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ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界 (13) 経済安全保障からみたロシア・ウクライナ戦争 湘南工科大学 総合文化教育センター教授 長谷川 将規 【2022/9/5】

ロシア ウクライナ侵攻と今後の世界

(13) 経済安全保障からみたロシア・ウクライナ戦争

掲載日:2022年9月5日

湘南工科大学 総合文化教育センター教授
長谷川 将規

 本年2月24日からロシアのウクライナに対する軍事侵攻が始まった。ウクライナ国民は死力を尽くして抵抗し、事実上の戦争が8月末現在も続いている。米国、EU、イギリス、日本などの西側諸国は、ウクライナに政治的、経済的、あるいは軍事的支援を提供する一方で、ロシアへの経済制裁を続けている。

 この戦争は今後どうなるのだろうか。また、この戦争が終わった後、我々にはどんな世界が待ち受けているのだろうか。本稿は、これらの問いへのヒントを「経済安全保障」(以下ES)の観点から考える。なお、本稿でのESとは「安全保障のために利用される経済的手段」を意味している。経済制裁、それに対抗するための経済手段、経済援助なども、ESの一環として扱われる。


ロシアへの経済制裁は効いているのか

 この問いは難しい。なぜなら、経済制裁というものは常に「複数のターゲットと目的」をもっているからだ。西側諸国によるロシアへの経済制裁もまた、ロシア以外に以下のターゲットをもち、括弧内のメッセージを伝えている。

(1) ウクライナ(応援しています)
(2) 自国民(政府はしっかり働いています)
(3) 他の制裁参加国(ちゃんと協力していますよ)
(4) 中国などの制裁不参加国(気をつけないと、あなたもロシアみたいになりますよ)
(5) 台湾、ジョージア、モルドバなど(我々がついています。悲観しないで)

 そして、ロシアをターゲットとする場合でも、以下の多様な目的を含んでいる。

(1) 反感や決意を示す
(2) 停戦交渉に向かわせる
(3) 占領地域から撤退させる
(4) 経済を衰退あるいは崩壊させる
(5) 軍事能力を低下あるいは崩壊させる
(6) プーチン政権を倒し、よりましな政権に交代させる

 以上のように、西側の対ロ経済制裁の有効性や成否は、「目的」次第、「ターゲット」次第で、答えが変わる。したがって我々は、どのような目的、どのようなターゲットなのかを常に問いながら、経済制裁を評価する必要がある。

 現在のところ、経済制裁は、ロシアを撤退させることも、停戦交渉に向かわせることもできていないし、ロシアの経済と軍を崩壊させたり、政権を交代させたりすることもできていない。これらの点では経済制裁は今のところ「有効」ではなく「不成功」といえるかもしれない。だが、ロシアの経済と軍を徐々に消耗させて戦争継続コストを高めること、また制裁への不参加国、特に、巨大な経済力をもつ中国の対ロ支援を抑制させること、これらには一定の効果をあげている。例えば、後者に関しては、侵攻後に中国主導のアジアインフラ投資銀行がロシア関連取引を停止したり、中国の対ロ輸出が3~4月に激減したり、銀聯カードの対ロ提供が不成立に終わったり、SPFS(ロシアがSWIFTを迂回するために構築した貿易通信・決済システム)とCIPS(クロスボーダー人民元決済システム)を連結させる金融・貿易協力が停滞したりしている。

 こうした中国側の自制については、侵攻後数日で決定されたロシア系主要金融機関のSWIFT排除とロシアの外貨準備凍結、さらに、その数日後に行われた米国製半導体製造装置とソフトウェアの供給停止の脅しなどが有効であったと推察される(CIPS参加銀行の多くはSWIFT経由で参加しており、中国の外貨準備の半分以上はドル建てであり、中国の産業に不可欠な半導体や関連技術が米国から提供されている)。

 しかし、西側の対ロ経済制裁は、ロシアの戦争継続コストを高めたり、中国の対ロ支援を抑制させたりする上で一定の効果を発揮しているものの、ロシアを停戦交渉に向かわせたり、占領地を放棄させたりするような「重要な譲歩」や政権交代を引き出すには至っていない。今後、西側諸国は、経済制裁というESによってこれらを達成することができるだろうか。

