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コロナの先の世界(14) 新型コロナ後の北東アジアの姿 公益社団法人 日本経済研究センター 首席研究員 伊集院 敦 【2020/06/11】

コロナの先の世界

(14) 新型コロナ後の北東アジアの姿

掲載日:2020年6月11日

公益社団法人 日本経済研究センター 首席研究員
伊集院 敦

 新型コロナ危機が収束した後、日本を取り巻く北東アジア地域はどう変わるのか。今回の危機で米中の分断が加速し、その影響が北東アジア地域を直撃することは避けられないだろう。米中の分断圧力で北東アジアという地域はズタズタに引き裂かれるのか、危機をチャンスに変えて、まとまりのある地域として発展していくのか。この地域の将来の姿は今後数年の取り組みによって、相当違ったものになるのではないか。

新型コロナをめぐる北東アジアの協力と競争

 コロナ危機が発生して以来、北東アジアでは対策をめぐって、関係国の協力と競争が様々な形で繰り広げられている。最も注目されたのが中国の動きだ。初めに感染が広がった中国は、国内が少し落ち着きを始めると世界規模で「マスク外交」を展開し、日本、韓国はじめ周辺国に対する協力にも機敏に動き出した。

 北朝鮮をめぐっては、米国、中国、韓国などの主要関係国が保健協力を申し出る形となった。核・ミサイル開発を進める北朝鮮は一方で、医療・防疫体制の弱さが懸念されている。米韓の申し出は人道支援にとどまるが、膠着状態にある非核化交渉や南北対話再開の呼び水としての効果が期待されたのも事実だ。

 その中で、北朝鮮側が重視したのは中国との関係だった。金正恩委員長が5月上旬に口頭親書を送り、習近平国家主席から「私は中朝関係を重視している」「求めに応じて力の及ぶ限り支援したい」との口頭返書を引き出した。米中対立が激化する中、中国としては足元の周辺国との関係を固めたいところだ。北朝鮮が生き残りのため、北東アジアの大国間競争を利用したことは容易に想像できよう。

 韓国の大統領府も、金正恩委員長から韓国の文在寅大統領宛ての親書を受け取ったと発表した。韓国国民に慰労の意を伝える内容だったといい、南北協力を重視する文政権に恩を売るとともに、韓国の世論対策の思惑があったのかもしれない。

 多国間の協力では、北東アジアの中核である日中韓3カ国の外相が3月20日にテレビ電話会議を開いた。しかし、その際に合意した3カ国の保健相会合がテレビ会議方式で開かれたのは5月15日で、開催までに2か月近い時間を要した。

 その間に、主要7カ国 (G7) や20カ国・地域 (G20) などのテレビ会議が首脳レベルで開かれた。日本の外交当局は「優先度が高いものからやっており、中韓両国とも東南アジア諸国連合 (ASEAN) プラス日中韓の首脳のテレビ会議などの枠組みで情報交換した」と説明するものの、日中韓3カ国の協力は地理的な近さの割に希薄な印象を与えた。

 ちなみに、その間、日本は中国とは2国間でも外相の電話会談をしたものの、韓国とは6月3日まで行われなかった。韓国が日本の輸出管理をめぐって世界貿易機関 (WTO) への提訴手続きを再開したことに遺憾の意を伝えた電話だ。日中韓の3カ国協力の遅れは日韓関係悪化の影響が一因との見方もあり、5月8日付の日本経済新聞は「協力の枠組みが整っているのに、国内の反発を意識して互いに支援の話をしにくい状況だ」という小此木政夫・慶應義塾大学名誉教授のコメントを紹介した。

近隣外交における保健協力の潜在力と限界

 実を言えば、感染症対策を含む保健協力は従来、日中韓の3カ国協力のモデルケースと見られてきた分野だ。

 日中韓はアジア経済危機後の1999年、当時の小渕恵三首相と中国の朱鎔基首相、韓国の金大中大統領がマニラで会談したのを機に、3カ国協力の枠組みをスタートさせた。最初はASEANの会議を利用しての会合だったが、2008年からは単独で3カ国首脳会議が開かれるようになり、2011年には3カ国協力事務局がソウルに設立された。

