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コロナの先の世界(18) 蔡英文政権二期目の課題とポストコロナ感染症社会 公益財団法人 日本台湾交流協会 専務理事 花木 出 【2020/07/15】

コロナの先の世界

(18) 蔡英文政権二期目の課題とポストコロナ感染症社会

掲載日:2020年7月15日

公益財団法人 日本台湾交流協会 専務理事
花木 出

1. 台湾の新型コロナ感染症対策は中国発の情報を鵜呑みにしなかったことで成功

 今年2020年は台湾における4年に一度の総統選挙の年であった。総統選投票日は1月11日であったが、ほぼ時を同じくしてWHO (世界保健機関) は新型コロナウイルスの発生を伝え、各国に警戒を促した。しかしその内容は、中国政府から提供された情報を受けて、このウイルスが人から人へと感染することは確認されていない、国際的なヒトやモノの移動制限は推奨しないとするものにとどまっていた。

 世界の中で、こうした情報を頭から信じるのではなく、独自の情報をもとに判断を行い、統制の取れた的確な対応で感染を迅速に収束させた地域がある。台湾である。台湾はここ数年WHOへの参加から排除されているうえ、中国との人的往来も多いにもかかわらず、台湾のコロナ感染症対策は先手をうつ形で行われ、7月20日時点の確定感染件数は451件、死亡は7名にとどまっており、域内感染は4月13日を最後に発生していない。

 日ごろから中国発の情報に対して懐疑的なスタンスで確認してきた台湾当局は、前年末の段階で武漢における原因不明の肺炎の発生状況に注目し、独自の調査を踏まえていち早く1月20日には中央流行疫病指揮センター (CECC) を立ち上げ、その後、中台間の人の移動の全面的制限に踏み切った。また、台湾立法院も2月25日には「コロナ対策特別法」 (正式名称「厳重特殊伝染性肺炎防治及紓困振興特別条例」) を成立させている。

 台湾は2003年のSARSでは効果的に感染を防ぐことができなかった。しかし、その反省を踏まえて伝染病予防法を2004年に全面改正し、CECCに指揮権を集中する体制を構築、あわせて医療の電子化に継続的に取り組んできた。メディアではIT担当大臣のオードリー・タン (唐鳳) 氏や鉄人大臣の異名をとった陳時中衛生福利部長等のヒーローに光が当たり、民進党幹部に医師が多いことも話題となったが、台湾の封じ込め成功は人的要素だけでなく、SARS以降国民党・民進党政権時代を通じて取り組まれてきた法的・技術的システムの成果でもある。

2. 中国の強硬姿勢が蔡英文総統を強くした

 第二期目の政権をコロナ感染症対策の成功で力強く発足させた蔡英文総統だが、その再選までの道は必ずしも平たんなものではなかった。

 今回の総統選挙では当初、蔡英文総統の再選は苦難の道となるだろうと予測する者が多かった。2年前の2018年11月に行われた統一地方選挙では、蔡英文総統率いる民進党は前回統一地方選挙より得票率を8ポイント落として国民党を下回り、県・市長当選者も13から6へと半減以下とさせていた。蔡英文総統に対しては、特に意見の割れる問題が起きると有権者に対して政策を正面から説明することを避けて沈黙してしまうとか、独善的に自身のアジェンダに基づく改革だけを粛々と実行し続けようとしているといった酷評も多く、統一地方選挙時点での蔡英文総統の支持率は20%を切るところまで低下した。かつて蔡英文総統は自著『英派』において、自らの愛読書はマックス・ウェーバーの『職業としての政治』であり、雨だれが石を穿つように着実に政策を継続して実行し、それによって結果を残すことが自らの理想とする統治スタイルであると述べていたことがあるが、そうした姿勢は有権者に十分受け入れられているとは言えなかった。

 逆に、この統一地方選挙で台風の目となる形で注目を浴びたのは、国民党の新顔、韓國瑜・高雄市長であった。同氏は蔡英文総統とは対照的な反エリート・ポピュリズム的スタイルを持ち、独特の話術と風貌で旋風を巻き起こし、それまで民進党の牙城と思われてきた同市で過半数の票を獲得、その後総統選の候補者となり直接蔡英文を脅かす存在へと急成長していた。

 こうした状況を見て、攻勢を強めつつあったのは中国だ。2019年1月には『台湾同胞に告げる書 (米中が国交正常化した1979年1月1日に鄧小平中国共産党副主席 (当時) 主導で中国が発表したもの。台湾に対し平和的統一を呼び掛けた。) 』の発表40周年を記念した習近平重要講話の中で、台湾に対して「台湾版一国二制度」を話し合うよう呼びかけ、同時に台湾向けの「武力の使用を放棄することを決して約束しない」と強い圧力をかけた。そのうえで「民主協商」と称して、2月に郁慕明新党主席、5月に洪秀柱国民党前主席、6月に高金素梅無党籍聯盟所属立法委員といった統一派の重要台湾政治家を続々招聘し、「一国二制度の台湾版」の中身に関する話し合いを一方的に進めようとした。これらは東京大学松田康博教授が指摘するように、民進党陳水扁政権末期に民進党の支持率が低下したのをみて、2005年に連戦国民党主席率いる訪問団を北京に招き、その後の馬英久国民党政権誕生につなげていった流れの再演を狙ったものであろう。