  今日多くの専門家は、経済制裁によってロシアが被る「経済コスト」(輸出入、歳入、物価上昇率、経済成長率などの悪化)に注目している。しかし、経済制裁がロシアの譲歩や政権交代につながるのか否かを考える上で重要なのは、経済コストよりも「政治コスト」である。つまり、西側の経済制裁によってロシアがどんな政治的苦痛を被るのかがカギとなる。経済制裁が深刻な政治コストをもたらすことができず、経済的なコストしか与えられないならば、それがかなり大きなものであってもロシアは耐え抜くだろう。過去にキューバや北朝鮮がそうだったように。


西側はロシアとのES闘争に勝てるのか

 では、ロシアを重大な譲歩や政権交代に導くような政治コストとして、どのようなものが考えられるだろうか。筆者の念頭に浮かぶのは以下の5つである。

(1) 死活的な支持層(シロビキ、財界など)がプーチン大統領を見捨てる
(2) 大規模な暴動や民衆蜂起が頻発する
(3) プーチン大統領に代わりうるカリスマ性ある指導者が台頭する
(4) ロシア軍が戦闘不能になる
(5)(経済制裁の後に)NATO軍が介入してくる

 ロシアに対する経済制裁が、これら(1)~(5)の「どれか」を伴うならば、ロシアが譲歩したり政権が崩壊したりする可能性は高まる。しかし逆に、(1)~(5)のどれも伴わなければ、ロシアは制裁を耐え抜くだろう。

 そして現状はというと、(1)~(5)の兆候はいずれもみられない。一部オリガルヒの反発はあるものの(1)の事態には至っていないし、(2)も起きておらず、(3)のような人物も見当たらない。(4)については、半導体や先端兵器の調達には苦しむだろうが、旧式兵器のストックは十分あり、ロシア側が望む限り戦闘継続は可能だ。(5)は、ロシアが大量破壊兵器を先制使用しない限り、想像しづらい。以上よりロシアが譲歩する可能性は低く、また西側諸国やウクライナも譲歩しないとすれば、「軍事力」と「ES」の両方において、今後もダラダラとした闘争が、双方が音を上げる臨界点まで続くことになるだろう。

 今日、西側諸国とロシアは「ESの闘争」を展開している。すなわち、互いに経済制裁を掛け合うとともに、自国経済を守るための経済防衛策を必死に模索している。西側諸国は、このES闘争に勝てるだろうか。

 ロシアは、西側からの経済制裁に耐えながら、天然ガスを利用したカウンター制裁で反撃している。これまで、ポーランド、ブルガリア、フィンランド、オランダ、デンマーク、ドイツが、ロシアから天然ガスの供給停止あるいは大幅削減を被った。日本も7月初めにLNGを依存するサハリン2を事実上「接収」された。エネルギーの途絶と価格高騰によって家計が圧迫され、企業の投資・生産活動が停滞し、インフレと景気後退が併存するスタグフレーションに陥る。この暗澹たるシナリオが、今、西側諸国で現実味を増している。

 一般的に、民主国は、経済的困窮に起因する世論の反発を、権威主義国ほどには巧妙に迂回できない。筆者は先に、経済制裁が相手の譲歩につながるか否かを考える上で重要なのは、経済コストよりも政治コストだと指摘した。だが、こうした政治コストは、西側の方がロシアよりも大きいのではないか。西側は今後ロシアのカウンター制裁に耐えられるのか。

 最大の正念場がこの冬やってくる。エネルギー不足、物価上昇、景気後退、工場の稼働停止、計画停電、国民の不平不満。欧米諸国はこれらに耐えねばならない。イタリアなど南欧諸国の債務問題も懸念される。今のドイツはギリシャ危機のときのドイツではない。自国のガス枯渇とスタグフレーションに怯えるドイツである。7月には一時、1ユーロの価値が1ドルを下回り、20年ぶりの歴史的なユーロ安となった。リーマンショックや欧州債務危機の際にも起きなかったことである。日本もロシアのLNGが絶たれれば、上記の懸念が現実になる。世界のガス需要は逼迫しており、日本がロシアに代わる長期契約先をすぐに見つけることは困難だ。そうなると高額なスポット価格で購入するしかないが、それは電気料金を押し上げ、家計と景気を圧迫する。こうした事態を避けつつロシアのLNG途絶の脅しにも屈しないためには、原発を再稼働するほかない。

