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ニューノーマルと社会~拡大するフロンティア (8) RCEP署名とアジア太平洋経済圏の課題 拓殖大学 国際学部 准教授 椎野 幸平 【2021/2/9】

「ニューノーマルと社会」~拡大するフロンティア

(8) RCEP署名とアジア太平洋経済圏の課題

掲載日:2021年2月9日

拓殖大学 国際学部 准教授
椎野 幸平

 2020年11月に地域的な包括的経済連携(RCEP)協定が署名された。2016年以降、米国のTPP離脱、英国のEU離脱(Brexit)に加え、米中貿易摩擦が顕在化し、世界の通商政策には逆回転の力が働いてきた。それに対して、TPP11(2018年発効)、日本・EUEPA(2019年発効)に続き、RCEPが署名されたことは自由貿易体制を堅持・推進していく上で、重要な礎となる。RCEPはTPPとともに、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)形成の両輪となることが期待されているが、残された課題は米国のTPP復帰を実現できるかにある。しかし、米国のバイデン新政権にとってTPP復帰のハードルは高い。本稿では、RCEPの特徴を確認した上で、今後のアジア太平洋における経済圏形成の課題について検討する。

RCEPの特徴は?

 RCEPはTPPと比較すれば、貿易自由化率、ルールの内容ともに緩いが、中国やCLM(カンボジア、ラオス、ミャンマー)諸国なども参加する中、一定の自由化と規律を規定する内容となっている。

 物品貿易分野では、署名15か国(ASEAN10ヵ国、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド)全体の関税撤廃率は91%(品目ベース)である (※1) 。TPP(99%)やASEAN経済共同体(99%)と比較すれば低いが、GATT24条に基づきFTA締結の要件として解釈されている90%を超える水準を確保している。物品貿易分野の最大の注目点は、アジアの貿易大動脈と位置付けられる日本・中国、日本・韓国間で、初めてFTAが形成されることである。その他の国間では、ASEANやASEAN+1(ASEANと日本、中国、韓国、オーストラリア・ニュージーランドの各FTA)などが既に発効しており、新たに自由化される品目もしくはRCEP加盟国大で累積が認められることにより原産地規則を満たせるようになる品目で利用が見込まれる。

 日本と中国、韓国間のRCEPでの関税撤廃に関する合意内容と平均実行関税率をみたものが表1である。関税撤廃率は相互に80%台の水準に留まる。中国側と韓国側ではほとんどの完成車や一部の自動車部品など貿易額の大きい品目が除外されている課題はあるが、物品貿易分野では日本側の恩恵が長期的には大きいと指摘できる。その理由は、第1に、現状の有税品目率は圧倒的に日本よりも中国、韓国側で大きく、日本の両国への輸出で新たに関税撤廃される品目が大きいことである。第2に、現在の平均実行関税率をみると、日本の4.7%に対して、中国は7.3%、韓国は12.6%と日本よりも高いことである。FTAの貿易創出効果に関する先行研究でも、特恵マージン(一般関税率-FTAによる特恵関税率)が大きい程、貿易創出効果が大きいことが一部のFTAで確認されている(Okabe2014等)。

表1 中国、韓国、日本間のRCEPによる関税撤廃率と現在の平均実行関税率

 しかし、多くの品目で最大20年程度の長い期間をかけて関税を段階的に削減・撤廃していくため、その効果が完全に実現するには時間がかかることには留意が必要である。菅原(2020)によると、中国の対日関税については、11年目までに全体の71.5%、残りの14.5%は21年目までに関税撤廃(この他、関税削減品目が0.4%)、同様に韓国については10年目までに全体の73.8%、残りの9.2%の品目は20年目までに撤廃される。

 実務上は、一部の品目で逆転現象(FTAによる特恵関税率>一般関税率)が生じることにも留意が必要である。中国は2019年に幅広い品目で一般関税率を引き下げ、平均実行関税率は2018年の9.7%から2019年には7.4%まで低下している。一方、RCEPで合意したベースレートは同関税引き下げ以前の水準で約束されているため、発効後一定期間は、RCEPの特恵関税率が一般関税率を上回る状況が生じる。例えば、自動車部品のバンパーでは、ベースレートの10%から段階的に引き下げられる一方、一般関税率は既に6%に引き下げられているため、発効9年目から利用価値が生まれることになる。

