インド・パキスタンの対立が南アジア経済に与える損失 ~貿易・投資から交通まで
日本経済研究センター 主任研究員
山田 剛
わずか4日間で停戦にこぎ着けたとはいえ、南アジアの2大国でともに核兵器で武装するインド・パキスタンの武力衝突は、改めてこの地域のリスク、特にビジネスにおける不安要因を顕在化させた。カシミール地方の領有権争いやテロ支援疑惑などを巡る両国の対立は、過去にもしばしば小競り合いや武力衝突に発展してきたが、こうした根深い対立は、農産物や原材料、機械部品など互いに足りないアイテムを相互に補完する貿易や、国内の資本蓄積を生かした直接投資はもちろん、航空路や海上輸送路、鉄道、そして二国間や南アジアにおける共同インフラ開発など、地域経済のさまざまな潜在力・成長力を阻害している。同様の対立関係にあるインド・中国が曲りなりにも高水準の二国間貿易を維持し、限定的ではあるが情報技術(IT)や自動車などの分野で相互の投資を受け入れていることとは対照的な状況だ。大きな可能性を秘めた印パ経済協力が、テロという解決困難な要因があるとはいえほとんど進まず、両大国のポテンシャルを生かせていないことは実に残念なことだ。
経済協力の機運
印パ関係が過去に最も融和に近づいたのが2010年前後だ。両国首脳による「クリケット外交」や、カシミール地方での暫定境界であるLOC(管理ライン)を超えた貿易の開始や直通列車やバスの運行開始などで2国間関係は徐々にではあるが雪解けムードとなった。こうした中、2012年にパキスタンはインドからの輸入品目の取り扱いを、それまでの「ポジティブ・リスト」(明示した品目以外は貿易禁止とする)からより自由度の高い「ネガティブ・リスト」(明示した品目以外はOK)に移行するなど、両国は貿易規制の緩和に踏み出した。同年には印パ両国の中央銀行が互いの商業銀行による相手国での支店開設を認めることで基本合意。印商業銀行最大手の国営ステート・バンク・オブ・インディア(SBI)や同バンク・オブ・インディア(BOI)がパキスタンの商都カラチに、パキスタン側のムスリム・コマーシャル・バンクや、ユナイテッド・バンクなどがムンバイへの支店開設を目指してそれぞれ動き始めた。結果的には資本払い込みなどを巡って交渉が難航、その後の二国関係悪化などで、これは今なお実現していない。
銀行の支店開設との関連で期待されたのが、両国企業による直接投資だ。1947年、大英帝国からの分離独立に際してムンバイやアーメダバードなど綿紡績などで栄えた工業地帯の多くがインド側に編入されたため、パキスタン側は一から産業資本の蓄積に取り組まねばならなかった。インド企業によるパキスタン進出は、同国に新たな投資や技術移転、雇用創出などをもたらす可能性がある。
だが、貿易と違って直接投資は相手国に貴重な資産を預けることにほかならない。投資先の国と対立関係にあるうちは、今回のような紛争ぼっ発時に工場が接収されるなど「人質」に取られる恐れもある。
こうした経済的接近によって、2010年代に2国間貿易額はにわかに増加し、一時は30億ドル近い水準まで達した。だが、2019年に起きたカシミール地方・プルワマでの爆弾テロによって、印パ両国は今回同様の非難合戦を経て武力衝突に発展、インドがパキスタンに供与していた最恵国待遇(MFN)を取り消すなどしたため貿易額は激減、24年度(25年3月期)の2国間貿易はわずか5.5億ドルへと落ち込んだ。しかも、ここ数年、パキスタンからインドへ輸出はほぼゼロだ。
しばしば引き合いに出されるのが印パと経済規模が近く同じ隣国同士であるブラジルとアルゼンチンの例だ。両国の貿易額が2024年に約280億ドルに達していることを考えると、いかに印パ間の貿易が本来のポテンシャルを下回っているかがわかる。
テロ支援疑惑や武力衝突で相互の信頼関係が大きく損なわれたのはもちろんだが、パキスタンが導入している貿易規制が自由なモノの流れを妨げている現状もある。自国産業の保護という意味合いも強いが、パキスタンの「ネガティブ・リスト」には多くのインド製自動車部品や電気機器、繊維製品などが記載されている。こうした一方、パキスタン側ビジネスマンの多くは、インドによる非関税障壁(NTB)の多さを指摘する。「インドは植物検疫や規格・認証などの規定が厳しく、セーフガード(数量規制)やアンチダンピング課税などを乱用している」といった声が少なくない。
