| トップページ |この記事のカテゴリー: オピニオン・論説 |
IIST e-Magazineのバックナンバー:| カテゴリー検索 | キーワード検索 | 記事一覧 |
2010年度以前 (IIST ワールドフォーラムメールマガジン) のバックナンバー:| キーワード検索 | 記事一覧 |

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


IIST e-Magazine (本記事の英語版はこちら)

見えづらくなった戦後日本の姿 / 平和とは何かを直面する年に | 共同通信社編集局文化部 部長 金子 直史【配信日:2013/01/31 No.0215-0876】

配信日:2013年1月31日

見えづらくなった戦後日本の姿 / 平和とは何かを直面する年に

共同通信社編集局文化部
部長
金子 直史


 総選挙での自民圧勝で、「戦後レジームからの脱却」を持論とする安倍晋三氏が首相に返り咲いたが、それを支える背景に、戦後日本の平和とは何かが見えづらくなった現実があるのではないか。


 昨年末の総選挙は憲法改正を公約に掲げた自民党が圧勝、民主党壊滅という結果となった。これを受け第2次安倍晋三政権が発足し、おそらくは今年夏の参院選を挟んで、今年は日本の大きな転換点になるだろうと思われる。選挙結果については、例えば自民党の比例区における得票数や得票率などの分析から、圧勝した自民党が必ずしも有権者の支持を集めたわけではないという指摘が出されている。民主党政権への失望という「敵失」によるものであって、だから安倍政権も当面はかねてからの持論である憲法改正などは封印し、参院選までは景気政策に集中する構えを見せているようだ。そこで意図されるのは、当面は低迷する景気の浮揚に全力を集中して自民党支持率を高め、参院での与党過半数を獲得した上で、安倍首相の悲願である改憲へと結び付けていくということだろう。
 もっとも、今回の選挙で改憲の是非が争点としては浮かび上がったわけではない。強調されたのは景気対策だったが、仮に参院選でも景気対策への支持から与党が参院での過半数をも制するのだとすれば、その結果として何が起きるかを日本の有権者は果たして予期しているのだろうか? 有権者が気付いたときには、この国の根幹が大きく変わる瀬戸際に立っている可能性もあるかもしれないのだ。だがそれは、日本が「保守」に回帰していることを意味するのだろうか? おそらくは必ずしもそうでなく、戦後の日本社会を覆ってきた「忘却」とでも言うべきものがここに来て前面に押し出されつつあることを、表していることのようにも思われる。
 6年前の2007年、第1次安倍政権の際に、安倍首相が唱えていた「戦後レジームからの脱却」が何を意味するのかと考えたことがある。当時の安部首相は、個人の尊厳を重んじることで戦後社会の〝準憲法〟的存在ともされた教育基本法を「公共の精神」を強調する方向へ改正し、憲法改正の手続きを定める国民投票法を成立させた。それは憲法9条を根幹とする平和国家からの転換を図り、「美しい国」の実現を目指そうという動きだった。しかしそこで言う「美しい国」とは何であって、戦争放棄と恒久平和の実現を核とした戦後的な「平和」がなぜ、そこに来て「脱却」の対象とされるのか―。
 例えばそのころ、赤木智弘さんという若いフリーライターの「『丸山真男』をひっぱたきたい」という文章が話題になっていた。丸山真男とは戦後民主主義の旗手とされた政治学者だが、赤木さんは定職を持ちたくても持てない若い世代の声としてこの文章を「平和とはいったい、なんなのだろう?」という言葉で始めた。そして「平和国家」とされてきた日本社会の閉塞感や抑圧について触れ、戦後社会の平和主義を標榜してきた既得権益層が結果的に、停滞する社会の中で希望を見いだすことができない若い世代の状況を作り上げたのだとして、「反戦平和というスローガンこそが『持つ者』の傲慢」「戦争が起き、社会は流動化する。多くの若者は、それを望んでいる」など、現状へのいらだちが挑発的な言葉に転化し、矛先が丸山真男をシンボルとした戦後社会に向けられる。
