大国のナショナリズムにどのように向き合うか
佐藤 丙午
ナショナリズムの時代
冷戦後の1990年代、中国のWTO加盟問題が議論され、米国が中国に最恵国待遇(MFN)を与えるべきかどうかが政治的な論点となっていた際、当時のクリントン政権は中国をグローバル経済に取り込む政治的な利点を強調していた。それは、共産党が支配する中国が資本主義秩序を受け入れることが、中国国内の政治体制の変革につながるとの学説を前提にしたものであった。この主張に対し、中国が権威主義体制を維持したまま資本主義を受け入れると、強度の重商主義的政策を選択し、その過程で生じる国内問題を、ナショナリズムに訴えて乗り越えるのではないかと指摘されていた。
そこから約20年が経過し、トランプ大統領は第一期目において、冷戦後の対中政策が前提としてきた思考の間違いを指摘し、中国に対して関税や技術競争などを仕掛け、国際経済における中国の不法行為を非難した。これらにより、クリントン政権以来進められてきた経済のグローバル化を基本とする政策は、一つの転換点を迎えたことを印象付けた。たとえばWTOは自由貿易の基盤として重要な位置付けを与えられているが、そこでは合意形成が困難であることが明らかになり、紛争処理も効果的に機能していないことも、オープンに批判されるようになってきた。また、第二期トランプ政権では、かつては自由貿易のモデルとされていたカナダとメキシコの関係を、政治的な思惑で壊そうとしている。
もちろん、過去30年間進められ、その中で構築されてきた様々な制度的な現実が即座に別のものに転換するわけではない。国際法や制度は、従来の秩序を持続させる作用があり、その重要性は多くに認識されている。また米国を含め、国際社会の大多数は急激な転換を希望する訳でも、またそれを受け入れて行動の変容を即座に実施する訳でもない。国際経済の動態の変化に顕れている国際秩序の変革の可能性は、各国が経済安全保障を追求している姿勢に見られる。
そこで重要な要素として、大国のナショナリズムの勃興が、秩序変化を促している現実に着目する必要が生まれている。
国際秩序の変革について
国際関係論では、現実主義において、国際秩序は大国の利益体系のもとに形成されると教える。同時に他の理論では、参加国の共通認識や利益が国際協力を促進するとも教える。
これら理論的考察を参考にするのであれば、現在指摘される国際経済の秩序の変動は、大国や国際社会の多くの国が、それを維持することに利益を認めなくなっていることの反映と言えるだろう。秩序維持のためには、誰かが国際公共財の提供を行うことが必須となるが、大国あるいは多くの国が協調して公共財の提供をためらう場合、秩序は混乱する。自由貿易体制の公共財の一つは、国際的な分業体制の中で国内の産業構造を転換することを厭わない態度である。どの国も国際経済の状態により国内政治は影響を受けるが、そこで保護ではなく、開放を維持することは、政治的に重要な決断になる。にもかかわらず、そこで公共財の提供をためらう大国が出現する理由は、投資に比べて期待される利益が少ない場合であることが多い。
米国と、カナダおよびメキシコの関係を考えてみよう。トランプ大統領は就任直後(正確には就任前から)、カナダとメキシコを非難し、カナダに関しては貿易、メキシコに関しては不法移民問題等を理由に、両者に対して国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠法として、関税をかけることを表明している。それ以外にも、中国やEUなどに対し、特定の製品や装填に関して関税をかけることを表明しており、自由貿易体制のもとでトレンドを逆転させるような対応を明確に取った。ただし、IEEPAは緊急事態に対応する法制度であり、緊急事態が解消された場合は元に戻すことになる。
WTOのもとで自由貿易体制は、国際社会が作り上げる環境であって、政策のための手段にはなり得なかった。自由貿易体制の基本である関税の無差別・公平な低下は、国際経済の発展のための必要条件であり、それを逆転させる行為は、国内政治上の特別な理由を背景にした、逸脱行為であった。逸脱行為をとることを正当化するためには、特定の経済的な条件に基づいた政治的要請が必要であった。しかしそれを、「関税の武器化」とも言える、「逸脱行為」を他の政治目的に使用するという行為は、多くのエコノミストにすると、想定外という言葉以外は出てこないのも当然である。
ただし、国際関係論の観点から考えると、自由貿易体制には明確な欠点があった。欠点は広く認識されており、社会変革の原因の一つとされてきた。
一つの問題は、先に述べた公共財の問題である。公共財の問題には、常にフリーライドの問題が存在する。中国などの米国に対する挑戦国が、現体制の一方的な受益者であるとすれば、米国は公共財の提供に利益を感じなくなる。したがって、秩序維持に利益を感じている国や、フリーライドしている国を厳しく批判し、それらにコストの分担を求めるか、秩序自体の変革を求めるだろう。特に中国は、技術等の取得で発展途上国特有のパターンを大規模に踏襲しており、ロシアも資源の戦略的な活用を進めている。この二国が「弱者」や「後発国」の利益を活用し、国際経済秩序から一方的に利益を得ているのは、米国にとっては極めて不公平なものと映った。