また、貿易ルートもカシミール地方のLOCやラホール-アムリツァル間のワガ国境など陸路に限定されており、両国とも保税倉庫や検査施設など貿易のためのインフラ整備が遅れていることも二国間貿易額が増えなかった要因だ。
このため、一部のパキスタン企業はシンガポールやアラブ首長国連邦(UAE)、さらには中国など第三国を経由してインド製の機器などを調達している。インド国際経済関係研究所(ICRIER)では、印パ貿易はこうした迂回貿易を含めると年100億ドル規模に達すると試算している。
こうした状況を打破するには、2国間交渉によって貿易協定を締結することが早道なのだが、印パの対立によってこうした話し合いの機運も盛り上がらない。コロナ禍前の分析ではあるが、世界銀行では「あらゆる障害が取り除かれれば、印パ貿易は約370億ドルの潜在力がある」と分析している。2国間の対立は印パにとって、みすみすビジネスチャンスを他国に奪われ、余計なコストを払う結果となっている。
貿易で相互補完の可能性
貿易による相互補完で大きな可能性があるのが農産物、特にインド家庭料理に欠かせないタマネギやトマトなどの野菜類だ。インドでは過去に、天候不順などで玉ねぎが不作に陥り高騰すると、しばしばパキスタンからの緊急輸入に踏み切ってきた。カレーなどに使うタマネギはショウガやポテトなどと並んで重要な食材なので、タマネギの価格高騰は国民の不満材料となり、政治的な危険要因となりかねない。大衆人気という点で現在のナレンドラ・モディ首相を上回ると言われた故アタル・ビハリ・バジパイ元首相は野党時代、「人々はタマネギを刻んで涙を流すのではなく、タマネギを買えずに泣いている」と演説して物価高を批判したこともある。
しかし2011年のタマネギ緊急輸入では、インド側の税関職員が慣れない通関業務に手間取り、トラックなどの手配も遅れるうちに輸出元のパキスタン国内でもタマネギ価格が高騰してしまい、同国側が輸出禁止に動くというという混乱が生じた。このほかパキスタン側に生産余力が大きいセメントや、金額こそ小さいが健康食品として見直されているデーツ(ナツメヤシ)、そして日本でもヒマラヤン・ソルトとして人気の岩塩なども有望な輸入品と目されている。
一方、パキスタンは世界第4位の紅茶消費国だが、そこに入れる砂糖も含めて多くを輸入に依存している。紅茶も砂糖もインドの特産物なので、インドから輸入すればコスト削減にもつながるのだが、パキスタンは主にブラジルなどから高い船賃をかけて紅茶を輸入しているのが現状だ。また、国内で消費する医薬品原料(API)のうち30~40%をインド製に依存していると言われ、今回の報復合戦でパキスタン政府がインドとの貿易を停止したことで同国の医薬品業界は慌てて代替ソースの確保に動く羽目になった。
域内自由貿易圏も機能不全
インド・パキスタンやバングラデシュ、スリランカなど南アジア8カ国でつくる南アジア地域協力連合(SAARC)は1985年の設立で、域内協力を推進する南アジア版・欧州連合(EU)と位置付けられている。このSAARC 加盟8カ国によるFTA(自由貿易協定)が2006年に発効した「南アジア自由貿易圏(SAFTA)」である。
しかしこの地域FTAは、貿易に必要な交通網やインフラ整備の遅れに加え、14.5億人の人口を抱えるインドと2.4億人のパキスタンという地域2大国同士の関係がぎくしゃくしていることもあって、そのポテンシャルを十分に発揮できないでいる。
そもそも南アジアはきわめて「外向き」の貿易構造となっている。SAARC商工会議所(SCCI)によると、2019年の南アジア全体の貿易額は約1兆244億ドルと過去10年で2倍以上に増加しているが、このうち域内貿易は268億ドルにとどまっている。輸入に限って言えば90%以上を域外に依存していて、全体の貿易赤字は約2089億ドルに達している。つまり、域内貿易の規模を拡大すればおのずとこの赤字額は圧縮されるのである。
