第92回-1 中央ユーラシア調査会
「グルジア戦争とメドベージェフ」
朝日新聞論説委員 前モスクワ支局長
大野 正美
1. 旧ソ連の非承認国家と南オセチア

アブハジアでの紛争はソ連崩壊を契機に起きたが、要は言葉の問題であり、「独立するからグルジア語を話せ」ということになって、これに抵抗した南オセチア、アブハジアが自治権、さらには独立を求めて武力紛争になった。1992-93年にかけてロシア軍がこれに介入し、そのまま凍結された。これらは非承認国家ともいわれ、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ、モルドバの沿ドニエストルという4つの同様な非承認国家がソ連崩壊の過程でできた。
世界的にはモンテネグロが一昨年、独立を宣言して承認され、セルビアから分かれた。モンテネグロは人口50万人ぐらいで、一方、コソボは200万人ぐらいだ。ユーゴスラビアは連邦国家だが、その中の構成共和国としてモンテネグロがあり、ソ連と同様に連邦を構成した共和国の独立は認めようという国際的な合意のようなものがあった。そこでアブハジアの人口は25万、南オセチアは7万や5万といわれるが、これらも独立できるのではないかという動きが2年ほど前から強まった。さらに今年2月にはコソボの独立宣言があり、50カ国ぐらいが承認した。これは連邦構成共和国ではなく、連邦の共和国の中にあった自治州が独立した訳で、新しい国際的な前例となった。さらに4月以降に動きが急になった背景には、ブカレストでNATO(北大西洋条約機構)の首脳会議があり、ここでウクライナとグルジアについて将来的に受け入れる方針を出したことも大きかった。
私は非承認国家に関心があり、同じ非承認国家でも方向違いでモルドバの方にある沿ドニエストルへ取材に行った。このとき中心都市のチラスポリで現役の情報機関の大佐といろいろ話をした。これは南オセチアで戦争が始まる前日の8月7日のことだった。この大佐は「南オセチアで戦争が起きるから、自分たちも応援に行かなくてはいけない」といっていた。そして戦争が始まったが、沿ドニエストルや近くのウクライナ南部のオデッサではあまりインターネットも使えず、当初の情報はよくわからなかった。しかし何か原稿を書かなくてはいけないのでとりあえずこれまでの紛争の背景を書き、9日にモスクワへ戻った。
2. 南オセチアでの取材と現地の状況
7日に攻撃が始まり、8日に反撃が開始され、ロシア軍の援軍部隊が南オセチアに入ってきた。12日に南オセチアを越えて、いわゆるグルジアの緩衝地帯まで攻めたところで、ロシアのメドベージェフ大統領は作戦を終了、サルコジ仏大統領が訪ロして停戦の合意ができた。 私はいろいろな事情でモスクワを離れられず、12日の作戦終了から5日後の17日にロシア・北オセチア共和国のウラジカフカスへ行った。今回の戦争について最近よくいわれることは、南オセチアの挑発はあったもの、最初のグルジア側のロケット弾と爆撃による攻撃が過剰であったということだ。それでも、正直いってメディアの戦いでは、初期の段階でロシア側が非常に出遅れた気がする。
現地に到着すると、メディア向けのバスを見つけて18日に南オセチアへ行ったが、なかなか大変だった。4000メートルの山があり、トンネルは1本で、そこまでたどり着くにはウラジカフカスから2時間ほどかかる。このときは既に、ロシア軍の主要部隊は帰っていた。17日の段階で北オセチアにいたら、南オセチアの方から帰ってくる部隊にたくさん遭遇した。
南オセチア現地では中心都市ツヒンバリのロシア平和維持部隊の司令部前にある広場に、グルジア軍の戦車の残骸が3台ほど止めてあるのを見た。要するにグルジアが市街戦に戦車を持ってきてこのような攻撃、残虐行為をしたのだという証拠として、外国メディアやOSCE(欧州安全保障・協力機構)などの監視団に見せるためにずっと置いてあったのだろう。
私は独立派が支配していたチェチェン共和国の首都グロズヌイが2000年にロシア軍によって陥落した直後にも現地へ行き、そのときは市街地一面が瓦礫の山だった。だが、今回は司令部周囲の家などを見るとそういう感じはなく、ロケット弾が一発飛び込んで、ぱっとそこだけ焼けたような感じだった。しかし、行政府は完璧に壁を残して焼けたという状態だった。市街地の中で特に3ヵ所が激しくやられているとのことで、そこにメディアが「よく見てくれ」と連れて行かれた。けれどもそうした被害の激しいところを少しはずれると、市街には普通に建物が残り、普通の生活をしているようだった。
戦闘による南オセチア死者は2000人超とロシアや南オセチアの当局はいっていた。そこで、北オセチアに逃げてきた南オセチアの人たちの話を聞くと、確かに「グルジア兵が誰かを捕まえて首を切った」などと話す。しかし、「それを見たのか」とさらに尋ねると、「実際に見たのではなく、そういう話を聞いたのだ」という話になったりする。一方で、ロシアの反政府的なジャーナリストは南オセチアに情報源を持っているので、「迷彩服を着ている民兵が家族を乗せてわざとグルジア兵の前を通った。グルジア兵は家族だか民兵だかわからないため、それを撃った。住民を撃ったという証言に仕立てるためのそのような工作もあったようだ」というような話も伝えている。
グルジアでは米大統領選が終わったことで、サーカシビリ大統領に好意的だった共和党政権の退陣が決まり、彼に対する欧米の世論が厳しくなっている。欧米では、予測不能でロシアともう1度、一戦すら交えかねないサーカシビリを代えたいという動きが表面化してきたような気がする。
なぜあの強いロシア軍に小国のグルジア軍が攻撃を仕掛けたのかという問題だが、7月の時点で南オセチア紛争に関してドイツの外相ら現地に来て、南オセチア、アブハジアに対して武力の不行使を含んで和平交渉するようにという案がグルジアに示された。これについてサーカシビリ大統領が、西側が「両地域を独立国家と同じように見なして妥協をしなさい」というニュアンスでいっているのではないかと危機感を持ち、そういう状況をリセットするためやったのではないかという話も最近出ている。しかしこれは、1つの仮説だ。
(敬称略 / 講師肩書は講演当時 / 文責:国際経済連携推進センター)
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担当:企画調査広報部