 2008年の3カ国首脳会議の共同声明で謳ったのが「未来志向」だ。日中韓3カ国には北朝鮮問題などの地政学的テーマや歴史認識で溝があり、協力の障害を乗り越えるために打ち出されたのが、3カ国が集まる場では未来の可能性を優先し、できるところから友好関係を増進していこうという考え方だった。

 こうした発想に基づいて3カ国は経済を中心に機能的な協力を拡大し、外務、貿易、財務、環境、防災など閣僚級会合は、いまや21に及ぶ。中でも保健相による会合は2007年から毎年のように開かれてきた「優等生」で、3カ国共通の脅威である新型インフルエンザなどの感染症対策でも協力を深めてきた。

 その保健相会合が新型コロナのパンデミックという重大事に際し、ようやく開催にこぎつけたのが5月15日のテレビ会議だったのだ。会議は時期も時期なら内容も内容で、発表されたのは2枚紙の簡単な共同声明。3カ国が一致したのは (1) WHO (世界保健機関) の任務強化の必要性 (2) 3カ国間における自由で開かれた透明性のある適時の情報やデータ、知識の共有の強化 (3) 3カ国の技術的専門機関間の更なる交流や協力の促進、新型コロナウイルス感染症の予防・抑制のための情報・経験の共有の重要性――の3点だった。

 この会議の成果を「十数年も閣僚会合を重ねながらこの程度か」と考えるのか、「これまでの交流の積み重ねがあったからこそできた」と評価するかは、人によって判断が異なるだろう。

 感染症への対応は、協力を通じてすべての関係国が利益を得やすい分野だと見られがちだが、必ずしもそうではない。感染症自体が各国の安全保障に重大な影響を与えかねない問題であるだけに、政治的に敏感で、国際政治の影響を受けやすい面がある。協力するにあたり、国内対策が他国に比べてうまくいっているかどうか、各国指導者の評価やメンツにかかわるテーマでもある。

 言うまでもなく、感染症への対応は国際関係を規定する数々の要素のひとつに過ぎない。時と場合によって国家間の緊張緩和を促す接着剤にもなるが、国際政治の厳しい現実の前には無力な場合もある。国と国の間に信頼関係がなく、政治指導者が人気取りや地政学的な目的に悪用すれば、かえって対立の火種になることもあるだろう。

 限界もある中で、国際保健協力の持つ潜在力を北東アジアの近隣外交にどう生かすか。医療技術や保健協力のシステムが「仏像」だとすれば、国際協力を通じて人の命を守る理想や地域協力への熱意は「魂」と例えることができるかもしれない。危機に際して、自ら進んで仏に魂を入れようとするのかどうか。入れるとしたらどのように魂を入れるのか。自国優先主義やポピュリズム (大衆迎合主義) がはびこる今の時代でも、政治指導者の心の持ち方が影響する部分も多分にあるのではないだろうか。

戦略調整で岐路に立つ北東アジア

 北東アジアはコロナ危機に直面する前から、重大な岐路に立たされていた。中国の大国化が進む過程で、安全保障上の対立や技術覇権競争が激化。米中の「新冷戦」の足音はこの地域にも押し寄せ、各国の戦略面の調整を迫られる場面が増えてきたためだ。

 北東アジアにおいては第2次世界大戦の終戦から75年、東西冷戦の終結から30年の歳月が過ぎた今も、欧州連合 (EU) のような共同体は存在しない。北朝鮮やロシア極東などを含めた広範な多国間協力の枠組みもない。中核である日中韓の3カ国協力が始まって20年しか経っておらず、歴史問題などを理由に3カ国首脳会談がたびたび中断しながら、どうにか機能的な協力を積み上げてきたのが実情だ。

