術が評判となった。また、展示会の出展者同士であった伝統工芸「甲州印伝」とのコラボレーションも実現した。また、廣田硝子(株)の創業者の出身地であり、同社の商品センターを置く新潟県燕市の金属加工メーカーとコラボレーションした耐熱性ガラスケトルもある。異業種とのコラボレーションは硝子製品の可能性を広げ、コマーシャル効果も期待できるという。そこには世界に通用する商品開発と市場開拓に静かな闘志を燃やす廣田社長の挑戦がある。来月は自身が留学経験のある台湾での展示会が予定されている。日本統治時代の建物遺産をリノベーションした歴史的な場所での展示会で、ストーリーのある場所での展示会を廣田社長はとても楽しみにしているようだ。同社の生活スタイルに密着した商品には、製品がつくられた背景やストーリー性が重要だと強く感じるという。製品が生み出された背景への質問が浴びせられる海外の展示会では、高い技術力の他、歴史あるものづくりを続けているという廣田硝子(株)のストーリー性が高い付加価値を持つ。

 先代社長が試行錯誤で復活させた「あぶりだし」技法がある。もとは大正から昭和初期にかけ東京では「かき氷」が流行し、その氷を入れる様々な器のために開発されたものだった。19世紀末から欧米で流行した技術の流用ではあるが、乳白色の美しい模様をもつこの江戸硝子の伝統技法は、現代の廣田硝子(株)の商品に活かされている。廣田社長は「この『かき氷』人気のようなブームに端を発する技術開発が製品作りの幅をもたせ、技術、品質、デザインを発達させていく。ただ伝統を守っていくだけではなく、日常生活の一部となることで時代を越えていく。今の日本のガラスのみならず伝統工芸産業にはこういったブームが必要だ」と指摘した。

 また、今後のガラス産業を考えた時、企業への売り込みだけでなく、個人へ硝子の魅力を知ってもらう事が何より大切だと語る廣田社長。伝統工芸品の魅力だけでなく現代のライフスタイルに合った日常使いできる新しい商品、できるだけ他でやっていない部分を商品にしていきたいと語る。切子の文鎮はフランスの大手ブランドのショップでも販売されている。墨田区ではスカイツリーの開業もあり、地元の「ひきふね図書館」、銭湯「江戸遊」をはじめインテリア、エクステリアの装飾などに硝子が広がりを見せているという。 

 厳しい状況ではあるが、墨田区の地場産業を支える企業として地域と共に発展していきたいと語る廣田社長。創業100年を超える廣田硝子(株)のものづくりには、地場産業の歴史と共に歩み、これからも地場の強みを活かした製品づくりを目指す気概に満ちている。(荒井幸子)

廣田硝子:https://hirota-glass.co.jp/
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