もう一つの問題が、自由貿易体制のもとで発展したグローバリゼーションの社会的効果がもたらす課題である。グローバリゼーションは、単に物流や情報面での自由化にとどまらず、相互の社会に間主観的に影響をもたらし、価値の多元化も推進する側面がある。自由貿易体制は、リベラルで合理的な個人の存在を前提にするが、彼らは国内で価値多元化を推進する担い手として、それを加速する原動力となる。しかし実際には、公共財を提供する国の存在が、自由主義と重商主義を自由貿易体制やグローバリゼーションの中で並立する余地を生む。しかし、その場合に自由主義陣営は、価値多元化と国家アイデンティティの間の緊張から、国内での凝集力を維持することに苦労する。この問題を、2025年2月のミュンヘン安全保障会議(MSC)でバンス副大統領が、「敵は国内にある」と表現している。
そして、国内の再分配の問題も存在する。自由貿易体制は機能分業を促進するが、その分業を国内で進める場合と国際的に進めるのとでは、期待できる経済的利益と政治的利益は異なる。国内政治上の理由から、国家は国内での分業を期待するが、実際には、米国のような大国であれば尚更、国際的な分業のもとで利益の最大化が進められる。その場合、国内の分業の担い手になれず、同時に再分配も不十分にしか受けることができない層が出現する。
この問題は、米国において製造業の空洞化(雇用の国外流出)という形で政治問題化した。理念的には、競争力を失った部門は、競争力を求めて産業構造を転換するのだが、雇用と技能と地域性は並立しない場合が多い。産業構造の転換は容易ではなく、そこに地域政治の問題が関わると、自由貿易体制のもとでは規制されることが多い、保護、という手段が魅力的なものとして浮上する。トランプ大統領のように、直接的に保護するのではなく、他の政策の結果、事実上保護されるという方法も存在する。
これら三つの問題は、現在見られる国際秩序の変動の一断面ではあるが、秩序の再構成の結果を説明しているものではない。我々が見ているのは、秩序の変質過程であり、最終的に転換結果ではないのである。
秩序の変質
国際秩序の変質は、各国の外交・安全保障政策に顕著に現れる。変容の可能性を見ると、各国はそれに合わせて外交安全保障の方向性を修正する。
現在の国際秩序は、主権国家の存在を前提とする。しかしその「外郭」は国際法的に規定され、パワーの伸長・衰退がその大きさに反映することはない。国家相互の差は、所与の条件の差として規定される。外郭、すなわち国境線の変更は、国際法的には違法な行為である場合が圧倒的に多く、それはたとえ大国であっても、変更を試みる場合には厳しく罰せられる。2014年のロシアのクリミア併合に対し、G8からロシアが追放されたのがその一例になる。
国境線の変更が困難であるという現実は、国際社会に三つの問題をもたらす。第一に、ロシアや中国のように、法的に規定された境界とアイデンティティに基づく正当な支配領域が異なる状態で、その再構成を試みる動きが顕在化する。これはしばしば、「歴史の亡霊」の復活、と揶揄されることがある。
それぞれの国家のパワーが伸長する場合、あるいは、国内の矛盾をナショナリズムで解消する必要が出てきた場合、多くの国ではアイデンティティ政治が優越する。たとえば、プーチン大統領は「大ロシア主義」に基づき、ベラルーシとウクライナを西欧との間の緩衝地帯として確保しようとしている。中国にしても、南シナ海の九段線の設定や、台湾を含めた段線数の増加は、彼らの歴史的な正統性に基づいた主張をしている。他にも、大小の差はあれ、国際社会の多くの場所でこのような矛盾は存在し、社会的な緊張が紛争を生み出している。
第二の問題は、国境線が固定されると、市場と資源の状態も一定程度固定化され、それぞれの国家が追求する戦略も固定化される。たとえば、原油を算出する中東諸国は、石油や天然ガスがエネルギー生産の中核である限り、パワーを持続的に確保し得る。第一次資源は国際市場での価格に左右されるが、非産出国がその影響から抜け出すには、エネルギーをめぐる国際秩序を根本的に変革しない限り困難となる。そして、国家の地理的条件も固定化されるため、国際社会では地政学に対する関心が高まる。
第三の問題は、国家間の力関係の差を物理的に補正する手段がない場合、国際組織などの、主権国家間に格差がない場でパワーをめぐる競争が発生することである。国連のパワーの中心が、総会と安全保障理事会に分かれるのは知られているが、パワーに劣る中小国は、安保理での決議ではなく、自身が影響力を行使できる総会での決議を重視する。2020年代に入り、グローバルサウスの諸国の影響力の存在が注目されるようになったが、これは彼らが国際組織などでの影響力の強化を図った戦略を反映したものである。