 3カ国の機能的な協力は今後も継続によるレベルアップが期待されるが、経済発展の中心が欧米からアジアに移る歴史的な変化の中で、最近は戦略的な問題の扱いも避けて通れなくなっている。典型的な例が広域経済圏構想と北朝鮮への対応だ。

 北東アジアの主要国は既に、この地域における新たな秩序形成をにらんで様々な経済圏構想や戦略を打ち出している。中国が進める「一帯一路」は西や南に向けたイニシアチブと見られがちだが、東方展開、北方展開も意識したものだ。シベリア鉄道を通じた欧州との物流に加え、日本近海や北極海を通る「氷上のシルクロード」の政策も打ち出した。遼寧省の計画など、朝鮮半島や日本にウイングを広げる地方版の一帯一路構想もある。

 韓国の文在寅政権は「朝鮮半島新経済地図」の実現を目標に掲げている。朝鮮半島全体に「環黄海経済ベルト」「環日本海経済ベルト」「南北境界地域経済ベルト」の3つの経済ベルトを設定し、北朝鮮との南北経済共同体の実現を目指す。同時に、中国やロシア、日本などを含めた北東アジア地域の広域的な経済協力につなげる構想だ。

 日本は環太平洋経済連携協定 (TPP) の対象国をアジアで拡大するとともに、米国と足並みをそろえて「自由で開かれたインド太平洋構想」を進める方針だ。ロシアのプーチン大統領は「新東方政策」を打ち出し、アジア太平洋諸国との関係強化に力を入れている。内陸国のモンゴルは隣国の中国、ロシアとのバランスを考慮しながら、日本や韓国、北朝鮮など「第三の隣国」との関係も発展させようとしている。

 問題は各国の戦略や構想をどう調整し、地域の発展に結びつけるかだ。各国が自国優先でバラバラに動くと協力の効果が薄れる。とくに北朝鮮と経済協力を進める場合、関係国の足並みが乱れると北朝鮮に「つまみ食い」を許し、肝心の核問題の解決にマイナスの作用を及ぼす恐れもある。

 進め方を間違えると、将来の地域秩序をめぐって、関係国の対立を呼び起こす可能性も否定できない。各国の戦略や構想にずれがあるのは当然だが、自国利益優先の姿勢で正面衝突した場合、どのような結果を招くか。19世紀末から20世紀初頭の北東アジアの歴史を思い出すべきだろう。

連結性を欠く北東アジア地域の弱点

 日本を取り巻く北東アジアは国力のある国が多いのに、まとまりを欠く地域だ。筆者はこの原稿を書くにあたって、日中韓と極東ロシア、モンゴルあたりまでを含めてイメージしているが、そもそも北東アジアとはどこからどこまでを指すのか、地域の範囲すら明確ではない。日本政府内でも外務省の北東アジア1課、2課は韓国と北朝鮮を担当するが、経済産業省の北東アジア課は朝鮮半島と中国、モンゴルが所管だ。

 この地域に多国間協力が育たなかった第1の原因は、この地域が極度に多様性に富んだ地域であるためだ。上に記した国や地域は政治体制も異なれば人口や経済の発展レベルも異なる。第2に、冷戦構造が残っていることが挙げられる。朝鮮半島では軍事的緊張が続き、日本と北朝鮮の間には国交がない。主要国である日ロの間には領土問題が横たわり、平和条約も締結されていない。

 ロシア極東や中国東北部、朝鮮半島の東海岸、日本の日本海沿岸地域など、北東アジア交流の接点となる地域は各国において地方に位置し、協力を進めようにも権限や財源が限られていることも理由に挙げられよう。

 ロシア・モンゴルのエネルギー・資源、中国・北朝鮮の労働力、日本の資金・技術、韓国の生産財・消費財が結び付けばこの地域は大きく発展する――。多様性は考えようによっては発展の潜在力であり、東西冷戦が終結した約30年前には環日本海経済圏構想が注目された。しかし、違いすぎる国柄と安全保障上の問題がネックとなり、多国間協力が遅々として進まなかったのが実情だ。