 ルール分野の特徴は、幅広い分野で一定のルール形成を行ったものの、TPPと比較すれば緩い規律で、交渉が難航したとみられる部分については発効後に協議を行う枠組みとなっていることである。最も注目された電子商取引分野は、自由なデータフローとサーバーの設置義務禁止が盛り込まれたものの、幅広い例外(正当な公共政策目的と安全保障上の重大な利益保護)が認められ、政府調達は透明性の向上は盛り込まれたものの一定金額以上の指定機関による調達に対する開放義務は盛り込まれず、投資章についても伝家の宝刀となる投資家対国家の紛争解決は発効後協議を行うことが約束されているに留まる(椎野2020a)。また、電子商取引章には、TPPでは盛り込まれたソースコードの開示要求禁止は盛り込まれていない。しかし、中国など実際に国境を超えたデータフローに規制をかけている国が存在している中、電子商取引章で原則が盛り込まれたこと、政府調達についてもWTOの政府調達協定やこれまでのFTAでも政府調達について約束をしてこなかった国が多い中で、章立てを行い、一定の約束を行ったことには意義が見い出せると指摘できる。RCEPは、前述の通り、交渉が難航したとみられる部分については発効後に協議を継続していくことが約束されており、Living FTAとして、今後の交渉次第で自由化・規律が強化され得る枠組みとなっている。しかし、一旦、合意した内容の深堀りをしていくことは容易ではないことも想定される。

アジア太平洋の経済圏形成には米国のTPP復帰を説得できるか

 今後、アジア太平洋で高水準の自由化やルールの普及を図っていくには、RCEPの活用とともに、高度な自由化とルールを含むTPPの加盟国を拡大していけるかにある。TPPはRCEPよりも規律の高いルールを有するとともに、RCEPの章立てには含まれていない国有企業、労働、環境も含まれている。しかし、問題はTPPが先進的なルールを有していても、11カ国に限定的な枠組みに留まるのか、今後、参加国数を増やしてプラットフォームとなり得るのかにある。2018年12月の発効以降、Brexitを行った英国が2021年2月に正式にTPP加盟を申請 (※2) したものの、アジア太平洋の国々からは正式な交渉参加要請はこれまでなされていない。タイについては、TPP参加を検討していることが伝えられてきたが、経済政策を統括してきたソムキット前副首相が2020年7月に退任して以降、旗振り役がみられない。コロナ禍が顕在化した2020年4月にはジュリン副首相兼商業相やアヌテイン副首相兼保健相はTPP11への新規加盟に反対する方針を示していた(椎野2020b)。

 TPPのグラビテイを高めるためには、米国のTPP復帰を実現できるかにかかっている。バイデン新政権の誕生によって、米国がTPPに復帰する可能性も生まれ、タイのジュリン副首相兼商業相は米大統領戦後、TPPに対する米国の動向を注視すると発言したと伝えられている(岡本・ナオルンロート2020)。インドネシアのジョコ・ウイドド大統領も、米国のTPP離脱前には、TPPへの加盟方針を示しており、米国のTPP復帰は、タイやインドネシアの参加を促進することにつながると見込まれる。タイやインドネシアにとり、米国のTPP復帰によりベトナムやマレーシア(未批准)の米国市場へのアクセスが大幅に改善されることで、自国の対米輸出が代替されることがリスクとなる。特に、米国では縫製品に対しては平均10.1%(2020年)の高関税が課され、一般特恵関税(GSP)でもほぼ除外されており、米国のTPP復帰は、同製品に競争力を持つベトナムの輸出競争力を強め、タイやインドネシアには貿易転換効果を通じてマイナスの影響を及ぼすことが見込まれる(Shiino2017)。

 しかし、米国のバイデン新政権にとってTPP復帰のハードルは高い。第1に、2021年7月に貿易促進権限(TPA)が失効することが挙げられる (※3) 。TPP失効によって、政権側が議会に対して、TPPを一括して受け入れるかどうかのみの判断を委ねられることができなくなるため、批准の壁が高くなる。第2に、注目された2021年1月のジョージア州の上院選では2議席とも民主党が獲得し、議会情勢はバイデン政権に有利となったことは好材料だが、TPP復帰はトランプ前大統領や共和党からの攻撃材料となり得ることや、民主党が労働組合を支持基盤としていることもハードルを高めることになることになろう。仮にバイデン政権がTPP復帰をする場合でも、バイデン新大統領は、バイ・アメリカンを重視する方針を打ち出しており、政府調達章などで再交渉が求められることも考えられる (※4)

