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連載 メコン圏と日本 No.10 – ミャンマー1 ミャンマー経済を知るための重要なヒント | 日本貿易振興機構 海外調査部 主査 荒木 義宏【配信日:2013/01/31 No.0215-0877】

配信日:2013年1月31日

連載 メコン圏と日本 No.10 - ミャンマー1
ミャンマー経済を知るための重要なヒント

日本貿易振興機構 海外調査部
主査
荒木 義宏


 政治社会の急速な変化に比べると経済面での変化はまだこれからの状況。ミャンマーは伝統的に外国への警戒感が強く、外資法改正を巡っても保守的な動きが顕在化した。これからのミャンマーを担うのは民間企業であるが、その歴史は非常に浅い。2015年のASEAN共同市場のスタートに向け、賃金問題、人材育成など緊急に取り組まなければならない課題があまりにも多い。


 今ミャンマーは我々が想像し得ないほどの大変革期にある。2011年2月の第1回から始まって、この2年足らずの間に6回もの国会が開催され、会期中(会期は40~50日)は政府閣僚、議員全員に対して禁足令が出され、議場内では喧々諤々の議論が展開されている。数年前までは弾圧の対象でしかなかった国民民主連盟(NLD)も、2012年4月の補選で下院に37議席を確保し、民主化運動の象徴アウンサンスーチー氏を国会に送り込んだ。2003年に発表された「民主化ロードマップ」は欧米から全く無視された、旧軍政は世界中の批判をものともせず着実にそれを実行し、9年後の今ミャンマーは曲がりなりにも立憲議会制の民主国家となっている。長い間軍政の圧政下にあった言論界も厳格な検閲から解き放たれ、新聞、雑誌、TVなど民間メディアが乱立している。開発に伴う環境破壊に対しては地域住民が立ちあがり、低賃金や労働環境の改善を求めて工場労働者がストライキで権利を主張し始めた。少なくとも3年前までは誰も今のミャンマーを想像すらできなかったに違いない。

■根強い地場企業の外資への警戒感
 政治や社会の急速な変化とは裏腹に経済の変革はなかなか進んでいない。その象徴的なものは外資法の改正を巡る議論の沸騰であった。
 1988年、当時の軍政はそれまでのビルマ式社会主義政策を捨てて市場開放政策に移行、同年には外国投資法を制定して、外資による経済発展の道を模索した。しかしながら90年代半ばにASEAN諸国を中心に小規模な投資ブームがあったものの、その後のアジア通貨危機や中国への投資集中、欧米の対ミャンマー経済制裁の強化などで、その後10数年間の外国投資はほぼゼロの状況が続いた。

ミャンマーへの外国投資推移
 新政府はこの外資法を新しい開放政策の目玉にすべく、2012年3月には改正案を国会審議に付託し直ぐにでも施行しようとしたが、国内産業の保護を求める保守派の根強い巻き返しにあい、外資の出資規制や、中小製造業・農業などへの参入規制などきわめて排外的な修正条項を盛り込んだ改正案が一旦は国会で可決された。開放政策を積極化したい大統領は、これに署名せず国会に対して再審議を要請、自ら保守派の説得工作に乗り出し、11月の初旬になって規制色を和らげた新外資法がようやく成立した。最初の法案上程から8か月もかけた紆余曲折の結果である。
 なぜ開放に逆行するような動きが起こったのか… ミャンマーは元来外国に対して非常に警戒的である。旧軍政時代には国営日刊新聞に、経済発展のスローガンが毎日掲載され、その1か条には、"経済発展は外国からの資金と技術を導入して行う。ただしその主導権はミャンマー国家と国民が握るべき"という文言があった。このスローガンは現在でも生きている。
 ビルマ式社会主義の時代には、国営企業がすべての産業の担い手であった。ごくわずかな非合法の事例を除いて民間企業は存在しなかった。1990年代以降、時の軍政が市場開放経済政策を導入し民間企業を奨励すると、貿易・サービス業、建設業、製造業など多くの分野で民間企業の設立が相次ぎ、次第に経済活動における民間部門のシェアが高まっていった。しかしその多くは資本力の脆弱な中小零細企業で占められる。ミャンマーには公式の事業所統計が発表されていないので推計に頼るしかないが、2009年時点で約4万9,000社の製造業のうち97%が中小零細企業であった。その状況は今も変わっていない。
 国営企業はどうなったのだろうか?ピーク時には1,000を超える国営企業は、90年代半ばに民営化委員会が設置され、土地や建物などの資産が徐々に民間企業に払い下げられた。国家計画経済開発省の最新データによると、11の省庁で230の国営企業が未だ存在する。一番多いのは林業省傘下の101、ついで工業省の60、電力省の10などだ。電力、鉄道、造船、製鉄、自動車、建設資材など基幹産業は依然として国営企業が抑えている。新政府は国営企業を早期にすべてを民営化したいところだが、地方の雇用機会の創出という大義名分のために、一挙に民営化を推し進める事が出来ないでいる。それどころか、2000年代の半ばに、経済支援という名目の下に中国から中古の機械設備をローンで押し付けられ、その非効率な生産性に苦悩している国営企業が少なくない。
 ミャンマーにとってASEANの共通市場の実現は非常な脅威である。中国、インド、タイとは国境貿易によって大量の食品や消費財が輸入されている。その上にベトナムやマレーシア、インドネシアなどから関税ゼロで輸入が急増するとなると、国営企業はおろか、せっかく育ちつつある民間製造業の製品も厳しい競争に太刀打ちできないだろう。