 これらの難題を抱えてもなお、西側諸国はウクライナ支援で結束していけるのだろうか。それがこれから試されることになる。上記の難題に直面して西側諸国が腰砕けとなり、ロシアへの妥協と宥和に向かう可能性を無視することはできない。しかし他方で、この難局をうまく切り抜けることができれば、西側諸国はむしろこれを奇貨としてロシアへのエネルギー依存を克服し、経済的苦境への免疫と対処法を獲得し、経済的にも政治的にも強靭化されるかもしれない。そうなれば、西側諸国は今後もロシアとのES闘争を粘り強く続けていけるだろう。


ロシア・ウクライナ戦争は重要なのか

 もちろん重要にきまっている。しかし、「最も重要か」と問われれば、にわかには首肯しかねる。今後NATO軍とロシア軍が戦ったり、中国が台湾に侵攻したりしない限り(つまり第3次世界大戦にならない限り)、今後の西側世界にとって最も重要な問題は、おそらくもっと別の所にある。

 近年「新冷戦」という表現が散見される。だが、今日の世界は、かつての冷戦時代とは質的に異なる世界である。なぜなら、当時ほとんどなかった現象――「脅威国との密接な経済交流」(Close Economic Exchange with a Threatening State 以下CEETS)――が存在するからである。CEETSとは、より具体的に言えば、中国やロシアのような「脅威国」とその脅威に苦しむ国家(以下「被脅威国」)との間に存在する、密接な経済関係を意味している。被脅威国にとってCEETSは深刻なジレンマだ。CEETSを続ければ、脅威国の経済力や技術力(さらにそれらを基盤とする軍事力)を向上させてしまうし、脅威国への経済依存が深まり、その結果脅威国のESに脆弱になってしまう。しかし、だからといってCEETSをやめてしまうと、今度は自国経済に重大な悪影響が生じ、国民の反発と政権の動揺を招いてしまう。

 今後の世界にとって深刻なのは、「ロシアとのCEETS」よりも「中国とのCEETS」である。中国は、ロシアの約10倍の名目GDPと人口を有し、ESとして武器化可能な経済ツールを多数保有している。それらは、5G、高速鉄道、送電インフラ、レアアースやグラファイト、AIや自動運転やデジタル金融などに関する先端技術や規格標準、一帯一路構想に基づく資金援助、そして巨大な市場と購買力であり、今後ここに「国際化した人民元」も加わるかもしれない。

 世界は、中国とのCEETSに関して、またそれを背景とした中国のESに対して、どのように対応すべきなのか。この問題こそ、これから西側世界が直面する最も重要な地政学上の課題である。米国のトランプ大統領は「デカップリング」(中国との経済関係の劇的な縮小)を提唱したが、これはやり方を間違えれば経済的カオスを招く。かといって、これまで多くの識者やメディアが信奉してきた「経済的関与」に戻るわけにもいかない。それは既に破綻している。彼らによれば、経済交流の深化は、中国を豊かにして経済の自由化を促し、それがやがては中国の政治の民主化に、そしてまた外交の穏健化につながるはずだった。しかし、結果として現れたのは、国家と党が経済を支配し、独裁化と国民監視が進み、威圧的で強硬な外交を強める中国であった。


おわりに

 冷戦時代、米ソ間には経済交流がほとんどなく、人々は「経済」と「安全保障」を分けて生きていくことができた。現在は違うし、将来も違う。世界は「経済」と「安全保障」が混然一体となり、ESの観点なくしては適切な対応が不可能な時代に入った。現下の戦争においても、ウクライナを支持する西側とロシアとの間で、ESを利用した熾烈な闘争が展開されている。そして、この戦争が(幸運にも第3次世界大戦に至らずに)終わったとしても、中国とのCEETSという難題が我々を待ち受けている。


執筆者プロフィール
長谷川将規 (はせがわ まさのり)
湘南工科大学 総合文化教育センター 教授
早稲田大学政治経済学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。
湘南工科大学総合文化教育センター専任講師を経て、2018年より現職。
専門は、経済安全保障、エコノミック・ステイトクラフト。
主な著書、論文:『経済安全保障――経済は安全保障にどのように利用されているのか――』(日本経済評論社、2013年)。「エコノミック・ステイトクラフトの歴史と未来――メガラ禁輸からTPPまで――」『国際政治』(2022年、2月)。“Close Economic Exchange with a Threatening State: An Awkward Dilemma over China,” Asian Security, Vol. 14, Issue 2, 2018, pp. 155-171. “The Geography and Geopolitics of the Renminbi: A Regional Key Currency in Asia,” International Affairs, Vol. 94, Issue 3, 2018, pp. 535―552など。




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