 近年はインド太平洋地域の中で、TPPやASEAN共同体、RCEP (東アジア地域包括的経済連携) など様々な輪ができつつあるが、環日本海地域や北東アジアは大枠の中における一種のミッシング・リンク (連続性が欠けた部分) になっている。そして、まとまりを欠く北東アジアの弱点が浮き彫りになっていたところに、コロナ危機と米中分断の波が押し寄せてきたのである。

日本に求められる地域戦略とルール形成戦略の確立

 日本の針路は大別して3つだ。1つは同盟国である米国の戦略に身をゆだね、「新冷戦」の最前線として中国と全面的に戦う道だ。2つ目は米国と離反し、大国となった中国の勢力圏に入って生きる道。3つ目は米国との同盟を堅持しつつ、中国などの近隣諸国との協力を探る道だ。1と2のオプションはリスクと失うものが大き過ぎ、3つ目のオプションがもっとも理想的に思われる。

 日本が日米同盟と地域協力の両立を目指す3つ目のオプションを進めるにあたって、重要になるのが地域戦略とルール形成戦略だ。

 日本は北東アジアに位置しながら、周辺国との外交は日中、日ロ、日韓といった2国間ベースが主流で、北東アジアを面的、広域的にとらえる総合的な戦略を欠いている。北朝鮮やロシアとの関係も含め、どのような北東アジアの将来ビジョンを描くのか。そもそも、独自の地域戦略なくして、日米同盟と地域協力の両立はあり得ない。北朝鮮やロシアとの懸案解決後の経済協力案なども、北東アジア地域の将来をにらんで今からきちんと準備しておくべきだ。

 今後の世界を展望すれば、日本がいくら仲介の努力をしようとも、しばらくの間は米中の分断が一段と進んでいく公算が大きい。両大国の将来の覇権争いが絡むだけに、中国への技術輸出規制などをめぐって、米国から日本への同調圧力はさらに強まるだろう。

 経済と安全保障が密接に絡む時代だ。米国との同盟を安全保障の基本に据える以上、経済分野においても、日本が米国の懸念や意向を無視した政策を進めることは難しい。そもそも米国が中国に抱く懸念の多くは日本も共有しており、日本は米国とともに安保・経済の両面でより安全な世界づくりに努力すべきだ。

 とはいえ、極端な安保優先にはリスクもある。かつて自由貿易の概念を打ち立てたアダム・スミスですら「国防は経済に優先する」と説いたとされるが、経済安全保障政策においても一定の秩序とルールは必要だ。安全保障と経済交流を両立させるには、どのような取引や交流を制限し、どのような分野は規制の対象外とするかといったルール形成が重要になる。その点では2019年6月に大阪で開いたG20首脳会議の宣言にデジタル社会の到来をにらんだDFFT (信頼ある自由なデータ流通圏) の概念を盛り込んだように、我が国が国際的なルール形成で汗を流す余地もあるだろう。

 そして、地域協力を維持・発展させるうえで期待されるのが保健や防災などの機能的な協力だ。分断の波が安保から経済に広がったとしても、地域で暮らす人々の生命を守るための協力にはビジョンと魂をもって対処すべきだ。

 ソウルにある日中韓3国協力事務局が3月に発刊した統計集によると、北東アジアの中心である日中韓の人口と国内総生産 (GDP) は世界の2割以上を占め、自動車生産は50%、コンテナ輸送は35%のシェアを占める。知らず知らずの間にサプライチェーンなどの相互依存関係も築かれてきたのだ。

 北東アジアはまとまりを欠く脆い地域であるとはいえ、世界にとっても、この地域に住む人々にとっても、各国の関係をズタズタに引き裂き、国際協力を断念するには大きすぎる存在になってしまった。例え、それがいばらの道であっても、日本は独自の地域戦略とルール形成戦略を確立し、日米同盟と地域協力の両立を目指す3つ目のオプションを模索し続けるべきである。


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