新しい発見に満ちた旅 ~IEJプログラムに参加して~
インターナショナルスクール・オブ・ブラッセル
教師
コレット・ベルジル
貿易研修センターは、日本人子女の教育に携わる欧米の教師を対象に、日本への理解促進を図る「国際エデュケーター招聘事業(IEJ)」を、今年も6月26日から7月7日に実施しました。本事業に参加されたベルギーのコレット・ベルジルさんより所感を寄稿いただきましたので、ご紹介します。IEJの歴史、今年の事業実施に至る経緯などについては6月のIISTワールドフォーラムメールマガジンをご覧ください。URLは次のとおりです。
https://www.cfiec.jp/jp-m/2011/0196-0801/
2011年、日本は大地震と津波の被害に見舞われました。世界中の人々がこの災害を戦慄の思いで見つめ、福島地域での救援活動や復旧の取り組みを感嘆の思いで見守りました。4月下旬、2011年度「国際エデュケーター招聘事業」の実施が正式に決まりました。本年度の参加は例年よりも少ない12人となりましたが、私達は自分達を「選ばれた12名」と考えることにしました。私達は、本事業による体験を共有し、復興途上にある日本を自身の目で確かめる機会を得たことを喜んで受け入れたのです。
招聘事業は三部構成となっていました。第一部は日本入門。私達は東京を案内していただき、初めて神社を訪れ、着物の魅力に触れました。更に、学校制度や言葉、日本文化の特徴について教わり、学校を訪問しました。
第二部は日本をより深く見つめるというものでした。ここで暮らしてこそ経験できる日本―これには、一般家庭の日常生活を体験すること、ホストファミリーの子供が通う学校を訪問すること、プライベートな家庭環境において日本の家族と親しくなることが含まれました。有名な東大寺も訪問し、光栄にも上院院主のおもてなしを受ける機会にも恵まれました。
プログラム第三部は、歴史について考えることでした。現代と古代の双方を含めた歴史、過去と現在の共存とも言えます。画期的な「百円ショップ」をはじめとするショッピングエリアや明るい街並みに活気が溢れる広島市にも3日間滞在しました。原爆ドーム、平和記念公園、平和資料館へも足を運びました。私達は、被爆体験者の元ジャーナリスト、同時にカルビー株式会社創業者のご子息でもある松尾康二さんから洞察力に富んだお話を伺いました。松尾さんは自らの被爆体験を踏まえ、現在福島の原発で起きている災害についても話されました。私達の旅程には有名な宮島訪問も含まれていました。それらを見学した後、京都へと向かいました。日本の古都である京都は、上質なお茶や多くの寺院、市内の賑わいで知られ、豪華な着物に身を包む芸者が多く見られる場所としても有名です。
私にとって旅程のハイライトの一つは、着物の着付け体験、そして着物デザイン業界のココ・シャネルとも言うべき小泉清子さんにお会いしたことでした。株式会社鈴乃屋の創設者である93歳の小泉さんは、今も自社の日々の業務に現役で取り組んでおられます。小泉さんの魅力、優雅さ、そして強さは現代世界の伝統的価値観を体現しているようでした。繊細なデザイン、複雑な帯の結び方、そして着物を身に付けるという行為がもたらすあらゆる効果は非常に印象深いものでした。西洋人である自分達が伝統的日本の繊細なイメージに様変わりしていく過程を通じて、参加者12名全員が心の触れ合いを実感できる時間でした。

プログラムのもう一つの記念すべき思い出はホームステイです。私達は奈良と斑鳩に分かれて滞在しました。これらの土地で私達は、日本人家族の日常生活を体験することができたのです。ホストファミリーは温かく受け入れてくれました。私たちが家庭に自然に溶け込めるように、

夕方にはホストファミリーの元に戻りました。私達は尋ねたい事柄が多く、ホストファミリーを相手にあれこれ話し合いました。このような場面では、グーグル翻訳サービスや電子辞書にひたすら感謝です。話し合いのテーマは、日常生活にはじまって、東北地方の厳しい現状、国を挙げての復興への取り組みと多岐にわたりました。私の中では、日本文化の基本的要素である精神面の強さについてより理解が深まり始めました。ホストマザーは1995年の阪神大震災を経験したそうです。崩壊しかけた建物から逃れるため3階から倒れた電柱伝いに這い降りること、又、1月という厳寒の時期に戸外に放り出され、薄いパジャマ姿のまま毛布一枚にくるまって3日間震えながら過ごさざるをえないことがいかなるものか、彼女は身を以て知っているのです。