国際組織における中小国の影響力の上昇は、大国がそのパワーに比例した正当な影響力の喪失を意味するため、どうしても国際組織に対する不満が解消されない。大国に余裕と責任感が存在し、利用価値を認めている時に不満は顕在化しないが、相対的に不利な立場を強要され続けると、国際組織からの離脱や、新たな枠組みの創設を検討するようになる。これはGWブッシュ政権期初期にも見られた現象であるが、同時多発テロ以降、国際的な協力体制の構築が必要になってからは、その政策に対する国際組織を通じた正当性の確保を重視した対応に変化した。
そして、国際的な意思決定過程において国際機構の役割が上昇すると、国家間のパワーの差は、パワーをより多くを持つ国は負担するコストに比べて影響力を落とし、持たざる国が相対的に影響力を増加させる。米国がリベラル国際主義を推進している状況では、それが米国の影響力を漸進的に減退させる。トランプ政権が米国民に訴えたナショナリズムは、一面米国の国際的な影響力の回復を目指すものでもあった。
このように、秩序は大国の「我儘」が変質させているのではなく、パワーの変化を柔軟に吸収することができない国際秩序のもとで、その変化に対応した最適な姿を模索しているのである。
現下の国際情勢:2025年以降の国際秩序
トランプ政権は、政権発足当初の大統領令などを通じ、多様性・公平性・包括性(DEI)の維持確保を前提とした政策は採用しないことを明言している。これは実質的に、民主党側が主張してきた多様な価値観の推進を停止するものである。ただし、トランプ大統領の主張を見る限りDEI自体が問題なのではなく、その推進を目的に、他の政策上の考慮を犠牲にしない、という点に留まっている。これはバンス副大統領の演説にも言えることで、MSCの場で欧州に対して厳しい指摘をしたが、欧州に対する一方的な要求の突きつけではなく、欧米に共通する問題である、民主主義の内部に潜む課題に対する対応を呼びかけるものであった。
実は、トランプ、バンス、そして政府効率化省(DOGE)長官のイーロン・マスクにも共通する課題は、民主主義の危機、である。そしてこの問題は、米国援助庁(USAID)の支援内容の見直しの一部に含まれる。USAIDの活動に、国際的なDEIの推進にあったことが注目を集めたが、より重要なのは世界各国のメディアに対する工作活動である。特に世論形成に関係する部門への援助は、その内容次第ではあるが、相手国民の選択を歪めるための活動に使用される可能性がある。民主主義の必要条件の一つに、国民に選択肢とその結果が明示されているというものがある。選択肢、あるいは選択そのものに影響を与えることができるのであれば、相手国の政策を米国の利益に沿った方向に誘導することができる。実はこれは、米国のソフトパワーの中核を担う機能でもあった。
トランプ政権がUSAIDの活動を見直すと、米国の対外影響力も減ると予想される。それは、DEIのような価値観に関するものであれ、米国の広範な支援に対する感謝の気持ち(米国に対する好感度)であれ、あるいは世論に対する直接的な働きかけにせよ、これらは国際秩序を規定し、その維持発展に責任を負う米国という見方に大きく影響する。つまり、米国の発言に対する信任が薄れる。トランプ大統領がどのような方針を持っているかは不明だが、米国の国際的な影響力は大幅に後退し、「普通の大国」となる。
したがって、2025年以降の国際情勢は、米国が普通の大国となり、その利益に対応した選択を行うことになる。これは、これまで国際社会で共有されてきた、「穏健な帝国」で寛大な大国である米国のイメージは大きく変わり、現実主義的な対応をする大国として認識されることにつながる。
ただしその方向性を米国が追求すると、国内的には短期的にナショナリズムによる高揚感が感じられるだろうが、国際社会における米国が保有していた、国外からの憧れや尊敬を失うことになる。つまり、現実主義的な政策には、中長期的にはそれまで米国が保有していた影響力を失い、米国の国際的地位は確実に下がってゆく。それを「剥き出しの」権力政治で回復できたとしても、それは冷戦後米国が得ていた国際的な影響とは性格的に異なるものになるだろう。
つまり、国際秩序の移行期の先に、これまでの国際社会では経験したことがない世界が待っているように見え、その中で各国は外交安全保障政策の舵取りをしていかなければならないのである。
執筆者プロフィール
佐藤 丙午(さとう・へいご)
拓殖大学海外事情研究所所長・国際学部教授
岡山県出身。一橋大学大学院修了(博士・法学)。防衛庁防衛研究所主任研究官(アメリカ研究担当)より拓殖大学海外事情研究所教授。専門は、国際関係論、安全保障、アメリカ政治、日米関係、軍備管理軍縮、防衛産業、安全保障貿易管理等。経済産業省産業構造審議会貿易経済協力分科会安全保障貿易管理小委員会委員、外務省核不拡散・核軍縮に関する有識者懇談会委員、防衛省防衛装備・技術移転に係る諸課題に関する検討会委員、日本原子力研究開発機構核不拡散科学技術フォーラム委員等を経験する。