■いつまでも続かない低廉豊富な労働力
 アジアに進出している現地日系企業を対象としたジェトロの年次調査(2012年12月発表)によると、ミャンマーの労働者の月額給与(基本給のみ)は53ドルとアジアで最低の水準だ。これが労働集約的な縫製業やITソフト産業をミャンマーに引き付ける最大の要因である。しかしこの水準がいつまでも続くとは限らない。ヤンゴン周辺のアパレル工場ではすでに2年ほど前から新規の従業員を確保するのが難しいとの声が仕切りに聞かれていた。その上従業員の定着率も急速に悪化しているという。大きな理由のひとつに隣国タイとの賃金格差が上げられよう。タイには200~300万人のミャンマー人労働者が居ると言われる。2~3年ほど前から両国政府の合意に基づいて、タイ領内のミャンマー人不法滞在者の合法化が進められたことも、その増加に拍車をかけた。
ヤンゴンのダウンタウンでTVゲームの修理で稼ぐ若者

ヤンゴンのダウンタウンでTVゲームの修理で稼ぐ若者

 彼らも1日300バーツ(約10ドル)の最低賃金を保障されるので、月ベースでミャンマーの倍以上の給与を稼げるのである。ミャンマーでも昨年来最低賃金を導入しようとの動きがある。ミャンマー政府としては、工場労働者としてある程度訓練された彼らの帰国を促したいので、最低賃金を高めに設定する可能性もある。ヤンゴンなど大都市圏では経済成長に伴って、ホテルやスーパー、外食産業が急速に発展している。きつい労働を忌避する傾向はャンマーの若者も同様だ。ミャンマーの製造業が従業員を確保するには、まずは従業員の待遇改善が今後の鍵となるだろう。
 従業員の質の向上も緊急の課題だ。これは事務職と工場の現場労働者の双方に当てはまる。60年代~80年代にかけての鎖国時代と90年代から2年前までの旧軍政時代の約50年間、ミャンマーの教育水準は、一部の留学生経験者を除いて世界の水準から遠くかけ離れていた。特に民主化運動の弾圧により大学が長期間閉鎖されたこともあって高等教育の内容は大きく立ち遅れている。大学在籍者数の約60%が通信制大学の学生であり、1年で1週間程度のスクーリングを受ければ大卒資格が与えられるのが現状だ。小学校から高校までの基礎教育でも、教員の絶対量と能力不足のため、国民の多くから信頼されていない。図書館の蔵書も古くその数もきわめて少ない。富裕層は年間数千ドルの授業料を払って子弟を民間の私立学校に通わせ、海外の大学に留学されることがブームとなっているが、多くの国民はこの脆弱な教育制度に頼るしかないのが現状だ。

ミャンマーの大学在籍者数(2008年度)
 ミャンマーの課題はインフラ整備だけではない。そのインフラが整備され外資がミャンマーにどっと流入し、そのときに必要な即戦力となる若い人材を今のうちからしっかりと育成することである。目先の利益を追うことよりも、近い将来の発展の基礎作りにもっと目を向けられるべきであろう。

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