やっとの思いで家族に再会できる喜びも知っています。消防士であるホストファザーは、今回の津波の被災地で8日間救援活動に携わりました。緊急物資調達の調整を行い、支援部隊用の食料や各種機材、睡眠場所の確保に奔走したそうです。人々の冷静さや力強さ、忍耐、そしてとりわけ集団の規律といったものを伝える映像に、世界の人々は驚きの念を禁じえませんでした。日本人はこれらの災害のもたらした困難を暗黙のうちに受け入れているのだと、今、理解することができます。私達を案内してくれた事務局の一人も、「私達は日本人同士です。口に出さずともわかり合えるのです」と説明していました。
その数日前に伺った東大寺上院院主のお話は、日本の生活様式や日本文化の基礎的要素である精神的強さを示唆するものでした。悟りを開いた人間を自ら体現し、大変平静で穏やかな上院院主に直々にお会いできた光栄は、非常に印象深い旅のハイライトとなりました。私達をお茶でもてなし、日本人の哲学や日本が現在直面している災害危機、東大寺の過去から現在に至る歴史について詳しく教えてくださいました。その後、私達は寺院を一巡りし、普段は立ち入ることのできない場所等も特別に見せていただきました。
広島では原爆ドームや平和記念公園、平和資料館の見学を通じ、私達は皆、非常に思慮深い人間になったようです。この広島訪問に彩りを添えたのは、大変博識な松尾康二さんの素晴らしいお話でした。70歳代の松尾さんは、広島の被爆体験者としてのご自身の人生のみならず、今日の福島の危機的状況についても詳しく語られました。あらゆる災害を乗り越える度に日本がより強く生まれ変わってきたことは歴史が繰り返し証明しています。松尾さんが現在相談役を務めるカルビー株式会社は、原爆投下のわずか数カ月後に松尾さんのお父様が設立されました。私達は超現代的なカルビー広島工場を見学し、数々の人気のあるスナック菓子を試食しました。カルビーは私達の広島滞在のスポンサー企業でした。
最後に、旅の大きなハイライトの一つは締めくくりとなる夕食会でした。この短期滞在の当初、参加者の多くは、箸を使う食事スタイルに苦労していました。この最後の夕食では、大変珍しいメニューが食卓を飾りました。少し例を挙げますと、クラゲやウニ、タコ、アナゴ等の日本の珍味です。私達はもう、ぎごちなさを感じさせずに目新しいごちそうを上手に食べることができるようになっていました。日本の慣習に従い、周りの人のグラスは常に満たしておく必要がありますが、決して自分のグラスに注ぐことはしません。気配りの大切さを学び、私達は酒やビールを互いに気前よくふるまいました。参加者からはプライベートな話も飛び出し、笑いが溢れました。参加者は皆、この旅行の個人的ハイライトを報告し合っていました。私達は心のつながりを感じました。新しい友人もできました。私達の共通点は相違点を越えるものでした。日本での様々な体験を通じ、私達は、北米、ヨーロッパ、若しくは日本といった出身の違いに拘らず、誰もが教師として生徒をより良く理解するために精一杯努力しているということに気付きました。彼らにより報いることができるよう、努力を重ねているのです。この招聘事業が与えてくれたチャンスに感謝しています。私達は本当の意味で「選ばれた12名」なのだと感じます。今度は自分達の学校や生徒に同様の形でお返しができることを願っています。
カナダ人参加者の一人であるナンシー・シャロンが私達全員に宛てたeメールに私達の思いがうまく凝縮されていました。「この旅行から敢えて何か一つ取り上げるとしたら、それは、世界中の教師は子供を愛しているからこそ教職に就き、又、彼らの心や生活を形成する重大な責任を負っているのだという確信です。子供は私達の未来を担う存在なのです。この旅行は、日本人子弟への教育のみならず、私の教育方法全般に間違いなく変化をもたらすことになるでしょう。異なる視点から人生を垣間見ることができ、このことは私自身の学習にも大変重要な意味を持ちます。将来困難な状況に直面しても、より共感的な心を持ち、更にはより我慢強く対処できる気がします。」
IEJ事務局並びに招聘事業関係者の皆様、本当にありがとうございました。
(原文:英語)
関連ページ
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