 実は昨年の日本の文壇で大きな話題になった長編小説「東京プリズン」の作者赤坂真理さんが、10年ほど前の私のインタビューに対し、この赤木さんと似たような感覚を語っていたことがある。そこで赤坂さんは「私は子どものころから、社会から何かが隠されている気がしてきた。大人は今を平和だと言い、戦争はいけないと言い続けてきた。でも私の前には紛れもない戦争があった」と語った。そこで言う「戦争」とは、赤坂さんが送った高度成長期の受験戦争や企業戦士といったものだ。赤坂さんの父も企業戦争のはざまで失敗し、病気でなくなる。「私はそこにはっきりと『戦死』のイメージを見る」。赤坂さんの目に平和憲法に象徴される戦後社会は、実は矛盾に満ちた現実を覆い隠すものとして映ってきた。そしてそれは時代が進むにつれ、若者がどれほど努力をしても報われないという社会の閉塞感となって現出する。
 「東京プリズン」とは、母親に反発して家庭での居場所が見つけられず、1980年代の米国に留学する16歳の少女マリの物語。作中でマリは自らの家庭、さらには社会に漂う空気について「私の家には、何か隠されたことがある」「何かを隠した人は、すべてに覆いをかけている」「隠していることを必死で忘れようとしている」などと述べる。それが幼少期の赤坂さんの実感と重なることは言うまでもない。
 マリは留学先の米国で、天皇の戦争責任についてのディベートを授業でやることになる。その過程でマリは、母が戦後に封印した心の秘密に気付き、戦争責任について徹底して考えることでそれまで意識しなかった戦争と敗戦の意味、そして「戦後」というものに向き合うことになる。それについて、赤坂さん自身は「親たちの世代が触れるのを避けてきたのが敗戦という事実であり、アメリカに体する隠れた依存心理であることが見えてきた。戦後社会が思考停止してきたことで、どれだけ私たちがつらい思いをしたか」と話した。そこに始まる思考が昨年の長編「東京プリズン」に結実していったのだろう。
 この、「戦後」という名の社会に何かが隠されているという不確定な実感! もちろん赤坂さんはそこから一足飛びに、例えば安倍首相が以前に唱えていたような「戦後レジームからの脱却」に結び付くわけではない。逆に、今の日本の姿を根底から考え詰めてそしゃくし、再び自らのものにしようというところに、赤坂さんの作品の位置があるように思える。だがしかし、この不確定な実感からいわゆるナショナリズムにたどり着く道もあり得ることは確かだ。例えば07年に現代のナショナリズムの模索する論考「ネイションとの再会」を出した政治思想研究者の黒宮一太さんは当時の私の取材に「僕らの世代は国家など意識せずにきた。だがそれは価値や行動基準を失い、漂い続けるだけの生で、自分が何者かも分からない」と述べ、若い世代の「根無し草的な生」が「戦後体制」の完成によって引き起こされたのだと、語っていたのを思い出す。
 政治学者の姜尚中さんはやはり当時の取材で、こうした感覚の特徴を「砂粒のような人々がアイデンティティーの帰属の対象を見失った末に国家への凝縮力を高める、新しい国家主義」と評した。安倍首相が語った「美しい国」とは、地方の草の根保守層を基盤とした伝統的な保守とは異なり、都市社会でいわば社会への帰属意識を失った人々が自己愛を投影するような、新しい国家の「物語」なのではないかと―。そしてその物語は、米国の占領下で制定された現在の平和憲法を「押しつけ憲法」とし、国家の「自己愛」を回復するために自主憲法を模索するが、それは「実は世界でも類例がないほどの対米従属の一途をたどっている〝黒い白鳥〟のような矛盾した存在だ」と姜さんは語ったのだ。
 赤坂さんも言ったように例えば「敗戦」を「終戦」と言い換え、日本を大きな傘の中に入れる米国の影を意識する必要すらなくなり、日本の「平和」をあたかも自然現象のように錯覚してきた日本の戦後とはいったい何だったのか。それをどのように見詰め返し、そしゃくし、あらためて私たちの土台として考えていくことができるのだろうか。もしかすると今年は、戦後の「平和」とはいったい何だったかをめぐって、日本が忘れ去り放置してきた問題にあらためて直面する年になるのではないかと思えるのだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(本記事の英語版はこちら)


| トップページ |この記事のカテゴリー: オピニオン・論説 |
IIST e-Magazineのバックナンバー:| カテゴリー検索 | キーワード検索 | 記事一覧 |
2010年度以前 (IIST ワールドフォーラムメールマガジン) のバックナンバー:| キーワード検索 | 記事一覧 |