 しかし、これに対して蔡英文総統は即日反駁した。「我々が『92年コンセンサス』を終始受け入れたことがない根本的な原因は、北京当局が定義する『92年コンセンサス』がすなわち実は『一つの中国』、『一国二制度』だからである。本日対岸の指導者が行った談話は、我々の疑念を証明した。ここで私は、台湾が絶対に『一国二制度』を受け入れないこと、絶対多数の台湾の民意も『一国二制度』に強く反対していること、そしてこれが『台湾コンセンサス』であることを重ねて表明する」という、きっぱりと反論する態度が支持率反転のきっかけとなったのである。さらに、同年5月から7月にかけて『国安五法』を成立させ、前政権幹部が中国を訪問することを生涯禁じる等の措置を講じることで、共産党がこれら統一派台湾人を招いた外交ショーを行うことができないよう先手を打った。中国も対抗して8月から台湾への個人旅行を禁じる等対抗措置をとったものの効果は限定的なものとなった。

 2019年に香港で発生した「反送中」運動も蔡英文総統の反攻攻勢の流れを加速させた。中国で罪を犯した者を香港において逮捕し中国に送ることができるとする、いわゆる逃亡犯条例の制定問題を契機に、香港市民による抗議活動が活発化し、特に同年6月以降は、逃亡犯条例の制定に抗議する香港市民を香港当局が強圧的に逮捕する様子が世界に配信され、その背景に中国共産党による香港政府への指示があるのではないかと多くの人に疑念を抱かせた。結果的に、翌年に総統選挙を控えた台湾有権者は、中国の唱える一国二制度の本質とはこうした暴力的な抑圧による一体化ではないかとの疑いをより強くし、台湾の将来を香港と重ねてイメージするようになっていった。韓國瑜候補は台湾有権者の不安を正面から受け止めることができず、従来からの国民党支持基盤のうち、特に親中国の有権者たちの歓心を買う範囲でしか発言ができないという弱点を露呈し、急速に支持を失っていった一方、蔡英文総統は香港の若者への連帯を示し、台湾アイデンティティを持つ広大な中間派の支持を集めることに成功した。

 この過程において、蔡英文総統自身も一期目にしばしば独善的と批判を受けたスタイルを意識的に改め、台湾有権者との連帯と共同を示すメッセージを積極的に発信するようになった。台湾選挙を長年見てきた東京外国語大学の小笠原欣幸教授は、時事通信社城山英已編集委員のインタビュー記事「【地球コラム】『香港』だけではない『蔡英文圧勝』の裏側」において、それまでの手堅く地味な手法を好むスタイルを見直し、恥ずかしさをかなぐり捨ててメディア戦略に本腰を入れ、親しみやすさを前面に出してネット時代に受けるようアピールする方針に変えたことが大きく再選に寄与したことは間違いないと分析している。中国の強い圧力が蔡英文総統の総統選勝利を後押し、蔡英文氏を強い総統に変えたのだ。

3. ポストコロナ社会における台湾の活路

 ポストコロナ感染症の国際経済体制は今後不可逆的な変化を遂げると予想されている。それはグローバルサプライチェーンの再編成を迫り、同時に国際社会を変質させ秩序の変更をもたらす。その中で台湾が、これまで感染症予防策において掲げたと同様成果を挙げていけるのかどうか、それは以下の二点にかかっているように思われる。

 一つは成功体験の落とし穴である。台湾社会は安全・安心に対して極めて関心が高い社会であり、そのことはこれまでも食品輸入規制問題等の事例を通じて明らかと思われる。こうした安全・安心は時として国際基準を逸脱した台湾独自の厳しい基準をもたらし、それが国際社会との摩擦の種となってきた面がある。今回、コロナ感染症対応に当たり、台湾はWHOの発信を信じることなくそれより厳しい基準を設けて対応し、それが成功した。この体験は、今後、台湾が安全安心の問題についてグローバルスタンダードとどう共存していけるかという課題を同時にもたらしている。さらに、コロナ感染症対応において4月13日以降一人の域内感染者をも出していない台湾は、台湾のような対策が取り切れていない国際社会との交流をどのようにして再開していけるのか、という点も課題となる。

 もう一つの点は、ポストコロナ感染症対策に伴う国際社会の変化への対応である。中国の発信した誤った情報がコロナ感染症の蔓延を拡大させたこと、及び、感染抑制と人権やプライバシーをどう両立していけるかといった点を契機に今後の世界では米中両国の対立が従来以上に先鋭化していくことになる。米中それぞれの経済国家安全保障政策が強化され、「中国製造2025」を達成するためにレッドサプライチェーン (紅色供給網) の構築を進める中国と、経済安全保障政策を重視し、中国におけるサプライチェーンからのデカップリングを進めようとする米国の間で、台湾はどうやってそれぞれの信頼を確保しつなぎとめていくことができるかという課題である。台湾の国際社会における活動空間は狭まっており、各国との貿易経済投資等に関する協定締結も進んでいない。

 コロナ後の国際経済社会が一気に反グローバリゼーションにすすむというのは過大な評価であり、当面はグローバリゼーションの変質、すなわち、サプライチェーンの中でより付加価値の高い部分をいかに取り込みつつ新しい秩序を練り直していくかといういわばグローバリゼーション2.0とでも言うべき動きが進むことになるであろうが、こうした構造変化にAIの発達や5G、IoTの普及拡大などといった技術の大幅な進歩が複層的に加わり、サプライチェーンの再構築は待ったなしとなるだろう。米中双方に軸足を置く台湾企業は、自社の業務プロセスを見直し、米中双方から信頼されるような重要技術の保秘体制を確保していくことが必要となる。そのためには民間企業レベルだけでなく、台湾政府レベルでの何らかの国際的な保証枠組みも求められるかもしれない。厳しい国際環境の中で台湾がこれに対応していくことができるかどうかは台湾の将来を左右するだろう。

*本稿は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織の見解を示すものではない。

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