RCEP発効後の展望は

 RCEPは、ASEAN10カ国の内6カ国以上、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの内3カ国以上が批准書等の寄託をすることによって発効することが規定されている(第20・6条)。発効時期を見通すことは困難なものの、2021年後半から2022年前半に発効する可能性を指摘する見方が示されている(Scoles2020)。

 また、RCEPへの新規加盟は発効18カ月後から可能と規定(第20・9条)されており、仮に2021年末から2022年初頭に発効した場合には2023年半ば頃から新規加盟が可能となる。新規加盟の候補国・地域としては、香港が挙げられ、ポール・チャン財政官はRCEP参加への関心を示している (※5) 。アジアの物流拠点となっている香港のRCEP加盟は、在庫分割によるFTA利用を促進するなど物流の効率化につながることが期待されるが、現在の香港をめぐる情勢から香港のRCEP参加には政治的に大きな課題が存在する。

 RCEPへの参加を見送ったインドについては、当面、RCEPに復帰することは困難であろう。

 インドのモデイ政権は一般関税の引き上げを行うなど関税による産業保護政策を進めており、RCEPも含めFTAそのものに否定的な立場をとっていることがその理由である。

 EUもアジアとのFTA交渉を積極化することも考えられる。EUはRCEP署名国の内、韓国、シンガポール、日本、ベトナムとFTAを発効させており、2020年12月には中国との間で投資協定締結に大筋合意に達したと発表している。EUとしても、RCEP諸国の内、FTA未締結国との交渉を加速させていくことも想定される。

 RCEP署名は、バイデン新政権誕生とも相まって、アジア太平洋における通商交渉を再活性化する重要な要素となる。RCEPとTPPがアジア太平洋の経済圏形成の両輪となっていくことが期待されるが、鍵となるのは高度な自由化と規律を有するTPPへの米国復帰を実現できるかにかかっている。その面で、保護主義的な動きが顕在化した2016年以降も、TPP11、日EUEPA、RCEPを締結し、自由貿易体制を堅持する上で重要な貢献をしてきた日本が、バイデン政権に対してTPP復帰を説得できるか、その役割は大きい。

※1 「地域的な包括的経済連携(RCEP)協定に関するファクトシート」(外務省・財務省・農林水産省・経済産業省)に基づく。
※2 2021年1月30日付け英国政府リリース(UK applies to join huge Pacific free trade area CPTPP)。
※3 “Trade Promotion Authority (TPA)”, Congressional Research Service, December 14,2020
※4 米国のサキ大統領報道官は、2020年1月22日の記者会見におけるTPP参加に関する記者の質問に対して、「バイデン大統領は、TPPは完全ではなく、より強く良くしていく必要があると考えている」と発言している。
※5 2020年11月22日付けThe Straits Times紙(Hong Kong strives to join regional trade deal RCEP, says Finance Secretary)。

<参考文献>
Okabe, Misa and Shujiro Urata(2014), “The Impact of AFTA on intra-AFTA trade”, Journal of Asian Economics 35(2014):12-31.
Scoles, Samuel(2020),”15 Asia-Pacific Countries Sign World’s Largest FTA; A Closer Look at RCEP’s Key Outcomes and Implications”, White&Case
Shiino, Kohei(2017),” Possible Impacts of TPP on Production Network in Asia - Market Access of Goods -”, Comprehensive Development Strategy to Meet TPP, IDE Bangkok Research Center Research Report No.15
岡本泰、ナオルンロート・ジラッパパ―(2020)「米国大統領選挙結果、タイでは通商・産業政策面で好感」2020年11月13日付けジェトロ・ビジネス短信
椎野幸平(2020a)「アジア太平洋の経済圏形成に弾みをもたらすRCEP」、世界経済評論IMPACT No.1958
椎野幸平(2020b)「タイがCPTTP加盟方針撤回も:新型コロナウイルスの影響」、世界経済評論IMPACT No.1751
菅原淳一(2020)「「成長」が課題のRCEP TPP未満、WTO以上のメガEPA」、みずほ総合研究所


執筆者プロフィール
椎野 幸平(しいの こうへい)
拓殖大学国際学部准教授

青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修士課程(国際経済学専攻)修了。1994年ジェトロ入会、国際開発センター(IDCJ)開発エコノミストコース修了、ジェトロ・ニューデリー、海外調査部国際経済課課長代理、ジェトロ・シンガポール次長(調査担当)、海外調査部国際経済課長を経て、2017年4月より現職。専門は貿易論、アジア経済論。




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