貿易額が伸びない理由はさまざまだが、先述のように域内2大国の対立もさることながら、道路、港湾、鉄道といった貿易インフラの不備や様々な規制やNTB、人的交流の少なさなどが指摘されている。印パ貿易で取り上げた有望な貿易品目による相互補完は、SAARC域内でも十分応用が可能だ。例えば域内輸出の8割近くを占めるインドは二輪車や鉄鋼製品などに強みがあり、パキスタンも綿製品や果実、セメントなどがこれに当たる。スリランカからパキスタンへの紅茶輸出などでも新たな市場開拓の可能性がある。
航空会社の経営圧迫
印パ対立は航空業界にも大きな打撃を与えた。衝突前夜の報復合戦でパキスタン・インドが自国の空域封鎖を決めたことで、主にデリー・インディラ・ガンジー国際空港など北インドの空港を発着する北米、欧州、中央アジア路線の国際線などが影響を受けた。特に米国行きはパキスタン上空を迂回しなければならないため最大で5時間超の遅延が生じている。インド国内線首位の格安航空会社(LCC)で、すでに国際線にも進出しているインディゴ航空のタシケント便、アルマトイ便に至っては通常の倍以上の所要時間がかかっている。また、ルフトハンザ航空やスイス航空など海外エアラインのデリー便、バンコク便などにも空域迂回の影響が出た。この空域封鎖は6月末まで続く見通しだ。
こうした延着は旅客の利便性を損なうだけではなく、燃料消費が増加するため航空会社の経営を圧迫する。ロイター通信によると、民営化されタタ・グループの傘下に入ったエア・インディアの場合、パキスタンの空域封鎖が1年間続くと5.9億ドルの損失になるという。これに対しパキスタンの航空会社がインド上空を通過するのはパキスタン航空(PIA)のクアラルンプール便などごくわずか。だからパキスタンは先手を打って空域封鎖に踏み切ったと思われる。だが、こうした措置は最悪の場合、民間航空機の誤射といった惨事につながりかねない。両国が打ち出した飛行禁止措置はかなりの「悪手」だ。
また、武力衝突前の報復合戦でインドが打ち出したインダス川水利協定(IWT)の効力停止はもはや「禁じ手」と言えるだろう。世界銀行の仲介で1960年9月に印パ両国が署名したIWTは、インド側支配地域からパキスタンに流れ込むインダス川とジェルム川、サトレジ川などの支流の放水量を定めている。
「水」は戦争の引き金に
万一インド側がこれらの河川の水を止めるような事態になれば、パキスタンの穀倉地帯であるパンジャブ州の農業は壊滅的打撃を受ける。パキスタン側が「水に手を付けるのは戦争行為である」と非難したこともうなずける。実はインドも中国との間で同様の水利権問題を抱えている。中国・チベット自治区に源流を持つヤルンツァンポ川は、インド国境を越えるとブラーマプトラ川と名を変えて印北東部アッサム州を潤している。つまり、パキスタンに「水」で圧力をかけようとすれば、その「盟友」中国が同様のやり方でインドを揺さぶってくる可能もある。
第4次中東戦争を指導し、1979年にイスラエルとの和平を実現したエジプトの故アンワル・サダト大統領は演説で、「もしエジプトが次に戦争をするとすれば、その理由は水以外ありえない」と述べている。乾燥地帯が多い南アジア地域にとっても「水」は、新たな対立や紛争を生む要因となりかねない。
新たな衝突は回避できるか
今回の印パ衝突は過去のさまざまな対立とは異なり、南アジア地域の紛争が経済ビジネスにも大きなリスクとなることをはっきりと示した。パキスタンのシャバーズ・シャリフ首相が核兵器の管理を統制する国家指令本部(NCA)を招集した、というニュースが流れたが、これも真偽はともかく教科書通りの「抑止力」を発揮した。それでも今回は、印パ両国がともに「戦果」をアピールできる状況で冷静に停戦を選択したといえる。
二国間には様々な信頼醸成措置(CBM)があり、偶発的な誤認や逸脱、衝突が大規模な戦闘に拡大しないよう「安全装置」を機能させている。今回もその一つである両軍のDGMO(作戦本部長)間のホットラインが事態収拾に寄与したとされる。中将~大将級の軍高官が就任している両国のDGMOはすべての軍事作戦を統括するだけでなく陸海空軍のコーディネーションやインテリジェンスなどを一手に担う。軍の力がしばしば文民政権に優越するとされるパキスタンはもちろんだが、文民統制が効いているインドでさえ、政権幹部に意見具申や助言をすることもあるため、外交的な熟慮も求められる要職だ。このDGMO同士の対話は、衝突後も毎週火曜日に実施されている。
また、印パ両国は毎年1月1日に互いの核関連施設の場所などの情報を公表しているほか、核ミサイルなど戦略兵器の実験などを72時間前に通告する協定を締結している。そして、相手国を驚かせないために、軍の移動や軍事演習なども事前に通告するメカニズムが確立している。戦闘で自身やその部下の血が流れる軍人こそ、軽々とは戦争をしないと信じたいところだ。
インドとパキスタンの温度差
2019年のインドによる「カシミール併合」に加え、今回のテロと武力衝突によって印パの和平プロセスはほぼ完全にストップしたと言えるだろう。ただ、事態収拾を巡ってインドとパキスタンの間には微妙な温度差も見て取れる。インドは一貫して「パキスタンとの関係正常化には、テロ支援をやめることが絶対条件」との姿勢を崩していない。二国間の対立が経済やビジネスに与える影響についても「インドは自律的に6~7%の成長を持続できる。テロが経済に与える影響は皆無だ」(シニア外交官)と自信を見せる。
これに対し、経済再建中のパキスタンは相対的に和平に前向きだ。過酷なインフレを克服し、懸案だったパキスタン航空の民営化も決定するなど改革を進め、前年度のマイナス成長から24年度(25年6月期)に2.7%の成長を確保できる見通しとなったパキスタンにとって、地域紛争の脅威は早期に払拭したいところだ。
衝突の最中には「流された血の一滴まで復讐する」と敵意をむき出しにしていたシャリフ首相は5月末、「インドとの和平交渉を進め、カシミールやテロ、水利権問題や貿易など、インドとの間のすべての問題を解決したい」と述べた。同首相は2月にも「(印パの信頼醸成措置の促進などを盛り込んだ)1999年のラホール宣言の精神に立ち返り、対話によって解決を目指す」と述べている。
大国のメンツと国益が交錯するカシミール問題の解決が容易でないことは数々の政治・外交の事例が示しており、無辜の市民の生命が失われるテロへの対応は経済やビジネスに優先せざるを得ない。だが、同様に戦争や衝突の歴史が繰り返されたインドと中国の関係は、国境紛争の存在を認めたうえで「問題解決のための枠組み」をつくる協議を地道に継続している。
インドにとって中国は、自動車部品から医薬品原料、化学品、肥料などで最大規模の貿易相手国の一つだ。インド政府は、セキュリティ上問題のない車載用電池や太陽光発電設備などに関しては、中国企業の直接投資に対する規制を緩和しようと慎重に動いている。印パ両国はこうした先例に倣って、カシミール問題などの紛争とビジネスを切り離し、経済協力で実利を追及するという選択を考慮すべきではないだろうか。
参考文献
Counsil for Strategic and Defense Research “Modernizing India-Pakistan Nuclear and Conventional CBMs A strategic Imperative” Apr.2025
SAARC Chamber of Commerce and Industry “Enhancing Intra-Regional Trade in SAARC” 2021
Policy Research Institute for South Asia “India Pakistan Indirect Trade through Third Parties” Feb.2025
山田 剛(やまだ・ごう)
日本経済研究センター 主任研究員
1988年、早稲田大学政治経済学部卒業、日本経済新聞社入社。2004年~2008年、日経ニューデリー支局長。2008年~2013年、日本経済研究センターに出向。インド・南アジア政治・経済の研究に従事。2016年~日本経済新聞社シニアライターとの兼務で日本経済研究センターに復帰。専門はインド、パキスタン、バングラデシュなど南アジアの政治、経済、ビジネスおよびイスラム世界の動向分析。日本経済研究センターHPでは15年近くにわたって情勢分析コラム「INSIDE INDIA」を連載中。